【コラム】コーディリエラでの
演劇ワークショップ

【写真】カヤン小学校での発表(鉱山開発の反対運動のシーン)=2016年8月12日、タディアン地区カヤン、CGN提供。

花崎 攝(演劇デザインギルド)

 私は2012年以来、COVID-19に阻まれるまで、毎年のようにルソン島北部のコーディリエラ(Cordillera)地方を訪れていた。環境NGOコーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)の環境教育の一環として、演劇ワークショップを担当させてもらったからだ。CGNは、「自然環境を守りながら、先住民族の暮らしを向上させる」ことを目的として活動している団体で、創始者の一人、反町眞理子さんと知り合う幸運に恵まれてコーディリエラに通うようになったのである。主に10代から20代の若者たちとの演劇ワークショップを通じて、私は、コーディリエラの環境についてリサーチし、そこでの発見を表現する試みを続けてきた。

【写真】坑道の中での筆者=2016年8月4日、イトゴン地区ルネタ、コーディリエラ・グリーン・ネットワーク提供。

― コーディリエラの環境が危ない

 スペイン語で「山脈」「山岳地帯」を意味するコーディリエラは、文字通り2000メートル級の山々が連なる山岳地帯だ。急峻な地形のため道路や電気などのインフラ整備が遅れ、フィリピンで最も開発の遅れた地域のひとつといわれている。キリスト教の布教が進んでいる一方、精霊信仰や山の神を敬う儀礼や伝統芸能など独自の文化が残されている。
 他方で、グローバリズムの影響も受けている。人びとが、現金収入を求めて山を無計画に切り崩して高原野菜の畑にしたり、森の木を木材資源として売るなどして山が荒廃した。そこへ温暖化による気候変動も重なり、大きな土砂崩れなどの災害が頻発している。また、海外に出稼ぎに行く人が多く、農業などの担い手不足も深刻な問題になっている。
 また、日本との関係で言えば、第二次世界大戦時に陸軍が最後まで立て篭もり、終戦後に山下奉文将軍が投降した地でもある。余談だが、ロシアのウクライナ侵攻は言語道断だが、ほんの80年程前には、日本が侵略していた側であったことを忘れるわけにはいかない。

― 露天掘り跡地で続く小規模採掘

 2016年、演劇ワークショップの一環として、若者たちとイトゴン地区のアンタモック鉱山を中心にフィールドワークを行った。アンタモックにおいて、ベンゲット社は1903年に金の採掘を始め、40年間以上、地下操業を続けた。その後1989年に、露天掘りの「アンタモック・ゴールド・プロジェクト」を開始した。それに対してイトゴン地区の9つのバランガイ(村)のうち7つを代表するグループが、先祖代々の土地と家を守るために、バリケードなどを作って抵抗した。
 金の国際価格の変動などもあって、1998年にベンゲット社がプロジェクトを中断すると、ベンゲット社が遺した巨大な露天掘りの跡地に各地から一攫千金を夢見た多くの人々が集まり、小規模な採掘を始めた。鉱夫組織はあるものの、危険と隣り合わせの労働だ。台風に襲われた時には死者が出たり、金の抽出に使うシアン化ナトリウムや水銀が水源に垂れ流され、環境汚染や健康被害も出ている。

【写真】坑道を案内してもらう参加者=2016年8月4日、イトゴン地区ルネタ、コーディリエラ・グリーン・ネットワーク提供。

― フィールドワークで浮かび上がったこと

 私たちは、実際に坑道に入れてもらい、鉱夫をはじめとして、女性の元鉱夫や近くで有機農業を営む人、さらにリサーチャーや写真家、ドキュメンタリー作家、抵抗運動に参加したコミュニティリーダーにも話を聞くことができた。
 そこで浮かび上がった様々な問題の内、ワークショップ参加者が特に注目したのは、環境破壊や汚染の問題とともに貧困と教育の問題だった。鉱夫にはワークショップの参加者と同年代の若者も多かった。インタビューで若い鉱夫に話を聞くと、家が貧しく、仕事もなく、選択肢がない状況に置かれていた。参加者の一人ベントールも、かつて学費を稼ぐために鉱夫のアルバイトをしたことがあったと打ち明けてくれた。彼は、真っ暗闇の坑道で長時間働くことに恐怖を覚えてすぐにやめたと話していたが、アンタモックで働いている若者たちは、もう一人のベントールだった。参加者にとって鉱山問題は他人事ではなく、まさに自分たちの問題だったのだ。

― マンカヤンの若者の葛藤と「Voices From The Mines」

 参加者のなかには、ベンゲットのマンカヤン地区の通称レパントと呼ばれる村で育った若者たちもいた。レパントは銅と金を産出する地域だ。鉱山会社レパント社(Lepanto Consolidated Mining Company)の企業城下町(村)として発展してきた。1936年にアメリカ人が大規模な操業を始め、第二次世界大戦中は三井が管理していた。その後、フィリピン資本となったが、現在は南アフリカ資本が入っている。鉱山会社が教育、医療なども含めた手厚い福利厚生をおこなっており、参加者の若者たちは会社に恩義を感じていた。
大学生(当時)のダイナは、複雑な思いを抱えていた。ダイナのお父さんは坑道で事故にあって障害を負ったが、ダイナ自身は鉱山会社の支援によって恵まれた環境で教育を受けられていると感じていたからだ。
 リサーチのなかで、ゲスト講師がレパントについて言及し、情報公開が不十分で環境への影響の実態調査が進んでいないと懸念すると、彼らは沈黙して、いつも積極的な参加者の一人ロジャーもあまり発言しなかった。レクチャーの後、レパント出身の参加者たちが、仲間内で「会社は2015年以降環境対策に力を入れているので、アンタモックとは違う」と話しているのが耳に入ったこともあった。

【写真】鉱夫たちが立ち上げた組織のリーダー(右奥、帽子をかぶっている人)の話を聞く=2016年8月4日、イトゴン地区ルネタ、コーディリエラ・グリーン・ネットワーク提供。

―成果発表としての演劇公演とフォーラム・シアター

 ワークショップの成果は、インタビューから書き起こされたテキストを構成して創作された演劇、「Voices From The Mines(鉱山からの声)」として発表された。それは朗読を中心としたオムニバス作品で、以下のような内容が盛り込まれていた。鉱夫組織のリーダーが、事故に遭っても働き続け、3人の子どもたちに高等教育を受けさせた話や、家族を養うために、妊娠中も坑道で働いた元女性鉱夫の話。危険な坑道で働く恐ろしさや先の見えない不安を、大酒を飲んで発散する若い鉱夫たちの日常の話。大規模開発に反対したコミュニティの人たちが、企業側が雇った武装グループと対峙する場面には力がこもっていた。
 環境汚染の問題は、別立てのフォーラム・シアターという観客参加型の演劇で取り上げた。鉱夫の子どもが金の精錬に使用する化学物質による健康被害に見舞われているという設定の短い劇を作り、観客に劇中に参加して、自分事として考えてもらおうと試みた。
参加者も当事者である故に、葛藤を抱えながらの活動だった。この時は、リサーチで聞いた現場の声を表現し、一緒に考えたいという気持ちを伝えるところまでしかできなかった。けれども、参加者の気持ちは良く伝わり、会場となった小学校の講堂に集まった村人たちからは好意的な反響を得た。

― ガワニの呼びかけ

 最後に、私自身とても印象に残っているサガダの詩人であり、リサーチャーであるガワニが話してくれた問いかけを紹介したい。彼女はワークショップの中で、参加者たちにこう呼びかけた。

 「ケータイ持っている人?あなたも、あなたも、あなたも持ってる?知ってる?ケータイ1つにつき24ミリグラムの金が入っている。(中略)テクノロジーには金・銀・コバルトといったものが使われていて、それらは全て地下から来たもの。もう携帯なしでは生活できないくらいになっている私たちは、 鉱業なしで生活できない。しかし、鉱業は地形を変え、多くの自然災害を誘発し、健康被害も引き起こしている。本当にいいと思うの、もし昔のように戻れたら。自分たちに必要な分だけ取る。ネガティブなことをしてまで欲張らない」。

 彼女の静かな訴えは、遠い日本に住むわたしたちへも真っ直ぐに届いてくる。

〈筆者紹介〉
花崎 攝(シアタープラクティショナー、野口体操講師)
劇団黒テントに在籍中にPETA(フィリピン教育演劇協会)などアジアの演劇人に出会い、現在はさまざまな課題に取り組む応用演劇の企画、進行、構成演出を中心に国内外で活動。主な仕事に、水俣病公式確認五十年事業「水俣ば生きて」構成演出(2006)。アチェ(インドネシア)の紛争被害にあった子どもたちのための演劇ワークショップ企画、進行(2007-2010)。コーディリエラ(フィリピン)の環境教育プロジェクト(2012~)、Asia meets Asiaの活動など。武蔵野美術大学、日本大学、立教大学非常勤講師。演劇デザインギルド所属。

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