「Tita Seikoの侃々諤々」マスカラ・フェスティバル 仮面の裏側

【写真】マスカラ・フェスティバル/via The Masskara Festival in Bacolod: Step into its meaningful history and exciting activities, Business Mirror, October 16, 2023.

大橋成子(ピープルズ・プラン研究所、APLA理事)

11月の今頃、バコロドの街は祭りの後の気だるさで、さぞかしぐったりしていることだろう。

毎年10月、西ネグロス州の州都バコロド市には、鮮やかな色のマスカラ(仮面)や祭りの飾りがいたる所に出現し、全国でも有名になった「マスカラ・フェスティバル」がほぼ1カ月間、全市をあげて大々的に開催される。街の中心部、サンセバスチャン聖堂がある広場から続く商業施設が集まる主要道路は閉鎖され、バコロド名物イナサル(チキン・バーベキュー)の出店が路上に延々と連なり、街は香ばしい焼き鳥の匂いに溢れる。毎日何羽の鶏が出荷されるのだろう?と首をかしげたくなるような光景だ。

私が滞在していた当時、目立ちたがり屋の市長は、長蛇の出店をギネスブックに申請した。もちろん登録されることはなかったが、結果はどうあれ、奇抜な企画やニュース性が選挙戦で大いに効果をあげることを政治家は知っている。どの店も提供するのはお決まりのマグノリア社製鶏肉のバーベキュー、サンミゲル・ビール、そしてコカ・コーラ・・・考えてみれば、これらはフィリピンでも有数の資産家コファンコ家が所有する食品会社が扱っているものばかりだ。庶民の金は相変わらず「持てる者たち」に吸い上げられる構造が良く見える。それでもバコロド市民は、クリスマスとは一味違うこの年間行事を大いに楽しんでいるようだ。

※コファンコ家:中部ルソン地方の大砂糖農園主から財閥化した名望家。コラソン・アキノ元大統領やマルコス・シニア元大統領の取り巻きとして恐れられたエドアルド・コファンコ・ジュニアらを輩出。(石井米雄監修、鈴木静夫、早瀬晋三編『フィリピンの事典』同朋舎出版、1992年。)

マスカラ・フェスティバルのハイライトは、10月第3週目に開催されるストリート・ダンス大会。56万人の人口を抱えるバコロド市は、61の地区(村)で構成されており、各バランガイのダンスチームが、さながらブラジルのサンバのように、ド派手な仮面と衣装を纏って、大通りで競い合う。優勝チームには高額な賞金が用意されているため、ダンスチームは一年かけて猛特訓するという。

「マスカラ」は、スペイン語で、濃い化粧をほどこした「仮面」の意味だが、英語のmass(多数・大衆)とスペイン語のcara(顔)を掛け合わせた意味だと説明する人もいる。いずれにしろ、これは決してフィリピンやネグロス地方の伝統や文化を継承したものではない。

フィリピンの各市町村で開催されるフェスティバルを、人びとはスペイン風にフィエスタと呼ぶが、そもそもの起源は、「パサラマット(感謝)」という神聖な収穫祭だった。大きな岩や木には精霊やバタラという神がいて、収穫物はそこへ奉納され、村人たちはヤシ酒を飲み、歌い踊って精霊やバタラに感謝したと言われている。

「パサラマット」はスペイン植民地時代にフィエスタの名称に変えられ、各地のキリスト教会の聖人の日が祭りの日となり、奉納先も教会に変わってしまった。伝統的な踊りや歌もすたれ、タンゴやサルサ、チャチャなどラテン文化が浸透していったという。

現在のマスカラ・フェスティバルが登場した背景には、1980年代にネグロス島を襲った砂糖危機が深く関係している。

農地面積の60%を砂糖プラテンテーションが占め、砂糖の単一経済に頼ってきたネグロス島で、マルコス独裁時代末期に砂糖の国際価格が大暴落した。農園は閉鎖され、何十万人にのぼる労働者が職を失い、15万人(ユニセフ発表)の子どもたちに飢餓が発生した。「銃弾ではなく米を!」と叫ぶ労働者の声を弾圧する国軍が暗躍する時代だった。民衆の不満がいつ噴火してもおかしくない状況のなか、ネグロス島は「社会的火山」と称された。

その後、マルコスが米国に追放され、コラソン・アキノ大統領が登場した時は「民主的政権」に期待が寄せられた。だがそれもつかの間、反乱鎮圧のための「全面戦争」が発令され、労働組合や反政府運動が強かったネグロス島は、政府軍の弾圧を集中的に受けることになった。

そうした社会不安をそらすため、地元政治家や地主らから構成される商工会議所が「マスカラ・フェスティバル」を企画したのが始まりだと言われている。

30年前、私がバコロドに駐在し始めた頃は、質素で貧弱なフィエスタだったが、この20年ほどの間に、年々規模が大きくなり、出し物も豪勢になった。資金は市の予算や企業・地主階級から寄せられるが、昨今は海外に移住するネグロス出身者がかなりの寄付を送ってくると言われている。

フィリピン観光庁の大々的な宣伝効果もあって、今や国内外から多くの環境客が訪れる行事となったが、「マスカラ」誕生の背景や砂糖危機の時代を知る年代もすでに50~60歳代になっている。

歴史は風化するしかないのだろうか。怪しく微笑む「仮面」たちを見ていると、フェスティバルどころか、なんともむなしい気持ちになってしまう。

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