【コラム】ネグロス民衆の拠り所だった
キリスト教基礎共同体(BCC)
~地域の人びとと神父たちのたたかい~(3)

【写真】二アール・C・オブライエン神父=本人の著書『涙の島 希望の島―ネグロスの人々とある神父の物語』より

平井 朗(元立教大学大学院特任教授)

 7月3日に掲載した本稿(2)では、二アール・C・オブライエン神父が、ネグロス島民衆を苦しめる構造的不正義の存在に目覚め、貧しい人びととともにたたかいを始めた経緯を紹介したが、本稿(3)ではキリスト教基礎共同体(BCC)がどのように形成されたのかを紹介する。

― キリスト教基礎共同体が必要だ

 西ネグロス州の南西部山岳地帯にあるカンドニの次の新しい任地はさらに東、東ネグロス州との州境に近いタブゴン村ダコン-コゴンの協同組合工場だった。この工場はフォルティッチ司教やルイス・ジャランドニ神父らによる山地の貧しい民衆の生活水準を向上させる社会活動の尽力によってできたものだった。しかし、オブライエン神父はより貧しい周辺地域の1万8000人の民衆の主任司祭であろうとした。
 彼はフィリピン人神父や小教区リーダーらと話し合った。ピーター・イボニア神父、ジェルソン・バリトル神父らが、キリスト教基礎共同体は「1.分かち合い―時間、財産、能力 2.グループによる意思決定 3.不正義がないこと 4.和解 5.ともに祈ること」だと語った。祈りは不可欠だが、祈りがすべてではなく、分かち合いこそが自分たちの「福音」だと。
 「慈善を目的とした実践だけでなく、人びとを強制して互いに虐げ合うようしむけていると言っていいこの制度(平井注:構造的不正義)そのものを変革する実践もなければならない。…(中略)…ぼくたちの当面の目標はキリスト教基礎共同体を始めることだ」
 彼らは、大地主を頂点にし、土地を持たない農民を底辺に階層化した小教区の社会を「構造分析」し、本稿(2)でも紹介したパウロ六世の回章『諸国民の進歩』による「人間の全体的進歩」を小さなキリスト教基礎共同体を通して達成しようと思った。各バリオ(マルコス戒厳令によってバランガイが創設される以前の最小自治体)を訪れ、BCC発足のために働く小教区リーダーを募り訓練を始めた。

― 戒厳令下の苦闘

 1977年7月17日、小教区のカテキスタ(司祭を助け、キリスト教教理を教える教師)、ヴィルマ・リオバイが、NPA鎮圧部隊の指揮官ロザーノ軍曹らに誘拐され拷問された。このとき協同組合砂糖工場のトラックが使われた。経営側の上層部が国家警察軍と癒着していたのだ。ロザーノを殺すためにキブツを去って新人民軍(NPA)に入りたいという少年ナトー。今まで、オブライエン神父らが作り地域の人びとが自立的な耕作を行っていたキブツや教会の社会活動に熱心に取り組んできたナトーの心変わりに対してオブライエン神父は悩んだ。「革命には賛成だが、(教会も認めている)対抗暴力とは違った方法によって」「それ(非暴力)は絶対に可能だ」「それを決定し実行するのは、民衆自身でなければならない」。
 一方、砂糖価格の暴落や肥料・燃料の高騰などによってキブツの経営が悪化するなか、オブライエン神父はテレビ番組でも誹謗中傷される。支配階級にはキブツの試みが革命を早めることを恐れたのだ。
 西ネグロス州バゴ市では、飢えた農業労働者たちが大地主アンヘル・アラネタの500ヘクタールの農園の遊休地10ヘクタールほどに米と野菜を植えた。バゴ市役所前で話し合いの集会が開かれた。農園主たちはこの労働者たちの行動が、実施されつつあった農地改革の先例となるのを避けようと必死だった。労働者たちは、フォルティッチ司教が臨席しているので、自分たちは安全だと思い、恐れずに主張を展開したが、軍隊があらわれて、司教の眼前で労働者たち、女性と赤ん坊まで逮捕した。

― 新しい共同体

 1978年8月、オブライエン神父らは、パリオとその周辺からリーダーの素質のある人を招いて、キリスト教共同体をまかせられる人たちを見つけ出すセミナーを実施した。セミナー参加者が必要と思うものを神父らが尋ねたときに、人びとは神父らの正義への期待に反してチャペルの必要を第一に置いた。それで主催者の神父らはがっかりし、怒り出すシスターもいた。しかし、こちらの考えを押し付けるのでなく、人びとが必要と思うことを、人びと自身が計画し、行動することの重要性に気付いて方針転換し、何人かの信頼できるリーダーを見つけることができた。
 そんな中、バランガイ自警団に暴行されたナトーが死亡。オブライエン神父は民衆を助けようと思うあまり、一人一人が見えなくなっていたことを反省。さらに田舎のパリオであるタブゴンに移った神父は、カトリックの秘跡(幼児洗礼、堅信、結婚、死にあたっての聖体拝領、…)が一種の商品にさえなっていることから、秘跡を金銭と切り離した。まずは葬式を無料にすると教会に集まってくる人が増えた。また秘跡は皆がその中で生きている不正な制度に挑戦しなければならないこととした。秘跡を受ける人は誰でも不正義にはっきりと反対の声をあげなければならない。
 たとえば洗礼のとき司祭が人びとに「あなたは土地強奪を捨てますか」「あなたは軍隊を捨てますか」「あなたは高利貸を捨てますか」「あなたは拷問という方法を捨てますか」・・・と尋ねるように、宗教の儀式に生命が吹き込まれたのだ。
 キブツと共同体セミナーの失敗から学んだことにより、有力なリーダーたちが増え、タブゴン周辺でBCCは根づき始めた。パニンバホンから始め、住民自身が自力で分かち合い、助け合う共同体である。互いにじかに知り合うことのできる一つの共同体は30家族くらいが適当だという結論に達した。
 ネグロスでの400年にわたる宣教がなぜ失敗を繰り返したのか。それは宗教がほとんど儀式としてしか機能していなかったからだ。神父だけが儀式の守護者だったので、神父が消えるとほかのすべても消え失せた。現在も民衆自身が教会になっていなければ、また同じことになるだろう。教会とは「この世」に仕えながら生きるイエスの弟子たちの共同体だったのである。

― それから

 その後、オブライエン神父は「はだしの医者(自立医療)計画」を推進する一方、BCCは目覚ましい成長を遂げた。神父自身は絶対的非暴力を貫き、NPAなどとは一線を画してきたが、権力側からは常に目の敵にされ、付け狙われ、1983年、カバンカラン市長殺害の犯人としてでっち上げ起訴されたが、マルコス大統領の特赦も拒否して獄中で闘った。結局、国外追放を条件に告訴は取り下げられ、神父はフィリピンを去った。

〈Source〉
Niar O’brien, 1987, “Revolution from the Heart”, Oxford University Press.
二アール・C・オブライエン(大窄佐太郎・大河原晶子訳), 1991, 『涙の島 希望の島―ネグロスの人々とある神父の物語』朝日新聞社.
平井朗, 2007,「脱開発コミュニケーション~国際協力における市民連帯の平和学をめざして~」フェリス女学院大学2006年度博士学位論文.

〈筆者紹介〉
ひらいあきら。立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科、元特任教授。専門は平和学。現在、NPO法人 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会事務局。
2002年よりラグランハの人びとのお宅にお世話になりながら、サトウキビ・アシェンダに通い、カルバリヨへのエクスポージャーを通して、平和をめざす脱開発コミュニケーションを提唱。

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