1972年のフィリピン戒厳令宣言から50年:当時を振り返る(その2)

【photo】”Two hand grenades were thrown onto the stage as the Liberal Party (LP) held its miting de avance in Plaza Miranda, killing nine and injuring around a hundred. Immediately injured were those onstage, including prominent opposition politician Jovito Salong.”/via Warning Signs, Martial Law Museum.

ハイメ・Z.・ガルヴェス・タン(ヘルス・フューチャーズ財団会長、フィリピン大学医学部元教授)

― 大学病院にも広がる腐敗、運動からは逃れられなかった

1970年代、フィリピン主要都市のあちこちで、学生による抗議集会が行われていた。私が新入生として勉学に励んでいた1970年、フィリピン総合病院(PGH)でも、インターンや研修医によるストライキが勃発した。PGHは、フィリピン大学保健学科の学生たちが臨床実習を行う大学病院である。

病院の腐敗に抗議するストライキの組織者である外科系研修医たちは、私たちの教室にやってきて、授業を欠席し、PGHの前で毎日行われる抗議集会に参加するよう呼びかけた。さて、街頭集会を避けていた私は、フィリピン大学マニラ校(医学部)における怠慢や腐敗の問題が世間に晒されていることに気づかずにいた。

まじめに勉強していても、歴史の中の出来事の経緯が示すように、私も学生運活動家になることから逃れることはできなかった。 

― 政治集会が爆破された

1971年8月21日、私が医学部2年生のとき、マニラ首都圏の主要な広場であるプラザ・ミランダで、マルコス・シニア大統領に反対する政治集会が爆破されるという大きな事件があった。その日、マルコス大統領は、人身保護令状の停止を宣言した。これは、公民権の停止と非常によく似ているため、国民はこの出来事を戒厳令の前触れと受け取った。

プラザ・ミランダの爆破は、多くの野党政治家を殺傷した。世間は、マルコス・シニア大統領が戒厳令による独裁主義的支配を宣言する大計画の一環としてプラザ・ミランダの爆破を命じたとさえ受け止めた。

1971年8月21日のプラザ・ミランダ政治集会は、マルコス政権に反対する過去最大の抗議集会でもあった。この時の集会は、若者や学生ではなく、社会のあらゆる部門が中心であった。政治家はもちろん、労働者や農民、会社員、一般市民が、マルコス政権の腐敗の進行と、戒厳令の発令と1人だけによる支配の準備を非難するために集まったのである。

― 進歩的医療運動の誕生

自信を持った医学部2年生になった私は、学生政治に誘われ、大学評議員として立候補するよう推薦された。この学生政治への参入に先立ち、フィリピン大学医学部でも混乱が生じていた。多くの医学生と数人の教員は、フィリピン社会で起こっていること、そしてPGH内部で起こっていることに不満を抱いた。

医学生たちは、医学部カリキュラムの内容や教育方針が、国民に奉仕するという社会の要請に応えているのかどうか、その妥当性を問うていた。フィリピン大学医学部卒業生のほとんどは、フィリピンに留まることも帰国することもなく、米国で開業していたのである。

そこで、新しい医療組織、PKM(Progresibong Kilusang Medikal:進歩的医療運動)が誕生した。実際、私は進歩的医療運動の創設メンバーで、やがて進歩的医療運動は学生政党のサンディガン・マカバンサ(Sandigan Makabansa:国民支援)または愛国同盟に加わった。

― フィリピン大学史上初の医学生大学自治会委員長

そう、私はこうして、一度は学生運動から距離をとったにも関わらず、1971年に大学評議員として当選した。その年は医学の勉強と学生政治を両立させ、1972年にフィリピン大学の学生自治会委員長に立候補した。これまでは、フィリピン大学法学部の学生が自治会委員長を務めてきたにもかかわらずである。

だが1972年、フィリピン大学学生自治会委員長に選ばれたのは、マニラ校(医学部)の医学生だった私だった。医学生が学生自治会委員長になったのは史上初のことだった。

― つづく

〈筆者紹介〉
Jaime Z. Galvez Tan. 無医村地域における草の根のコミュニティ活動、国内外の保健計画、医学部と保健科学部の教員、西洋医学とアジアやフィリピンにおける伝統医療を組み合わせた臨床実践、国家保健政策開発、国家保健分野運営管理、民間部門の保健事業開発、研究管理、地方政府の保健開発などに携わる。また、NGOや世界保健機関、ユニセフ、国連開発計画などのコンサルタントに従事し、学界や政府機関とも連携してきた。著書・共著書に、Hilot: The Filipino Traditional Massage (2006)、Medicinal Fruits &Vegetables (2008)など多数。

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