栗田英幸(愛媛大学)
覆された赤タグ付け予算/高騰する玉ねぎは政府の失敗か/危険な遊戯か?なんちゃって政府系ファンド設立の動き
今週は3つの出来事が紙面で大きな注目を集めました。1つは2023年予算案についてです。23日に上院を通過した予算案が両院協議委員会での最終的な擦り合わせ審査に入り、23日の時点で削減された汚職や人権抑圧の基と目される資金が再び元の金額に戻されてしまいました。2つ目は、主要食材の1つである玉ねぎの価格が急上昇していることに関して。最後は、フィリピン経済を福祉制度もろとも吹き飛ばす危険を有する政府系ファンド設立の動きについてです。
私自身、これを政府系ファンドと呼ぶのに抵抗ありますが、解説では、そもそものネーミングセンスやこの基金の危険な理由について説明を加えたいと思います。
◆今週のトピックス
トピック1:覆された赤タグ付け予算
― 覆された「最初の勝利」
10月と11月にそれぞれ実施された下院および上院での予算審議において、地方共産党の武装闘争を終わらせるための国家タスクフォース(NTF-ELCAC)予算、およびサラ副大統領オフィスをはじめさまざまな政府機関の機密費は、大幅に削減された。女性政党ガブリエラは、特にNTF-ELCAC予算の増額要求を退け半額の50億ペソに削減したことを「最初の勝利」と喜んだ。しかし、12月に実施された上下院擦り合わせの両院協議委員会での審議を経て、これら「最初の勝利」は簡単に覆された。
12月5日の同委員会の発表では、フィリピン政府による人権抑圧や汚職問題を追及する市民団体や専門家グループが特に危惧する、サラ副大統領のオフィスと教育省に配分される機密費やNTF-ELCACの予算が、削減される前の金額に「回復」したことが明らかにされた。
NTF-ELCACは、今年度予算額56億ペソのほぼ倍額の100億ペソを2023年予算として当初要求したが、両院協議委員会前に50億ペソへと削減されていた。サラ副大統領兼教育長官に準備された機密費も同様に削減されていたが、それぞれ5億ペソ(12.3億円:1ペソ2.47円)と1.5億ペソ(3.7億円)の総計6.5億ペソ(16億円)が確保された。
― 議会の機能を超えて不透明決定過程?
人権団体カラパタンのクリスティーナ・パラバイ事務局長は、「NTF-ELCACの予算を精査するために公開で行われたすべての会議での質疑と議論の後、両院協議委員会が、マルティン・ロムアルデス下院議長とサンドロ・マルコス上級副議長の指示だけで突然後退してしまったことは、特に不愉快だ」と語った。
上院野党リーダーのアキリーノ・ピメンタルⅢ上院議員も「これは問題だ。両院協議委員会は、まるで第3の議会のように振る舞っている」「下院が50億ペソだと言い、上院が同意し、そして両院協議委員会が100億ペソにした? 委員長、なぜこのようなことが生じるのでしょうか?」と、2023年予算を報告したソニー・アンガラ上院議員に強い疑問を投げかけた。
上院、下院でのオープンな議論と異なり、両院協議委員会は密室で行われており、5日の委員会発表では具体的な議論は明らかにされていない。本予算案は、今後、両院で承認手続きが行われ、マルコス大統領の署名によって確定される。
トピック2:玉ねぎの価格高騰は政府の失敗か?
― 高騰する玉ねぎ
玉ねぎの価格が高騰している。今年8月19日のメトロマニラでのキロ当たりの赤玉ねぎの価格140ペソ(346円)は、10月31日180ペソ(445円)、11月4日200ペソ(494円)、11月11日250ペソ(618円)、そして、12月初旬現在280-300ペソ(692-741円)にまで高騰した。農業省によると、赤玉ねぎの極度の品薄は11月いっぱい続くが、12月半ば頃には高い価格に反応して農家も早めに収穫を行い、中間業者も素早く市場に供給するため、価格は多少軽減される見通しである。
しかし、そもそも玉ねぎを生産する農地が過小であることが昨年より指摘されており、政府による拡大支援も行われてきた。しかし、赤玉ねぎ栽培農地の縮小に歯止めはかかっていない。それ以上に安価な玉ねぎが海外から大量に輸入され続けていたためである。赤玉ねぎはフィリピン一般世帯にとって重要な食品であることから、政府による更なる積極的・効率的な支援を通した国内生産能力の拡大が望まれている。
― 政府の失敗なのか?
また、ほとんどの玉ねぎ農家は前回収穫分を6月までに出荷しており、現在市場に出回っている赤玉ねぎのほとんどは冷蔵施設を有する大規模仲介業者から供給されるものか、輸入品である。英字大衆紙インクワイヤラーの農家インタビューによれば、農家は価格高騰の恩恵を全く受けていない。現在、農業省や統計局は、仲介業者や輸入業者による価格操作の可能性含めて市場調査を行っている。
アナックパウィス党は、今回の事態を政府の「失敗」であるとして強く非難する。さらに、「重要なのは、安価な海外産の輸入が地場産業を萎縮させている点である」と指摘する。
トピック3:識者から懸念噴出、危険なマハルリカ・ファンド
― マルコス・ファミリーから出されたマルコス大統領のアイデア
12月3日、マルコス大統領の従兄弟マーティン・ロムアルデス下院議長およびマルコス大統領の長男サンドロ・マルコス下院議員らは、11月28日に政府系ファンド「マハルリカ・ウェルス・ファンド(以下、マハルリカ・ファンド)」の創設を盛り込んだ法案(下院法案No. 6398)を下院に提出したことを公表した。ジョエイ・サルセダ下院議員によると、発案自体はマルコス大統領によるものである。
このマハルリカ・ファンドは、主にフィリピン政府からの出資金を基金として「投資機会を改善し、生産性を高める投資を促進し、フィリピンが投資の目的地になるようにする」。提案者たちからは、フィリピン政府の開発プロジェクトと貧困削減に利用されるとも説明されている。総額2500億ペソ(6176.3億円)を想定する本法案は、フィリピン政府がその10分の1を出資する他、総額の半分を公務員保険機構(GSIS)、残りを社会保障機構(SSS)やフィリピン土地銀行、フィリピン開発銀行、フィリピン中央銀行、フィリピン娯楽賭博公社(POGO)からの出資金によって賄われる。
近年、多くの国がこのような政府系ファンドを創設する傾向にあり、ロムアルデス下院議長によると、この法案はシンガポール、中国、香港、韓国、インドネシア、台湾など49カ国の経験を基にしている。財務省ベンジャミン・ジョクノ長官によると、この法案はマルコス大統領の「お墨付き」を既に得ている。
提出議員らは、翌週12日の早期に下院で承認を得るよう既に議員に働きかけている。5日には下院にてグロリア・マカパガル-アヨロ元大統領が登壇し、マハルリカ・ファンドについて改めて説明するとともに議員からの質問に答えた。
― マレーシアの二の舞を危惧
多くの識者は、フィリピンのマハルリカ・ファンドがマレーシアの1MDB(1 Mayaysia Development Berhad)と同様に汚職の温床になるのではないかと懸念を示した*。
デ・ラ・サール大学のデービッド・ミカエル・サン・フアン教授は12月1日にオンライン署名を開始し、すでに約2万5000人の反対署名を集めた。さらに、5日には、マカティ・ビジネス・クラブをはじめ数多くの企業団体や政策提言団体が共同声明を出し、マハルリカ・ファンドに対して「重大な懸念」を表明した。
12月6日の香港英字紙サウス・チャイナ・モーニング・ポストの識者インタビューには、「国際信用を悪化させるかもしれない」「マルコス・ファミリーの未回収不正蓄財の海外送還を可能にするかもしれない」「資金洗浄に利用されるかもしれない」「運用する理事会についてあまりにも不透明」といった数多くの批判や強い懸念が掲載されている。
*1MDBは2008年にマレーシアで設立された政府系ファンドであり、2014年までに数十億ドルの債務超過と債務不履行に陥った。世界中を巻き込んだ長年の国際的な調査により、1MDBは、ナジブ・ラザク元首相の個人口座に紐づき、国際的な資金洗浄を経て世界的な汚職システムと化していたことが明らかになった。2020年にラザク元首相は禁錮12年と罰金2.1億リンギット(約52億円)の判決を受けた。
◆今週のトピックス解説
マハルリカ・ファンドは危険な遊戯
― 名は体を現す?
マハルリカは、タガログ語で威厳や尊厳、高貴さを示す単語です。マルコス(シニア)時代にフィリピンで流行った歌「Ako ay Pilipino, ang dugo’y Maharlika(私は高貴な血を持つフィリピン人)」は、イメルダ・マルコスの依頼で作成されたと言われており(このYouTubeチャンネルで聞くことができます https://www.youtube.com/watch?v=XBmD51IiGCY)、日本占領下、マルコス・シニア元大統領が率いていたとされる(実はでっち上げられた)ゲリラ組織の名前もマハルリカでした。2019年にはドゥテルテ大統領が国名をフィリピンからマハルリカに変更したいと発言して騒がれていたこともありました。
またしても、「良きマルコス(シニア)時代」の復古を目論むかのような法案がマルコス・ファミリーから提出されました。コンセプト自体は他国の経験から出てきているとの提案者の発言ですが、後で述べるように、専門家からすると政府系ファンド(ソブリン・ウェルス・ファンド)という名前でデコレートしただけの散臭い別モノ(表面的には政府系ファンドっぽいけど内実は全く異なるもの)にしか見えません。
ただ、いつものことですが、マルコス・ファミリーが捻り出してくる国民の心を惹きつけるイメージ戦略には、本当に脱帽(呆)させられます。先に紹介した歌で歌われた「フィリピン人であることに誇りを持ち、1つになってフィリピンを作り出すよう鼓舞する」歌詞と、国民一人一人が出資者として国の発展に参加する(強制的に参加させられる)法案のコンセプトはぴったりと一致しています。そして、この歌を聞くたびに、「私の国フィリピンのために」という歌詞が、「イメルダ(もしくはマルコス・シニア)のために」と聞こえてしまうのも皮肉です。
― 名ばかりの政府系ファンド
政府系ファンドと訳されるソブリン・ウェルス・ファンドは、国家の金融資産を積極的に運用するファンドです。一般的には、貿易黒字や資源税収で膨大な外貨準備を有する国が利用する手法ですが、フィリピンはそのどちらにも当てはまりません。何より重要なのは、その運用理念です。ファンドは単に開発資金を生み出す打出の小槌ではなく、、次世代を見据えた長期的な視点に立ち、膨大な外貨収入によるマクロ経済の歪みを修正するものであり、経済開発の下で軽視されがちな人間開発の促進、汚職抑制能力強化が重視されます。
しかし、マハルリカ法案を見る限り、マクロ経済を歪ませるような膨大な外貨準備金などありませんし、次世代までを見据えたマクロ経済的な資源分配という視点も皆無です。単に、これまで効果的に運用できていなかった年金制度や保険制度、そして、ギャンブル収益等をマハルリカ・ファンドに集め、一括して運用しようというものでしかありません。
― マルコス・シニア時代の二の舞になる未来しか見えない
「なんちゃって」政府系ファンドと揶揄はしていますが、このようなファンドを上手く機能させられるのであれば、それはフィリピン経済にとって非常に有意義なことです。それでは、効果的に機能させるためには、どのような条件が必要なのでしょうか?
政府系ファンドで最も重要かつ困難であるのは、資金の流れと利用決定過程の透明性を確保し、政治目的と切り離し、安全かつ堅実な資金運用を行うことです。だが、マハルリカ・ファンド構想は、全ての面で完全に破綻しています。
政府プロジェクトを見据えた時点で完全に政治目的に沿ったものとなっており、マルコス大統領の姉アイミー・マルコス上院議員も(珍しくも)懸念を表明したように、全く先行きの見えない国際情勢の下で安全かつ堅実な資金運用をすることはできません。時期が最悪です。透明性に関しても最悪です。法案では、国の監査から免除され、理事会は議会ではなくマルコス大統領に報告するのみ、そして、資金運用において、理事会とファンドマネージャーの自由裁量が非常に大きなものとなっています。
上記の理由から、マハルリカ・ファンドからは、マレーシアの二の舞というか、やはり巨額の公金を私物化し効率無視の運用で経済を破綻させたマルコス・シニア時代の二の舞となる未来しか見えて来ません。個人的にいつも感心させられるのは、マルコス大統領発案のアイデアは、いつも父マルコス時代を復古させるものであり、しかも、当時の不正蓄財方法まで時代に沿った形で復古させようとしているように見える点です。
― マルコスの便利な打出の小槌にしてはいけない
これまでも数々のアイデアを形にしてきたマルコス政権ですが、さすがに今回の案はリスクの規模が異なります。国家経済が吹っ飛びかねないのみならず、国民がコツコツと積み上げてきた保険や社会保障すら崩壊しかねません。これら2つの制度は、フィリピン人が汚職の横行する社会で、長期的な視点から社会的選択を行う上で非常に重要な社会的基盤にほかなりません。まだ脆弱ですが、時間とともに多くの貧困者に届くようになっており、今後も大切に育てていかなければなりません。もちろん、それら資金を適切に運用することは必要ですが、今回の法案のような政治家の便利な打出の小槌の如く軽率に使われて良いものでは決してないのです。
〈Source〉
Congress ratifies proposed 2023 budget after bicam approval, Rappler, December 5, 2022.
Congress restores NTF-ELCAC’s P10-billion budget, ABS-CBN, December 5, 2022.
DepEd to keep its P150-million intel funds in 2023 budget, Inquirer, December 6, 2022.
Diokno says proposed Maharlika investment fund has been in the works for some time now, ABS-CBN, December 1, 2022.
Filipinos slam Marcos’ sovereign fund idea amid fears it could end up like Malaysia’s 1MDB, Souoth China Morning Post, December 6, 2022.
House Bill No. 6398, Republic of the Philippines House of Representatives, November 28, 2022.
House leaders to seek full restoration of slashed NTF-ELCAC budget for 2023, Rappler November 30, 2022.
Imee Marcos frowns at proposed ‘Maharlika Investment Fund’, ABS-CBN, Decenber 2, 2022.
Maharlika’s many red flags, Inquirer, December 5, 2022.
NTF-Elcac gets P10 billion back as bicam restores fund cuts, Inquirer, December 6, 2022.
Nueva Ecija onion farmers feel no gain from high prices, Inquirer, December 2, 2022.
Pimentel hits P10B NTF-Elcac budget: ‘Bicam acting like a third house of Congress’, Inquirer, December 5, 2022.