大橋成子(ピープルズ・プラン研究所、APLA理事)
新年早々1年ぶりにネグロス島を訪ねた。前回はコロナ禍がようやく明けた時期で、空港も市街地もまだピリピリと緊張していたが、今年は、まるで何もなかったかのように街頭や市場には人が溢れ、一見すると以前の賑やかな日常生活が戻ったかのようだった。
― 高騰する米の値段
今回は特定非営利活動法人APLAの仕事で主に山岳部にあるバナナ産地に滞在していたため、バコロド市内を巡ったり、ネグロス島全体の様子に触れる機会は少なかったが、何日か滞在する中で、明らかにコロナ禍前と違う光景をあちこちで感じた。
まず驚いたのは、物価の高騰だ。米の値段がコロナ禍前の1キロ40~50ペソから60ペソ(1ペソ=約2.6円、2024年1月の為替レート)に跳ね上がっていた。フィリピン人は、一日3食満足に食事する場合、一人平均10㎏/月の米を消費すると言われている。かつて私の家も、育ち盛りの5人の子どもと7人家族で、店頭で売られている最大50㎏の米袋では一ヶ月はもたず、常に予備の米が必要だった。22年6月に就任したマルコス・ジュニア大統領は選挙公約で、米の値段を1キロ20ペソまで引き下げると豪語したそうだが、一年半以上たった今も米価の高騰は続いている。フィリピンはいつから農業国ではなくなったのだろう。すでに40年前から米の生産は不足し、中国・タイ・ベトナムからの輸入が続いている。
※APLA(あぷら)は、日本を含むアジア各地で「農を軸にした地域自立」をめざす人びとどうしが出会い、経験を分かち合い、協働する場をつくり出すことを目的に、2008年に発足した特定非営利活動法人。
― 砂糖も輸入?
米と同じくらい庶民にとって重要な砂糖の価格も19年の 1キロ40~50ペソから100ペソ前後まで高騰していた。これも原料の国内産サトウキビの供給不足によるもので、フィリピンに比べて生産性が高く安価なタイやマレーシア、ベトナム産の輸入で賄う状況が続いていた。ここ数年で輸入量は増加する傾向にあり、伝統的な砂糖の輸出国が今では輸入国に転じる事態になっているという。
バコロドで会った砂糖生産者協会のレイ・モンディハ氏によると、サトウキビの供給不足の背景には、21年にフィリピン全土を襲った超大型台風オデットなど一連の自然災害に加えて、全国のサトウキビ農園の減少に原因があるという。政府は農地改革を実施したことを理由のひとつにしているが、大農園が農地改革によって減少したからではなく、農地を住宅地や商・工業用地に転換することで、土地を手放さなくてもよいとされる農地改革法の付帯条項を利用して、地主たちが積極的に農地を転換したことが大きな理由だ、とモンディハ氏は言う。
― 海外送金が経済を回す
砂糖の壺と言われたネグロス島の北部・中央部で、かつては地平線まで続いているかのような広大な砂糖農園の姿はかなり少なくなった。それに替わって各地に登場してきたのが、数ヘクタールに及ぶビレッジと呼ばれる門番付きの高級分譲住宅地だ。土地代と家屋建設費を合わせると数百万ペソになると言われている。まだ貧富の差が大きいこの島に、これほどの住宅地が必要だろうか。市中には貧困層がひしめき合う地域がまだ沢山あるというのに。そもそもこのような物件を一体誰が買うのか、と湧いてくる単純な疑問に「オバーシーズ(海外)が買うんだよ」と誰からも同じ答えが返ってきた。
本来なら、国内の製造業・農業が経済を支えることが理想なのだろうが、フィリピン政府は歴代、輸出志向型経済を推し進めてきた。米や砂糖のように国民生活で欠かすことのできない食糧は輸入に頼り、多国籍企業と一体となった鉱山資源やバナナ・パイナップルに代表される産物を輸出してきた。それは“物”だけではなく、“人”さえも・・。今や海外移住者、出稼ぎ労働者の数は10人に一人と言われており、彼/彼女らからの莫大な海外送金がフィリピン人の購買力を高め、国の経済を回している。
― コールセンターという下請けビジネスの登場
マニラ首都圏はもちろんだが、地方のバコロド市でさえ、新設モールに加えて海外資本のIT産業、コールセンターが雨後の竹の子のように立ち並ぶようになった。
コールセンターが建つと周辺には必ずと言っていいほど、セブンイレブン、ファミリーマートなどのコンビニが出現する。欧米系のコールセンターで電話応対をする場合、時差の関係で労働者たちは夜中の勤務になるため、24時間営業するコンビニが不可欠なのだ。フィリピンの平均年齢は24歳。若くて英語が達者な若者たちが、欧米企業の下請け仕事に夜通し従事する。15年前には考えられなかった光景だ。
コールセンターの賃金や雇用形態は会社によって違うが、月給にして1万5000~2万5000ペソと言われている(『現代フィリピンの地殻変動』共栄書房2023年)。一方、フィリピン統計局が発表した貧困ラインは、5人家族で月1万2000ペソ、それに満たない貧困率は18.1%だった(2021年資料が最新)。
フィリピン雇用労働省(DOLE)によれば、コロナ禍後の物価高の影響もあり、23年7月から、マニラ首都圏の一日の最低賃金が40ペソ引き上げられ、非農業部門で日給610ペソ、農業部門は573ペソに上昇した。ネグロス島のある西ビサヤ地方の日給は、非農業部門で552ペソ、農業部門は480ペソとなっている。最低賃金が上昇したとはいえ、月20日間働いた場合でも、日銭で生きる庶民にとっては、貧困ラインを抜け出せる金額ではないことは明らかだ。
― ジープニーが街から消える
物価高騰の極めつけはガソリンだった。コロナ禍前の40ペソ/ℓから一気に60ペソ(約156円)まで跳ね上がっていた。日本とほぼ変わらない価格に驚いた。石油資源のないフィリピンではガソリンの値上がりはあらゆる生活用品に影響する。それでも乗用車の数は増え続け、バコロド市内の通勤時の渋滞が年々ひどくなっているのが不思議だった。
車といえば、街中の風景が1年前よりも様変わりしていることに気が付いた。路上を彩っていた名物のジープニーが姿を消し、替わって新しいミニバスが登場していたからだ。フィリピン政府はジープニーの排気ガスが環境を汚染し、事故も多いという理由で、全国一斉に旧型のジープニーを廃止し、20人乗りの冷房付きミニバスを導入しようとしている。この新しい乗り物は名付けて「モダナイズ」(近代化)。庶民の足は、この陳腐な名前の乗り物に換えられ、これまで8ペソで行けた区間料金が20ペソまで跳ね上がった。
― 「経済成長」は砂上の楼閣
世界銀行は、昨年フィリピンのGDP成長率は6.7%を達成し、24年には7~8%をめざすと発表した。これを受けてフィリピンのメディアは連日、明るい経済成長の未来を報道していた。昨今グローバルサウスがもてはやされている。「先進国」が経済の長期停滞から抜け出せないのと対照的に「サウス」は成長を続けてきたからだ。フィリピンもその一員となり、政財界は浮き足立っているが、内実は、まるで砂上の楼閣のように映る。
若い労働力を大量消費する下請け産業だけが突出し、海外送金を頼って人びとは不動産に投機する。中国や他の海外資本が今後もどれだけ肩入れするかによるが、高層ビル、住宅地が乱立する風景はしばらく続くのだろうか。「モダナイズ」された環境の中で、その恩恵に預かれない庶民たちは、物価高騰と不便な生活をどこまで強いられるのだろう。フィリピンは一体どこへ向かうのだろう。わずかな滞在期間ではあったが、出会った様々な光景に頭の中がハロハロ(ごちゃまぜ)になる旅だった。