【コラム】一家で政治囚となったカリーナ親子と再会、バコロド拘置所にて(その1)

【写真】インタビューに答えるカリーナ/via Facebook page of NNARA-Youth, November 9, 2020.

勅使川原香世子(明治学院大学国際平和研究所研究員)

2022年12月、私はバコロド市内にある西ネグロス州地区拘置所(以下、バコロド地区拘置所)で、同年9月11日のコラムで紹介した家族全員で政治囚となったカリーナ・デラ・セルナ一家との約2年ぶりの再会を果たした。新型コロナ感染症対策という理由により家族のみに限られていた面会制限が、私が訪問する2週間ほど前に解除されたのである。

政治囚とは、政府への批判的な活動のために虚偽の容疑で逮捕され、勾留/拘留されている人のことだ。ネットメディア・ラップラーによれば、2022年6月時点で全国に803人[1]の政治囚がいる。また、バコロド地区拘置所に勾留されている政治囚ラモンは、ネグロス島9か所の拘置所に141人の政治囚が、バコロド地区拘置所には41人(うち15人が女性)が勾留されていると述べた。

今回は、カリーナ一家のいまを報告する。

― 刑務官監視の中、ハグして、泣いて、笑った

刑務官に通された礼拝などに使用される集会所で待っていると、最初に、カリーナの父アルベルトと、彼と共に勾留されている政治囚ラモンが現れた。3年にわたる勾留生活の疲れを見せることもなく、アルベルトは満面の笑みで力強く私の手を握った。政治囚の状況に詳しいラモンから話を聞いていると、相変わらず健康そうなカリーナと以前よりずっと活気を取り戻した母マルピが現れた。

私たちは駆け寄ってハグし、泣きながら笑った。

私は、裁判の進み具合や、彼らを解放させるために何ができるのかなどできる限り知りたいと考えていたが、私は会えたことだけで胸がいっぱいになり、カリーナとマルピは思い出すことを次から次へと話し続けた。マルピは話しながら何度も涙ぐみ、そんな母を見ながらカリーナは、「自分が強くならないと。父から、母を勇気づけてやれといつも言われている」と言いながら、何度もガッツポーズをした。 カリーナ家族と1時間半にわたり面会できたが、面会方法はこれまでと異なっていた。新型コロナ感染症が広がり始めた2020年2月の面会の際、私は、勾留者らの食堂でおやつを食べながら面会したり、もちろん刑務官の許可は必要だが、雑居房のトイレを借りたりすることもできた。しかし、今回の面会は、勾留者らの生活の場から離れた集会所で、刑務官の監視のもとに行われた。さらに、刑務官は私たちが面会している写真を何の断りもなく撮影した。

― カリーナとアルベルトの逮捕に続くマルピへの逮捕状、そして長期未決勾留

9月11日のコラムでも述べたように、カリーナとアルベルトは、2019年10月31日以来勾留されている。同日午後5時頃、国軍と国家警察からなる合同部隊が、バコロド市内にある3か所の団体事務所と1か所の個人宅へ一斉に押し入り、「武器不法所持」等の現行犯で55人を逮捕した。そのうちの二人がカリーナとアルベルトだった。この時逮捕を逃れた母マルピは、自身への逮捕状が発行されるまで、自営の商店を切り盛りしながら、勾留される二人のもとへ食事や必要なものを届けていた。

マルピが勾留されたのは、2022年3月だ。私がインタビューした2020年2月のひと月後に、マルピに対する「人身売買」容疑の逮捕状が発行され、それを知ったマルピは、2年間にわたる逃亡生活の末、出頭したのである。

カリーナとアルベルトの勾留は、すでに3年以上になる。前述の55人のうちカリーナとアルベルトを含む11人は、「重火器や爆発物不法所持」容疑で起訴された。だが、カリーナとアルベルト以外の9人は、すでに解放されている。起訴が却下されたり、あるいは、保釈金支払いのもとに保釈されたりしたのである。カリーナとアルベルトへの同容疑による起訴は却下されたが、勾留中、二人には、同容疑とは別に「人身売買」の容疑がかけられ、他の仲間とともに解放されることはかなわなかった。逮捕・勾留後にあらたな容疑を追加するという方法は、活動家らに対してよく使われる。長期化する勾留生活の中で、勾留者らは、再三再四、国家警察や国軍などから「協力すれば出してやる」といった「取引」を持ち掛けられる。 後述する、拘置所や刑務所の劣悪な環境もさることながら、こういった長期にわたる未決勾留はフィリピンにおいて珍しいことではない。法律上3か月から2年以内に判決が出されることになっているが、実際には守られていないと、米国の人権と労働、人権慣行に関する国別報告書も指摘している。

― 2年にわたる逃亡生活と出頭

逮捕状が出てから出頭するまでの2年間、マルピは、ある地域で友人宅を転々として生活していた。犬が吠える声、人の足音におびえて暮らした。マルピは、世話になっている家の子どもの食事を作りながら、カリーナは何を食べているのだろう、ひもじい思いをしているのではないかと考え、いつも泣いていた。

地元の神父や弁護士に相談して出頭を決意したが、主に次の3つが決断の決め手になったという。ひとつめは、「出頭せず、国家警察によって逮捕・勾留された場合には人身売買容疑だけでは済まず、新たな容疑を上乗せされる」との予測だ。前述したように、これまでも多くの活動家に対して国軍などが使ってきた手法である。もしそれが実行されると、たとえカリーナへの人身売買容疑が却下されても、一緒に自由になることができないとマルピは考えた。2つめは、友人らが次々とでっち上げの容疑で逮捕されていたことである。マルピは、自分を匿ってくれている友人らにまで被害が及ぶことを避けたかった。3つめは、カリーナが新型コロナに感染したことだ。マルピは、心配で居ても立っても居られなかったという。

2022年3月22日、マルピは、神父と弁護士に告げ、ある人物から渡された逮捕状のコピーをもって地元の警察署に出頭した。逮捕状には、その警察署長のサインがあったからだ。ところが、その警察署は、逮捕状について把握していない、事実かどうか確認するので帰れとマルピに言った。マルピは、身の安全のために引き返すことはできず、翌23日午前1時まで、警察署の門の外で横になって待った。

その後、「逮捕状を確認した」という警察署は、10日間にわたり警察署内の留置所にマルピを勾留し、取り調べた。警察官らは、「この人物を知っているか」、「この人はどこにいるのか」、「これについて知っていることはないか」など、マルピにかけられた人身売買容疑とは無関係な質問ばかりした。マルピは、容疑に無関係なことなので答えないといって回答を断ったという。

勾留される場所は、カリーナとアルベルトがいるバコロド地区拘置所だとマルピは確信していた。なぜなら、同拘置所は、凶悪犯罪容疑者を勾留する拘置所だからだ。爆発物不法所為や殺人、人身売買といった容疑をかけられた活動家らは、おおかた、この拘置所に送られるのである。

そして遂に、マルピは2年ぶりにカリーナと再会できた。マルピがバコロド地区拘置所に来た時、マルピだとわからなかったとカリーナは言った。マルピはやせ細り、髪は伸び放題で、目の下には濃いクマができていたからだ。カリーナは、外にいる母が殺されてしまうのではないかと心配で、逮捕されて拘置所に送られて欲しいと願っていたという。マルピは、勾留されてからしばらくの間毎日泣いていたが、カリーナが気丈にがんばっているのだからしっかりしろと夫に言われたと、涙まじりの笑顔で語った。カリーナは、「母を励ませといつも父に言われている」と力強く言った。現在、バコロド地区拘置所では、男性用と女性用の房に別々に勾留されている家族は毎朝数分だけだが顔を合わせることが許されており、カリーナ一家の大切な時間となっている。

― つづく


[1] IN NUMBERS: Political prisoners in the Philippines since 2001, Rappler, August 21, 2022. https://www.rappler.com/nation/political-prisoners-philippines-statistics/

〈筆者紹介〉てしがわらかよこ。看護師としての勤務、ネパールでの医療支援活動などを経て、2004年、国際交流学部へ編入、その後博士課程へ。フィリピンや平和学と出会う。フィリピン、特にネグロス島での数週間から数か月の滞在を繰り返し、人びととの交流をとおして、医療や健康、人権に関する問題について学んできた。もっとも虐げられた人びとの視点から社会を捉えなおしてみる、ということを大切にしたいと思っている。

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