今週のフィリピン・ダイジェスト
(4月27日-5月3日)

マルコス訪米(その1):米比声明から見えてくるもの奏外相会談翌日も変わらぬ中比衝突危機/デ・リマの審議は進んでいるのか?/抜粋:バイデンとマルコスの米比共同声明

栗田英幸(愛媛大学)

 今週は、奏外相会談翌日も変わらぬ中比衝突危機、デ・リマの審議は進んでいるのか、抜粋:バイデンとマルコスの米比共同声明の3つのトピックを紹介します。

 また、解説は、今回と次回の2回に分けて、マルコス大統領の訪米の成果を取り上げます。今回は、5月1日に出された米比共同声明から見える米国対外戦略におけるフィリピンの役割とその対価について解説します。

◆今週のトピックス
トピック1:奏外相会談翌日も変わらぬ中比衝突危機

― BBC記者が明らかにした中国船による危険な妨害

 南シナ海で中国海警局(沿岸警備隊)がフィリピンの巡視船を妨害し、衝突寸前の事態が発生した。この海域では、中国政府の広大な領有権が米国とその同盟国に警戒感を与えている。

 BBCの記者は船上から、4月23日、スプラトリー諸島のセカンド・トーマス・ショール付近で起きた緊迫した衝突を目撃した。フィリピン政府は、中国海警局によるこのような妨害行為は中国政府の常套手段であると述べる。フィリピンのマルコス大統領がマニラで中国の秦剛外相と会談し、南シナ海問題で新たな交渉窓口の開設に期待を表明した翌日の出来事だった。  

 フィリピン沿岸警備隊の船2隻が6日間かけて1670kmを移動する間、BBCの報道カメラは、合図とともに特定の場所で中国船が、フィリピン船のシャドーイング(すぐ側で航行を妨害する危険行為)し、「無線で退去しなければ相応の結果を受けることになる(中国船に攻撃され被害を被る)」と警告を与える様子を捉えた。フィリピン沿岸警備隊は、中国の行動を自分の目で確かめてもらうため、紛争が絶えない海域での定期パトロールに初めてジャーナリストを招待したと述べた。

― 妨害の一部始終

 フィリピン外務省は、中国がフィリピン領海であるはずの第2トーマス諸島で「非常に危険な作戦」を行っていると発表した。一方、中国政府は、フィリピンが中国の海域に侵入していると非難した。

 フィリピン沿岸警備隊スポークスパーソンのジェイ・タリエラ提督は、「中国は長い間、シャドーイングなどの戦術を使ってきたが、今はメディアのおかげで世界中がそれを見ることができる」と述べた。

 4月23日の夜明け、フィリピン人乗組員は、自分たちの船マラパスクア号をシャドーイングしていた中国船が、排気ガスから出る濃い黒煙が示すように、速度を上げていることに気づいた。BBCは、約1キロメートル離れたフィリピンの2隻目の船マラブリゴ号から、比較的穏やかなターコイズブルーの海で繰り広げられる公海追跡劇を目撃した。  

 やがて中国船はフィリピン船に追いついたが、フィリピン船は自分の2倍以上の大きさの船をうまく操ることができないことが明らかになった。中国船は道を塞いで譲らず、マラパスクア号は衝突を避けるためにエンジンを停止せざるを得なかった。

トピック2:デ・リマの審議は進んでいるのか?

― 手続き引き延ばしの裏工作か?検察による強引な反証人の提示

 レイラ・デ・リマ前上院議員の弁護士は、金曜日にモンテンルパ裁判所が、公設弁護士事務所(PAO)弁護士の証言を得るために、彼女が直面しているドラッグ事件の一つについて裁判の再開を認める判決を下したことに驚きを示した。

 デ・リマに関する審議は、既に4月17日の合意により5月12日に結審することとなっていた。しかしながら、司法省は新たな「証人」を召喚する意向を裁判所に伝え、デ・リマの弁護士がそれに異議を唱えていた。

 デ・リマは、弁護士を通じて、今回の司法省による再開要請が検察による手続き引き延ばしのための裏工作であり、デ・リマ側から提示された証拠に対する反証が1ヶ月以上経過してから出てくることに疑問を呈している。

 前回、デ・リマ側は、検察側が決定的な証拠として利用した元矯正局のラファエル・ラゴスによる、「デ・リマにドラッグ資金を届けた」という証言に関して、後にラゴスがその証言を撤回したことを無実の証拠として提示した。新しいラゴスの証言では、ビタリアーノ・アギーレ2世元司法長官に強要され、虚偽の証言をしたと明らかにした。  

 今回、検察側が提示する「証人」は、デミテア・ウエルタ弁護士である。彼は、ニュービリビッド刑務所での違法薬物取引にデ・リマを関与させる宣誓供述書の作成において、ラゴスに「虚偽」証言をさせた公設弁護士の1人である。

― バイデンはデ・リマ解放をマルコスとの会合条件とすべきだった

 ニューヨークを拠点とするヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は4月28日、マルコス大統領は、来週米国公式訪問でジョー・バイデン米大統領と会う前に、政府批判者、特にデ・リマ元上院議員とノーベル平和賞受賞者でジャーナリストのマリア・レッサに対するすべての「政治的動機による訴追」を終わらせるべきであり、さらに、バイデン大統領はマルコス大統領に対し、デ・リマとレッサに対する裁判を却下させるよう「公に呼びかける」べきだと発表した。

 「ホワイトハウスは、デ・リマがまず拘束から解放されることを条件に、バイデン-マルコス会談に同意すべきだった」とHRWのアジア・アドボカシー・ディレクター、ジョン・シフトンは声明で述べている。

 シフトンはまた、国内外から非難を浴びたドゥテルテ政権のドラッグ戦争による数千人の犠牲者を想起した。

 さらに、シフトンは、活動家、ジャーナリスト、先住民族の超法規的殺害や、「赤タグ付け」(共産主義反乱軍と関係があるとして個人やグループにレッテルを貼ること)を通じて批判者に嫌がらせをするケースもあったことに言及した。彼は、昨年マルコスが当選して以来、米国は国防費を中心にフィリピンへの援助を「大幅に増やした」が、それは、「人権侵害者の責任追及を政府が進展させることを条件としていた」はずだと指摘した。彼はバイデン大統領と米国議会のメンバーに対し、フィリピンの指導者に 「人権保護に実質的な進展があった場合にのみ、改善された二国間関係を維持できる」ことを明確にするよう促した。

トピック3:抜粋:バイデンとマルコスの米比共同声明

― 平和と安全保障のためのパートナー

 バイデン大統領は、フィリピンに対する米国の鉄壁の同盟関係を再確認し、南シナ海を含む太平洋におけるフィリピン軍、公船、航空機に対する武力攻撃は、1951年の米比相互防衛条約第4条に基づく米国の相互防衛の約束を発動することを強調した。

 両首脳は、米比防衛協力強化協定に基づき、フィリピンの安全保障を強化し、フィリピン軍の近代化目標を支援するとともに、フィリピン全土の地域社会への米国の投資を促進し、人道支援や災害救援を迅速に行う両国の共有能力を向上させる新たな拠点の特定を歓迎する。

 両首脳は、南シナ海における航行と飛行の自由に対する揺るぎないコミットメントと、国際法に基づき排他的経済水域内の国家の主権を尊重することの重要性を強調する。両首脳は、フィリピンの漁民が伝統的な生計を追求する権利と能力を支持する。首脳は、国連海洋法条約(UNCLOS)に基づき構成された2016年の仲裁裁判所の裁定に留意する。両首脳は、世界の安全と繁栄に不可欠な要素として、台湾海峡の平和と安定を維持することの重要性を確認する。両首脳は、ウクライナの主権、独立及び国際的に認められた国境内の領土保全に対する支持を伝えるとともに、紛争がインド太平洋地域の食料及びエネルギーの安全保障に悪影響を及ぼしていることを指摘する。

 両首脳は、国際法と相互尊重に対する米国とフィリピンのコミットメントを共有するパートナーとの協力を歓迎し、その精神に基づき、ASEANの重要性とインド太平洋に関するASEANアウトルックへの強い支持を再確認した。また、フィリピン、米国、オーストラリアと同様に、フィリピン、米国、日本の3カ国協力体制を確立することを期待する。さらに、自由で開かれたインド太平洋を推進するための努力を通じて、ASEANを中心とした平和で安定した規則に則った地域を支援するというクワッド(筆者注:米国、日本、オーストラリア、インド)のコミットメントを歓迎する。

― 繁栄と強靭さを実現する

 バイデン大統領とマルコス大統領は、米国、フィリピン、そしてより広いインド太平洋地域の永続的な経済成長と繁栄を促進するために、両者のパートナーシップの強みを生かすことを決意する。そのために、バイデン大統領は、フィリピンのイノベーション経済、クリーンエネルギー移行と重要鉱物分野、国民の食糧安全保障に対する米国企業の投資を強化するため、大統領貿易投資使節団を代理としてフィリピンに派遣する。

(中略)

 両首脳は、気候危機が世界にとって存亡の危機であり、フィリピンが気候変動の影響に対して特に脆弱であることを認識し、温室効果ガスの排出を削減するための緊急行動をとることを再確認した。両首脳は、再生可能エネルギー生産に関する協力を拡大し、クリーンエネルギーへの移行を加速させるとともに、エネルギーコストを引き下げ、家庭におけるエネルギーアクセスを拡大することを決意する。両首脳は、米国とフィリピンの民生用原子力協力協定(「123協定」)の交渉が進展していることを歓迎する。

(中略)

 両首脳は、強固な民主主義制度、法の支配及び表現、報道及び結社の自由を含む人権の尊重の重要性を強調し,市民社会、女性、子供及び疎外された集団に対する暴力など,我々の社会におけるあらゆる形態の暴力に対抗することの重要性を指摘する。

(中略)

 バイデン大統領とマルコス大統領は、将来に向けて、米国とフィリピンがパートナーシップ、平和、繁栄という共通のビジョンを実現し続けることにより、両国の国家と国民の間の特別な絆は、時間とともにさらに強くなっていくと最大限の自信を示す。

◆今週のトピックス解説:マルコス訪米(その1):米比声明から見えてくるもの

 5月1日、マルコス大統領が米国を公式訪問しました。そして、フィリピンを米国の対中戦略に組み込むためにバイデン政権がマルコスに準備した「お土産」も徐々に明らかになってきています。米国の対中戦略におけるフィリピンの役割とそのための「お土産」の大枠は、トピック3で紹介した米比共同声明に既に明記されています。

 もちろん、声明の内容の全てが確実に履行されることはありませんし、むしろ、表面的な内容と実行との乖離に注目することが、バイデン政権およびマルコス政権の真の狙いを明らかにする上で重要です。その作業は次回以降の試みとなりますが、ここでは、両政権の狙いについて分析する上で、今後注目に値するいくつかの気になるポイントについて、簡単に紹介したいと思います。個々のポイントに関しては、マルコス大統領が帰国した後、米国訪問の成果が明らかにされる次週に改めて解説したいと思います。

― 関係強化でマルコス政権の直面する問題

 まず、今回の米国との関係強化でフィリピンが直面した問題を見てみましょう。フィリピンは、米国という南シナ海での強力な後ろ盾を得た反面で、中国の面子を潰す2つの選択を強いられることとなりました。

 1つは、マルコス大統領が何度「一つの中国」尊重を強調しようとも、台湾有事を見据えた米国との防衛協定の強化は台湾の併合にノーを突きつけるに等しい選択であることです。フィリピンの米国との関係強化は、台湾有事に際しての米中パワーバランスを米国に大きく傾けるからです。

 そして、もう1つは、2016年の仲裁裁判所による裁定を利用せずに南シナ海の領海問題を解決するとの習国家主席との約束を反故にする選択をしたことです。

 一国レベルでは圧倒的に政治・経済・軍事の全ての面で中国に劣っているフィリピンにとって、中国からの直接的な敵意を買うことはなんとしても避けなければならない筈です。

 加えて、マルコス大統領も中国という民主主義を押し付けない「金ヅル」を失い、さらに政治家としての自身の強みでもある中国との親密さも失います。習政権と同様、南シナ海の領海問題を2国間で交渉して解決するとする自身の公約も覆さなければなりません。  

 当然、米国はそれらに見合うだけの大きな見返りを準備しているはずです。それも、フィリピンがさらに米国に軍事的な依存を高めざるを得ない見返りを。大統領選挙への出馬意欲を示したばかりのバイデン大統領にとって、中国を挟んだフィリピンの取り合いは彼の支持率を大きく左右します。そのため、今回のマルコス大統領の訪米で米国民にもしっかりと成果をアピールできるような「サプライズ」を準備しているのではないかと思います。

― 米国の対中ロ戦略の拡大共同戦線に組み込まれるフィリピン

 緊張高まる米国の対中ロ関係において、フィリピンを確実に米国陣営の側に立たせる基盤として、何よりもまず1951年の米比相互防衛条約を前面に持ってきました。この条約は、同年に調印された日米安全保障条約(所謂、旧安保)、1953年に調印された米韓相互防衛条約、1954年の米華(台湾)相互防衛条約とともに、東西冷戦下、米国のアジア反共戦略の基盤となっていた無期限条約です。

 声明で触れられている第4条は以下の通りです。

 各締約国は、太平洋地域におけるいずれか一方の締約国に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」

 この条約により、米国は台湾と接するフィリピン領海において、同盟国フィリピンの危機を理由として国連の決議を必要としない行動(集団的自衛権)を正当化します。  

 声明は、さらに国連海洋法条約に基づいた領海秩序を持ち出します。これにより、国連とその国際ルールを引っ張り込み、攻撃されたフィリピンの主権を守ると主張することで国連決議なき軍事行動をとったとしても国際ルールの理念に則った防衛であるとの言い訳ができます。さらに、日米比、米比豪の2つの3カ国間の集団的自衛権をも正当化するのです。将来的に、インドやASEAN諸国との共同戦線も視野に入っていることは間違いありません。

― 経済産業支援

 マルコス大統領訪問前からすでに米国政府によって準備されていた(当然、両国の官僚間で内容の調整はされているはずの)声明は、当然、「お土産」の大枠についてもしっかりと触れた内容になっています。

 まず、何よりマルコス政権、そしてフィリピン国民が最低限の安心を得られるような米軍および拡大共同戦線としての日本、オーストラリア、将来的にはインド(インドが共同戦線に積極的に加入すると信じるフィリピン人は多くないと思いますが)や韓国、他のASEAN諸国によるコミットメントです。加えて、マルコス大統領訪問2日目に軍用の船や戦闘機といった軍事力強化支援の約束もなされたようです(詳細は次週)。  

 中国との間で揺れるマルコス政権にとって重要なのは、経済産業支援です。「約束するとも履行せず」の中国政府の経済産業支援約束は、金額だけは巨額でした。マルコス政権としては、そのインパクトを超えるだけの金額と内容を当然期待しているでしょう。

 声明は、フィリピンのイノベーション経済、クリーンエネルギー移行と重要鉱物分野、国民の食糧安全保障が明記されています。特筆すべきは、具体的に原子力発電所が明記されている点です。原子力発電の再開にこだわり続けてきたマルコス大統領へのサプライズの一つではないでしょうか。その他、マルコス政権が直面している難題を解決するための支援が準備されているはずです。原子力発電所と共に真っ先に紹介された電気オートバイ工場の誘致もその1つです。

― 民主主義

 人権擁護団体が注目している民主主義、人権、自由については、どうなるのでしょうか?声明文では、それらを損なう社会的暴力と共に戦うことが明記されてはいます。国際刑事裁判所(ICC)に関しては、加入していない米国がフィリピンに再加入を強いることはないように思います(ブリンケン国務長官がICCによるプーチン逮捕状に言及して各国の協力を要請したことはありますが)。

 そして、明るみになることはないでしょうが、司法をはじめとしたフィリピンの主権に立ち入らないことをバイデン政権が裏でマルコス大統領に確約している可能性も否定できません。この点に関して、まずは、ドゥテルテ前政権への批判を理由に不当に長期勾留されているとされるデ・リマへのフィリピン政府や司法省の今後の態度が一つのリトマス試験紙となることでしょう。まずは、来週金曜日に予定されている判決に注目です。

(次週に続く)

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