栗田英幸(愛媛大学)
2022年フィリピン総選挙は、9日に投票日を迎える。主要な大統領候補が出揃った10月から現在までの7ヶ月の期間、候補者をめぐる論点・争点は目まぐるしく変化した。大規模な操作が行われない限り、フェルディナンド「ボンボン」マルコス・ジュニア(以下、「ボンボン」マルコス)にどこまでマリア・レオノール・ロブレド(以下、ロブレド)副大統が迫れるかが焦点となる。私も含め、本ウェブサイトの読者の多くが、ロブレドの勝利を強く願っているものと想像しているが、世論調査を見る限り、「ボンボン」マルコスの勝利は揺るがない。そして、「ボンボン」マルコスが大統領となった場合、大統領選挙期間中に挙げられた論点・争点は、勝者決定後に全国的な運動に発展する大統領罷免運動に引き継がれるだろう。ここでは、これまでの選挙活動を振り返りながら、フィリピン国内で注目された、いくつかの大きな論点・争点を整理する。
― 出揃う大統領候補:ドゥテルテ狂想曲と出来上がる構図
大統領候補が確定まで最も注目されたのは、ドゥテルテ大統領の長女であり、当時ダバオ市長であったサラ・ドゥテルテ・カルピオ(以下、サラ)の動向であった。大統領選挙の世論調査で最も注目されるパルス・アジアの9月時点の世論調査では、サラが大統領候補としてダントツの人気であった。しばしば貧困者を守るための苛烈な行動力・決断力に、今なお人気のドゥテルテ大統領の姿を重ねる国民は多い。
当初、ダバオ市長選への出馬を選挙管理委員会に申請し、幾度となく大統領選非出馬発言を行っていたにも関わらず、多くの国民が大統領出馬を祈っていた。また、父ドゥテルテ大統領同様、候補者変更締切の直前にサラが大統領選出馬を表明すると多くが推測していた。変更締切2日前の11月13日、予想通り、サラは出馬変更届けを提出したが、それは、大統領選ではなく、副大統領選への出馬であった。彼女の最終的な判断は、「ボンボン」マルコスを大統領候補、自身を副大統領候補とするペア、「ユニチーム(UniTeam=統一チーム)」であった。
一方、再選が憲法で禁止されているドゥテルテ大統領は、ドラッグ戦争等を通した国民への自らの非人道的な行為に対する処罰を恐れ、自身を守ってくれる次期大統領を擁立する必要に迫られていた。ドゥテルテ大統領が長女のサラにその役割を期待していたことは、おそらく間違いない。サラの副大統領出馬を聞いたドゥテルテ大統領は怒りをあらわにし、サラ大統領の下での副大統領にと考えていた子飼いのクリストファー・ゴー上院議員を大統領候補へと急遽変更させた。当初、ドゥテルテ大統領自身がゴーとタッグを組んで副大統領候補に立候補する意向を表明していたが、「娘とは争わない」として副大統領への出馬を撤回し、ゴーもそれを追うかたちで後日、大統領選出馬を撤回した。
これらの結果、政治の腐敗や暴力を批判する人たちにとって、ドゥテルテ政権の腐敗の象徴・継承が「ボンボン」マルコス大統領(候補)とサラ副大統領(候補)のタッグに統一されたとの認識が定着した。その後の大統領選は、マルコス-サラ腐敗組 vs. 腐敗・暴力を糾弾する他の候補者たち、という構図の上で繰り広げられることとなった。
― 支持基盤としての「ネトウヨ」
サラがトップに立った昨年9月の世論調査以外の世論調査において、絶えず50%以上の支持率で一位をキープしてきたのは、独裁者と呼ばれたマルコス元大統領の息子の「ボンボン」マルコスである。
「ボンボン」マルコスに対して、フィリピン国内外の主要メディアにおいては批判的な報道が支配的であることは間違いない。「ボンボン」は独裁者マルコスの非人道的で腐敗した政治を支えてきた。脱税判決を受け、その後の罰金も未だ支払っていない。討論会や公聴会を全て拒否している。フェイクニュースを通した選挙キャンペーンを展開している。熱狂的な支持者(もしくはそれを装った者)による誹謗中傷脅迫を伴うネット攻撃を利用している。巨額のマルコス隠し遺産を利用したとしか思えない政治活動を展開している、等々。テレビ、新聞、ウェブジャーナル等の主要メディア、左派市民組織、大学、経済界、法曹界、その他、高等教育を受けた人たちの多くが、声高に「ボンボン」マルコスの批判を展開してきた。
しかし、SNSでは、ネット等を利用して調べればすぐに嘘と分かるような虚偽情報を交えた「ボンボン」マルコスや故マルコス大統領への賞賛、そして、対抗候補への批判が他候補の主張を圧倒する。支持率はほとんど落ちず、むしろ対抗候補、特に、最大のライバルと目されるマリア・レオノール・ロブレド(以下、ロブレド)副大統領陣営への罵詈雑言や辱めとも言うべき情報の拡散は投票日が近づくにつれ勢いを増している。そのような偽情報を拡散するSNSやウェブサイトの管理者の行動は、まさに日本でネトウヨと呼ばれる人たちによる「荒らし」行為と大きく重なる。
― 「ボンボン」マルコスの政治的指針
統一チームは、故マルコスの赤とドゥテルテ大統領の緑の二色をキャンペーンカラーとし、「共に再び立ちあがろう(Sama-sama tayong babangon muli)」をスローガンとしている。「統一」は分裂した国の統一を示しているが、それ以上に、ドゥテルテ大統領=サラ―故マルコス大統領=「ボンボン」マルコス、ドゥテルテ家とマルコス家を繋げるものと、多くの支持者、また批判者も捉えている。
注目される政策案もその繋がりを明確に示している。故マルコス大統領の主要穀物最低価格保証制度を支えた政府の主要穀物買取店(KADIWA store)の各農村バランガイへの設置、ドゥテルテ大統領の「建設、建設、建設(Build! Build! Build!)インフラプログラム」の積極的な利用、故マルコス大統領の悲願でありドゥテルテ大統領が今年3月に復活を宣言した原子力発電所の建設計画、ドラッグ戦争の継続(その修正について明言していない)である。
― 「ボンボン」マルコスの立候補資格への疑義
「ボンボン」マルコスの大統領選立候補申請と同時にいくつもの組織や個人から数多くの立候補資格取消し(COC)誓願書が選挙管理委員会に提出された。登録名BBM(Bong Bong Marcosの略)への疑義や選挙を貶めるといった理由が列挙される中で最も注目されたのは、「ボンボン」マルコスの脱税判決とその罰金支払いに関する議論であった。
1995年、ケソン市地方裁判所は、「ボンボン」マルコスが北イロコス州の副知事及び知事だった1982年から85年の間の彼の脱税行為に対して、懲役刑を伴う有罪判決を言い渡した。この判決を不服とした「ボンボン」マルコスは上告し、1997年に懲役刑を削除された罰金刑に減刑された。この出来事は3つの争点を提供した。一つ目は、「ボンボン」マルコスが罰金を支払ったのか否か、二つ目は、「ボンボン」マルコスの罰金刑が立候補資格取消しにあたるか否か、そして、三つ目は、1997年租税法で決められているはずの懲役刑が罰金刑に減刑される法的にあり得ない出来事に関して、「ボンボン」マルコスの経歴を罰金刑ではなく懲役刑として論じるか否か、である。
それぞれについて、請願者は選挙管理委員会の審議の場およびメディアに対して十分な資料を伴う説明を行ったが、「ボンボン」マルコスは一貫して公聴会への参加を拒否し、請願者の準備した資料を覆すに十分な資料も提示していないように見えた。さらに、選挙管理委員会の審議官3人のうちの1人の審議官ロウェナ・グアンソンは「ボンボン」マルコスの立候補資格取消しを公言し、他の2人に対しても意見の公表を強く迫っていた。
しかし、この審議は、なぜか遅々として進まず、グアンソン審議官は任期満了により辞職した。そして、別の審議官がグアンソンの後任として赴任した直後(2月10日)、この審議はこの請願の却下を決定した。この「謎」の審議遅延は、審議手続きの正当性という四つ目の争点を提供することとなった。この審議を含め、「ボンボン」マルコスの立候補資格取消し申請の全てが最終的に却下された。
― 直接討論の徹底拒否
選挙管理委員会および主要メディアは、主要な大統領候補者に対して、候補者同士もしくは有識者との討論会の場を準備し、有権者に投票のための情報を提供する。他国と同様に候補者にとって、このような機会は、大規模メディアを利用して全国の有権者に対して自らの政策や他候補者との差異と自身の優位性をアピールする絶好のチャンスに他ならない。しかし、「ボンボン」マルコスは、他の候補者と同席する全ての討論会に加え、自分に批判的な質問を投げかける可能性のある司会者や討論者の準備された全ての企画への参加を拒否した。出席したのは、「ボンボン」マルコスに好意的な企画に対してのみであった。
このように批判の場から完全逃避する大統領候補者に対して、多くのメディアや識者、対向候補たちは、政治家としての資質への強い疑問を投げかけている。
― フェイクニュース
SNSと大統領選挙との関係を分析したいくつもの分析は、「ボンボン」マルコスを称賛し、その敵対者を批判し貶めるウェブサイトやSNSメッセージの量が他候補者をはるかに上回っていることに言及している。特に、ウェブジャーナルのラップラーは、「ボンボン」マルコスのネット戦略に関していくつもの調査結果を公表している。それらによれば、「ボンボン」マルコスやマルコスファミリーを支持するウェブサイトが、2014年、イメルダ・マルコス(故マルコス大統領夫人)による「ボンボン」マルコスの大統領就任期待発言の頃から開設され始め、2016年の「ボンボン」マルコス副大統領落選以降、増加してきたこと、それらサイトやSNSは後に削除対象になるようなフェイクニュースが数多く含まれていること、マルコスを支持するウェブサイトやSNSから発せられる脅迫を含むネット攻撃によって、「ボンボン」マルコスへの批判や上述のような争点に関する議論を萎縮させてしまっていることが明らかにされている。
「ボンボン」マルコスは、フェイクニュースを多用した情報工作部隊(トロール〈=荒らし〉部隊)を活用していると多くの識者は信じているが、これはドゥテルテ大統領も同様である。ドゥテルテ大統領が国家予算を投じて創設・活用する情報工作部隊の人員や能力が「ボンボン」マルコスの情報工作部隊へと流れている可能性も否定できない。
― ロブレドの最後の巻き返しはあり得るのか?
これまでの世論調査の結果を見る限り、ロブレド勝利の可能性は低い。残念ながら、ロブレドより勝ち目の低い有力候補者の誰もが候補から降りて他候補者の下に合流する選択肢を選ぶことはなかった。フェイクニュースに対するファクトチェックの効果も限定的であるように見える。ロブレド支持者によって積極的に進められてきたフェイクに曇った目を真実によって開かせる戦略自体が重要であることは間違いない。しかし、何人かの友人から聞いた話では、SNSを通じた圧倒的な数の暴力により、真実に向きかけた目は再び異なるフェイクへと戻されてしまうらしい。先日の世界報道自由デーに際して、報道の自由に関する幾つもの国際会議が世界各地で開催されていたが、そこで語られているのは、表現こそ異なれ、次のような現状認識であった。それは、真実と自由が創り出してきた情報空間が、今やフェイクニュースによる虚偽と抑圧の場に変わり、政治の専制化を支えているという皮肉な世界状況に他ならない。
さらに、ロブレド支持者たちと同様の言葉を嫌と言うほど発してきた政治家が結局十分な力を発揮してこなかった。それに対する多くの国民の落胆が国中に蔓延しているとの指摘もある。現状に強い不満を持つ人たちにとっては、実現しない未来を語る左派の言葉よりも、虚像かもしれないが見知らぬ過去の「実績」「栄華」の持つ力に惹かれるのかもしれない。
フェイクニュースを真実だと語る少なくない人たちにとって、その情報が真実かフェイクかはそれほど重要ではないのだ。このような人たちに対しては、真実を「正しい」立場から提示するような多くの左派や知識階層の採っている方法は通じない。同じ目線への歩み寄りと真実に今一度目を向けてみようと思わせるような力強く分かりやすい語りかけが必要であろう。ロブレド陣営が実施する地道な「ドアからドア(door-to-door)キャンペーン(支持者が近所の人たちの家を一軒一軒周って話をする)」やロブレドの社会的弱者への目線は、そのような変化をもたらす可能性を十分に有しているようにも感じる。
最後に、SNNとフェイクニュースへ過度に依存する「ボンボン」マルコスの選挙戦略は、おそらく社会、情報、歴史への理解の浅い多数で構成される脆弱な支持基盤しか作り出せていない。ほんの少しの風向きの変化で、「軽い」支持者たちは如何様にも変化しうる。ロブレドの目線と脆弱なSNS基盤は、最後の逆転の奇跡、もしくは、「ボンボン」マルコス勝利後に活発化するであろう大統領罷免運動での勝利に繋がり得る突破口となるかもしれない。
〈筆者紹介〉
愛媛大学国際連携推進機構准教授
フィリピンとモザンビークを調査の中心拠点としつつ、世界中の資源開発の現場と「資源の呪い」理論を研究対象として、開発が根本的に有する民主的な手続きや参加とのディレンマを描き出そうと奮闘中。そして、現在は、対象国を広げすぎたことを絶賛後悔中。専門は、政治経済学をベースとした開発学、環境学、平和学。何でも屋とも雑学とも言う。
〈Source〉
Tracking the Marcos disinformation and propaganda machinery, Rappler, April 14, 2022.
あと25日! フィリピン大統領選挙への主要候補のラストスパート, Stop the Attacks Campaign, April 15, 2022.
佳境を迎える「ボンボン」マルコスの立候補資格をめぐる攻防, Stop the Attacks Campaign, November 24, 2021.
牛歩作戦か? 出馬資格審査へのマルコス候補の欠席を巡る憶測, Stop the Attacks Campaign, January 12, 2022.
サラ・ドゥテルテの副大統領への立候補と周囲の混乱, Stop the Attacks Campaign, November 16, 2021.
「ボンボン」マルコス候補の被選挙権取消運動, Stop the Attacks Campaign, November 10, 2021.
(Pulse Asia 世論調査)
April 2022 Nationwide Survey on the May 2022 Elections, Pulse Asia, May 2, 2022.
March 2022 Nationwide Survey on the May 2022 Elections, Pulse Asia, April 6, 2022.
February 2022 Nationwide Survey on the May 2022 Elections, Pulse Asia, March 14, 2022.
January 2022 Nationwide Survey on the May 2022 Elections, Pulse Asia, February 13, 2022.
December 2021 Nationwide Survey on the May 2022 Elections, Pulse Asia, December 22, 2021.
September 2021 Nationwide Survey on the May 2022 Elections, Pulse Asia, September 29, 2021.