フィリピン・ニュース深掘り 「密約」論争と中国・ドゥテルテ陣営の狙い

【写真】ジルベルト・テオドロ国防長官(左),黄渓連・在フィリピン中国大使(右)/ via Teodoro urges DTI to beef up price, supply monitoring for El Niño, Philippine News Agency, March 7, 2024., Facebook of Chinese Embassy Manila, May 7, 2024.

*フィリピン・ニュース深掘りでは、隔週でフィリピンでの重要な出来事を一つ取り上げ、解説・深掘りします。

栗田英幸(愛媛大学)

― 激しさを増す海上での衝突
 この1ヶ月で、南シナ海を巡るフィリピンと中国との摩擦の危険度は1段階上がったように見えます。米国、日本、オーストラリアを含めた西側諸国との連携の強化、特に、先進的な防衛技術を前提とした共同防衛と共同防衛装備開発の具体的な議論が開始されました。また、南シナ海でのパトロールに豪日米(ABC順)が加わることとなり、日本から移動式レーダーが調達され、演習のみとはいえ米国の中距離ミサイル発射装置も一時的にフィリピンに配備されました。
 西側諸国の後ろ盾が明確化してきているからでしょうか?動画を見る限り、中国海警局の放水砲から逃げ惑うばかりであったフィリピン沿岸警備隊の巡視船が、以前より放水砲に怯まなくなってきているように感じられます。同行する海外報道陣に対して、沿岸警備隊が放水砲で撃たれるシャッターチャンスをサービスしているようにも見えるというのは、言い過ぎでしょうか? 中国側も武力紛争にならない限界を攻めようとし、結果、南シナ海での比中の衝突は激しさを増しています。3月以降、フィリピン側に放水砲による負傷者も出ています。
 さらに、フィリピン国軍の緊張も急速に高まっています。米国などとの合同演習は、中国との交戦を仮想してどんどん具体的になっています。さらに、放水砲の攻撃を受けている沿岸警備隊(運輸省所管で、現在のような平時は国軍の指揮下にはない)との協力関係も強化されてきています。マルコス大統領は、自国の将兵が中国との衝突で負傷することになれば、米国との地位協定を発動する(米国とともに中国と交戦する)と明言しています。フィリピン国軍人を安心させる意図があったのかもしれませんが、現場の兵士らにとって、中国との衝突の可能性がよりリアルに感じられる発言であったことも事実です。

― 「密約」論争
 一方で、アユンギン礁(中国名は仁愛礁、英語名はセカンド・トーマス礁)の管理に関して中比両国政府間で取り交わされたとされる2つの「密約」についての議論が、ヒートアップしています。1ヶ月にわたって続いている「密約」議論に、海外のメディアは早々に興味を失くしたようです。特に、現在問題になっている2つ目の「密約」に関しては、いくら議論しても、その真実が明らかになることは、おそらくないからです。しかし、ゴシップ好きなフィリピン国民に向けて国内メディアが嬉々として報道を続けるのは理解できますが、中国政府がしつこく「密約」の存在を主張し続ける積極的な理由が分かりません。

― 中国からの「暴露」
 「中国サイドとフィリピンサイドは、フィリピン国軍西部司令部(AFP WESCOM)を通じて、複数回の協議を経て、今年初めに仁愛礁(アユンギン礁)の管理の『新しいモデル』について合意した」
 4月17日、在フィリピン中国大使館(以下、中国大使館)は、アユンギン礁の管理に関して、今年初めに中国政府とフィリピン政府との間で「新しいモデル」の「密約」が交わされていたことを暴露(?)しました。フィリピン政府は、何度もその「密約」を否定し続けています。5月4日に中国大使館から発せられた冒頭の発言も、その真偽を巡る両国間の応酬の中で、「密約」の存在に信憑性を持たせようと、フィリピン側の「密約」関係者・組織を具体的に示したものでした。

― 2つの「密約」の経緯
 4月18日の中国大使館からの「暴露」が、その前々日になされたドゥテルテ政権時におけるドゥテルテ前大統領と習近平国家主席との「密約」に対してのマルコス大統領の批判発言に、敢えて被せてきたものであることは間違いありません。少し複雑になりますが、フィリピンと中国との論争には、2つの異なる「密約」が登場します。1つは、2021年末のドゥテルテ政権時に取り交わされた「紳士協定」と呼ばれる口約束です。これを「密約1」としましょう。「密約1」は、アユンギン礁において、現状維持を基本として、フィリピン政府は意図的座礁軍艦「BRPシエラマドレ」の修復や新設・増設を行わないとするものでした。
 「BRPシエラマドレ」への補給活動を巡っての放水砲を備えた中国海警局の船舶とフィリピン沿岸警備隊の補給船との摩擦が高まる中、4月になってドゥテルテ前大統領の報道官から、今さらながらに暴露されたのが、この「密約1」です。中国政府もこの「密約1」を自身の南シナ海での活動を正当化する根拠として、今さらながら声高に叫び始めました。
 もう1つの「密約」(以下、「密約2」)は、中国大使館によれば、今年に入ってからフィリピン政府と中国政府との間でなされたというものです。先にも述べたドゥテルテ前大統領の「密約1」を批判したマルコス大統領に対して、「あなたとも密約を結んでいますよね?」と暴露したのが、4月17日の中国大使館からの情報です。
 なお、「新たなモデル」の内容についての具体的な情報は、今のところ公開されてはいません。

―「暴露」情報を否定するフィリピン高官たち
 5月4日の中国大使館発表では、その「新しいモデル」の合意形成に、直接的な交渉相手であるAFP WESCOMを通してフィリピンの国防長官および国家安全保障担当顧問が加わっていたことが言及されました。さらに、この「新しいモデル」の前段交渉が昨年7月からフィリピン国防長官と中国大使館の間でなされていたとも付け加えられています。
 フィリピンの国防長官、国家安全保障担当顧問、外務省は、即座にその交渉と合意の存在を全否定するコメントを発しました。
 ジルベルト・テオドロ・ジュニア国防長官は、国防省が「新たなモデル」に参加していると称するのは「中国の悪意ある策略」であるとして、怒りも露わに中国側の主張を否定。さらに、中国大使の表敬訪問以降、政府は国防省と中国大使館との接触を一切認めていないことを強調しました。ちなみに、この表敬訪問が中国大使館言うところの「7月の会合」を指していますが、その会合でも「紳士協定(密約1)」や「新しいモデル(密約2)」は全く話題に上っていないと彼は明言しています。
 外務省もテオドロ国防長官とほぼ同様のコメントを発表。他方、エドゥアルド・アニョ国家安全保障担当顧問は中国の「フェイクニュース」で煩わされるのは時間の無駄と切り捨て、反論はしませんでした。

― 繰り返される中国の反論
 中国政府は、中国大使館や、Global Timesや新華社といった国営メディアを通して、繰り返し「密約2」の存在を主張し、南シナ海での中国の行動を正当化し、フィリピンや同盟諸国の行動を批判します。また、今年2月2日に「BRPシエラマドレ」への補給が円滑に実施できた理由は、この補給活動の成功が「新たなモデル」による中国とフィリピンの共同作戦であったからだと説明します。
 中国側は、さらに、この「密約2」の会合に参加した人たち全ての発言記録の存在を主張、その公表の可能性を示唆して参加者とその背後の政治家・官僚たちに脅しをかけているようです。もちろん、嘘かもしれません。

― なぜ今さら?
 まず、何よりも不可解なのが、なぜ、今さら2つの「密約」が暴露されたのか?という点です。ドゥテルテ時代の「密約1」について、国民に内緒にしておきたかったというのは、十分に理解できるところです。しかし、国民への裏切り行為とも捉えられかねない「密約1」を、今でもドゥテルテ前大統領の腹心として活動するハリー・ロケ元大統領報道官が、今年3月27日の時点で、なぜ、突然明らかにしたのでしょうか? そして、なぜ、中国側から簡単に暴露されかねない「密約2」をフィリピン政府は、取り交わしたのでしょうか?あるいは、そんな嘘を中国政府がでっち上げて、このタイミングで暴露したのでしょうか?

― 現場の軍人にとって実現可能な選択肢と化す「密約」
 まず、マルコス陣営との権力争いでかなり劣勢となってきたドゥテルテ陣営から考えてみましょう。ドゥテルテ陣営がマルコス政権内で力を取り戻すために決定的に重要なのは、中国およびフィリピン国軍に対するドゥテルテ陣営の影響力の回復に他なりません。マルコス陣営もそれを十分に理解しているので、国軍の忠誠心をマルコス大統領に向けるべく、大統領就任時より国軍人事に積極的に働きかけてきました。軍隊の忠誠心を巡って、目に見えない綱引きが両陣営間で行われているのです。そして、ドゥテルテ陣営が引き寄せたいのが、中国との摩擦の矢面に立っている軍人(兵士だけでなく将校をも含んでいるので軍人としています)たちに他なりません。
 中国との摩擦の矢面に立つ国軍の軍人たちの多くは、対中包囲網の強化よりも中国との対立回避を望んでいるのではないでしょうか? 彼/彼女らにとって、軍事大国中国との戦争はあまりにも無謀であり、過去、日本に攻め込まれてフィリピンを一時放棄撤退した米軍や、ウクライナに対する西側諸国の現在の対応を見れば、西側諸国の支援を強く信じることもできません。中国との「密約1」「密約2」は、そんな軍人たちにとって、実現可能で非常に好ましい選択肢と映るのではないでしょうか? マルコス陣営は否定しますが、(サラ)ドゥテルテ政権が誕生すれば、その実現も可能なのです。南シナ海の現場では摩擦がエスカレートし、ちょっとした手違いから戦争に突入しかねない今、この実現可能な選択肢は軍人たちの心を大きく揺さぶり得るのです。

― 実は「密約」の真偽はどうでも良い?
 上記のように考えるならば「密約2」の真偽は、ドゥテルテ陣営や中国政府にとって、もはや重要ではありません。嘘だったとしても、完全に暴かれることは、まずあり得ないのですから。
 一方、今年に入った時点で、今さら米国を裏切るような「密約2」をフィリピン政府が行うとも思えません。ドゥテルテ陣営の息のかかった軍人が中国の役人もしくは軍人と極秘裏に会合を行ったとする茶番劇をドゥテルテ陣営と中国政府が演じた、もしくは後からでっちあげただけなのではないかと私は睨んでいます。さらに、中国政府は「密約2」に関して明確な説明をしていません。どこまで、「密約2」の内容を中国に有利な内容にでっち上げられるのか、中国政府がフィリピンの情勢を分析しているのだとしても私は驚きません。
 フィリピン政府は、国軍軍人、それも一触即発の現場で勤務しているかもしれない裏切り者を探さなければなりません。しかし、そのような炙り出し作業は、探られる側にとって気持ちの良いものではありません。結果、全く無実、無関係な将兵の忠誠心さえマルコスから離れてしまうでしょう。中国とドゥテルテ陣営にとって、それは大きなプラスとなる成果と言えます。

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〈Source〉
China, PH agreed on ‘new model’ for management at Ayungin — Chinese spox, Inquirer, May 4, 2024.
China urges the Philippines to respect facts on Ren’ai Jiao issue : spokesperson, Xinhua, May 7, 2024.
Chinese embassy in Manila ‘constant liars’–PCG’s Tarriela, Inquirer, May 6, 2024.
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