<新企画>今週のフィリピン・ダイジェスト
(7月30日~8月4日)

【写真】ICCへの再加入を否定する「ボンボン」マルコス大統領/via PH has no intention of rejoining ICC: Marcos, PNA, August 1, 2022.

栗田英幸(愛媛大学)

※毎週金曜日は、この1週間に起こった出来事の中からフィリピンの人権侵害に関係する幾つかの出来事について簡単な解説とともに紹介します。

 新政権発足から1ヶ月が経ちました。この1週間でドラッグ戦争や反共作戦に伴う深刻な人権侵害を大きく規定する重要な決定が複数なされています。7月30日には、国内外で注目されてきた国際刑事裁判所(ICC)への再加入の是非についてフェルディナンド・「ボンボン」・マルコス(以下、「ボンボン」マルコス)大統領自身の口から直接語られ、上記作戦の実行組織である警察および政府軍に関係する重要ポストもようやく決定しました。
 また、故マルコス大統領による戒厳令を題材とした、全く異なる2つの映画がフィリピン全国で放映され、どちらも長蛇の列を作り出しています。2022年選挙で鮮明となった戒厳令評価の分断が、再び映画の分野で繰り広げられているのです。
 今週のトピックス解説では、ICC離脱と新人事の2つのトピックを取り上げます。

◆今週のトピックス

―トピック1:国際刑事裁判所(ICC)に再加盟せず 
 国内外で注目されてきた、ドゥテルテ政権が2019年に脱退したICCへの再加盟について、その意思はないと「ボンボン」マルコス大統領は7月30日の記者会見で記者団に語った。
 フィリピンを担当してきたICCのカーン検察官は、フィリピンのICC加盟期間に関しICCの調査権限があると主張して、フィリピンがICCから脱退した後も予備調査を進めてきた。そして、その予備調査の内容を元にICCは昨年9月に本格的な捜査を承認した。
 しかし、カーン検察官を通したICCによるフィリピン政府への度重なる捜査協力要請に対し、ドゥテルテ政権は国家主権を根拠にICCの捜査権限を否定し、ICCへの調査協力も拒否し続けてきた。その一方で、ドラッグ戦争に伴う深刻な人権侵害への国際的な批判に抗し、また、フィリピン政府の自浄能力を示すために独自調査を行い、警察による「容疑者」の違法な殺害を認める中間報告書を公表している。(大統領官邸、ICCの捜査再開要請に反発,SAC,2022年6月28日.)
 同記者会見において「ボンボン」マルコス大統領は、フィリピン政府が調査を継続している最中であること、加えて大統領自身がその調査を把握しているのだから何の問題もないこと、ICCという外部組織による調査の必要性はないことを強調した。他方、カーン検察官は、フィリピン政府の調査書が組織的な関与の観点を無視している点を批判している。

― トピック2:国軍・国家警察・国家警察捜査局のトップが決定
 フィリピン国軍(AFP)の新参謀総長に任命されたバルトロメ・ビンセント・バカロ陸軍中将は、現在、ルソン島南部司令部で司令官の任に就いている。バカロ将軍は1991年のイサベラ州での共産党軍事部門新人民軍(NPA)との長時間にわたる厳しい戦闘により、英雄的行為を示した兵士に贈られる最高の勲章である栄誉勲章を授与された輝かしい経歴を持つ。
 フィリピン国家警察(PNP)長官に新たに任命されたのは、ロドルフォ・アズリン警察中将である。彼は、ルソン南部警察の司令官を勤めた後、現在は北部警察の司令官に就いている。
 また、国家捜査局(NBI)局長には、メダルド・デ・レモスNBI局長代行が指名された。

― トピック3:選挙管理委員会の暫定委員長が決定
 8月1日、候補者の資格審査のみならず選挙のルールや実施を中心的に担う選挙管理委員会の暫定委員長として、敏腕弁護士として名を馳せるジョージ・ガルシアが任命された。ガルシア弁護士は、2016年、「ボンボン」マルコスの副大統領選落選時に「ボンボン」マルコスの代理人として、選挙結果についてロブレド元副大統領の弁護団と法廷で闘った。ガルシア弁護士の選挙管理委員長への配属が国会で承認されると、2028年の次期大統領選挙の実施を彼が指揮することとなる。

― トピック4:映画にまで拡張する戒厳令論争
 8月3日、戒厳令を題材にした2つの映画が一般公開された。「カティプス」は、戒厳令下で理想のために国家権力と戦う若者たちの物語であり、戒厳令の暴力性を描き出している。もう1つの映画「マラカニアン宮殿のメイド」は故マルコス大統領がハワイに国外逃亡するまでの72時間を人間味あふれるコメディータッチで描いた物語であり、一般のフィリピン人と同じ「等身大」のマルコス一家の姿を描き出している。
 どちらも長蛇の列を作る人気を博し、戒厳令の「真実」について、さまざまなレベルで議論が沸騰している。

◆今週のトピックス解説

― ICC、国際仲裁裁判所、EITI:3つの「国際秩序」からの離脱
 ICCによる調査と再加盟を否定した影響は、ドゥテルテ元大統領についての追及や今後のドラッグ戦争や反共作戦の手段に影響を与えるだけにとどまりません。これまで依存してきた、欧米諸国中心に作り上げられてきた人権や環境といった「普遍的価値に基づいた国際秩序」との新たな関係性、ひいては、フィリピンだけでない世界中の国々の「国際秩序」に対する新たな動向を把握する上でも重要な決定です。
 ICCからの離脱は、「ボンボン」マルコス政権への政権移行が決定してからの3つ目の大きな「国際秩序」からの離脱といえます。
 1つ目は、西フィリピン海(フィリピンの主張する南シナ海のフィリピン領海)の領海を巡る中国との摩擦に関する「国際秩序」を介した解決手段からの離脱です。「ボンボン」マルコス大統領は、2022年大統領選挙の公約の1つとして、2016年に出された国際仲裁裁判所によるフィリピンの領有権を認める判決を利用せず、フィリピン独自の交渉による領海摩擦の解決をあげていました。「ボンボン」マルコス大統領は、その理由を、中国が従うつもりのない国際仲介裁判所の判決の効力を信じることはできないと何度も説明しています。そして、7月25日に行われた第1回目の施政方針演説でも、欧米諸国の権威に依存しない全方位外交とでも言うべき外交戦略が語られました。
 つづいて、「ボンボン」マルコス政権への引き継ぎ作業の進む6月末に、多くの資源産出国が参加している採取産業透明化イニシアティブ(EITI)からの脱退を決めました。これが2つ目の「国際秩序」からの離脱です。EITIは、「資源の呪い」を軽減・解決するために導入された、利害関係主体や国内外市民社会による共同的な取り組みです。「資源の呪い」とは、資源開発による無秩序な開発と利益分配が、資源国や資源開発地域に深刻な社会的問題と混乱をもたらすことです。
 フィリピンは、EITIガイドラインに沿った改善により鉱山関係の透明性が著しく改善され、市民社会や専門家による監視の目が行き届くようになりました。EITIが鉱山開発に付随する摩擦や被害を大きく抑えてきたことは間違いありません。一方で、人権や環境への配慮が少ない地域エリートによる企業や中小企業にとっては、邪魔な取り組みでもあります。環境天然資源省(DENR)は、資源利益を監視し適切に利用するためのノウハウをフィリピンが獲得していることに加え、EITIの評価基準に対する強い不信感を説明した文書をEITI本部に送付し、EITIからの脱退手続きを行ないました。
 そして、今回のICCへの再加入拒否が、これまでの西側諸国によって作り出されてきた「国際秩序」からの部分的離脱の新たな1歩であることは疑うべくもありません。しかし、フィリピンの抱えている問題が解決した訳でも、新たな解決策が提示されている訳でもありません。
 1960~70年代、フィリピンをはじめ多くの国々が東西冷戦を利用して「国際秩序」から距離を置き、独自路線を模索しました。彼らは元宗主国からの独立と自立的な発展を期待しましたが、皮肉にも故マルコス大統領のような独裁政権と、それによる極度の政治経済的混乱、そして、政府へ抵抗する市民の虐殺を世界中で生み出してしまいました。現在私たちを取り巻く世界状況は、当時と似た条件を次々と作り出しているようにも見えます。

― 地味な警察・政府軍関連人事の示すものは?
 国内外で「人道への罪」や「超法規的抑圧」との強い批判の根拠となっている赤タグ付けを通した反共作戦に対して、「ボンボン」マルコス大統領はドラッグ戦争の継続を明言しつつも、未だ明確な方向性を示していません。司法省には赤タグ付けの強硬派であるジーザス・クリスピン・レムリアを長官に据えつつ、国家安全保障顧問には赤タグ付けを時代遅れで効果が乏しいとして廃止を訴えるクラリスタ・カルロスを任命しました。そして、任命者である「ボンボン」マルコス大統領は、両主張を巡る激しい議論と世論を静かに見守っているかに見えます。
 大統領選挙の頃より見られたこうした観察姿勢は「ボンボン」マルコスの基本的な決定プロセスの1つなのかもしれません。そして、8月1日、反共作戦やドラッグ戦争を担う国家警察と国軍、国家捜査局(NBI)のトップ人事がようやく発表されましたが、その人選は、「ボンボン」マルコス大統領のドラッグや反共に対する手段を予測するという点において、特徴のないものとなりました。大統領直属の補佐官室の命令に従う手足としての位置付けが強く反映された、実務能力重視の人選であり、まさに「ボンボン」マルコス政権の特徴が強くあらわれた人事であったと捉えることができるのかもしれません。

〈Source〉
Bongbong Marcos appoints Medardo De Lemos as NBI director, Inquirer, August 1, 2022.
Bongbong Marcos picks Azurin as PNP chief, Bacarro as AFP chief-of-staff, Inquirer, August 1, 2022.
Former Marcos election lawyer George Garcia named Comelec chair, philstar, August 1, 2022.
‘Katips’ director hopes Famas buzz spells big audience, Inquirer, August 3, 2022.
Marcos has no plans of rejoining ICC. What now?, Rappler, August 1, 2022.
Marcos names Bacarro new AFP chief, first under 3-year fixed term, Rappler, August 1, 2022.
Marcos wants PH-China talks to go beyond the West Philippine Sea issue, CNN Philippines, July 5, 2022.
‘Philippines has no intention of rejoining the ICC’: Marcos Jr, Aljazeera, August 1, 2022.
PH withdraws from global transparency initiative on mining, fuel, CNN Philippines, June 22, 2022.

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