【Tita Seikoの侃々諤々】フィリピン人のサバイバル術―ディスカルテ

【写真】モールに陳列された学用品や制服=2024年,フィリピンネグロス島,大橋成子撮影.

大橋成子(ピープルズ・プラン研究所)

日本列島が猛暑に喘ぐ7月末、早朝や夕立後のネグロスは、両手を広げて思いっきり新鮮な空気を吸いたくなるような涼しい風が吹いていた。

― 子どもたちとの再会

1月以来、半年ぶりの訪問だった。今回は久しぶりにネグロスで一緒に暮らしていた子どもたちの家族との時間を楽しんだ。私は30年前に5人の子どもを持つシングルファーザーと結婚した。当時の生活を綴った拙書『ネグロスマイラブ』(めこん 2005年)では、まだ小学生や高校生だった子どもたちは今やそれぞれ家庭を築き、小学生・高校生の孫も10人になった。

夫のアルフレッドは心臓発作で8年前に他界したが、子どもたちは父親の教訓どおり、教師やエンジニア、建設関係など地元で仕事に就いている。私が彼(女)らの家庭の一員になった時、近所の人たちや親戚は「これで日本に行って働けるね!」と子どもたちをたきつけていたが、父親も私も「フィリピンでフィリピン人のために働け!」と言い続けていたため、誰も海外で働く夢はもたなかった。

― 物価高に驚いた!

7月末の訪問は私にとっては運が悪く、孫とその親たちにとってはサンタクロースが来たかようなタイミングだった。通常6月から新学期が始まるのだが、コロナ禍で公立学校のカリキュラムが変更になり、この数年新学期開始日は8月1日に変更されていた。新学期前、親たちは新しいノート、カバン、靴、制服などの買い出しに追われる。私も孫たちに引きつられるように学用品売り場を渡り歩いた。昔のことを言ってもしょうがないが、20年前なら一人500ペソ程度ですべてが揃ったのに、今やノートも衣料品も3倍近く高くなっていた。

学用品や衣料品はともかく、米とガソリン代の高騰に驚いた。

コロナ禍前と比較すると、米は40ペソ(約100円)/1㎏から65~68ペソ(約184円)と約2倍に、家庭用プロパンガスは500ペソから1000ペソ以上(約2700円)、ガソリンに至っては38~45ペソ/1ℓから66~68ペソ(約184円)と、日本と変わらない値段だ。 石油をすべて輸入に頼り、しかもShellやCartexなど米系資本に独占されているフィリピンは、戦争や紛争など世界情勢にもろに影響を受ける。米もしかり。かつては農業国であったのに、米も輸入に頼る状況になって久しい。

― 1000ペソ札が飛んでいく・・・

この数年こうした物価高に呼応して、最低賃金は毎年6%ほど値上げされてきた。現在マニラ首都圏では非農業部門で645ペソ/日(約1740円)、ビサヤ地方は468ペソ/日(約1260円)。農業労働者は458ペソ。

一日3度の満足な食事をとる場合、フィリピン人は一人平均10㎏/月の米を消費すると言われている。日本と違い、とにかく米が一番重要な食料品。かつて居合わせた砂糖農園の給料日で、労働者たちの最大の関心事は「これで何キロの米が買えるか」だった。

現在バコロド市で5人家族の場合、50㎏の米代が月3400ペソ(約9200円)。コロナ前は平均1㎏20ペソで買えた野菜類も40~50ペソに値上がり、豚肉はアフリカ豚熱の影響もあって200ペソから380ペソと約2倍、鶏肉は200ペソから280ペソと約1.5倍に高騰している。子ども3人の交通費を含めた5人家族の1か月の生活費は最低2万~2万5000ペソ(6万円以上)必要だという。最低賃金で暮らす場合、一日468ペソ×20日で9400ペソ。夫婦共稼ぎでもギリギリだ。都市部の人は農民を軽視する傾向があるが、こういう時こそ、米・野菜・鶏を自給できる農村の豊かさを実感する。

― ソーラー電気が活躍していた

物価高にさらに追い打ちをかけるのが電気代だ。私が生活していた時から家計に占める電気代はかなり高いと感じていたが、今回はあちこちでソーラー電気を使用している光景に出会った。

中国製のソーラーパネルは安価だ。私の子どもたちの家もそれぞれパネルが屋根に設置されていた。日中に充電され、暗くなると自動的に電気がつく。費用はパネル設置代込みでわずか869ペソ(約2,400円)。これで40㎡の部屋の電灯やテレビ、携帯電話の充電に8時間は使用でき、雨や曇りの日でも4~5時間使えるという。すでに1年以上使用しているが、支障はないらしい。

街にはソーラー扇風機も出回っている。 今回目を引いたのは、バコロド市郊外や地方の新興住宅地を通る新しい幹線道路がいくつも建設されていたことだ。ドゥテルテ政権が中国政府の援助で打ち立てた「ビルド!ビルド!ビルド」政策を私はかなり批判的に見ていたが、地方の公共事業はそれなりに発展したようだ。もっともこれらの道路は、砂糖農園や養殖池などを潰して作られたものだったが・・・。

しかしここでも大がかりなソーラー電気が使われていた。煌々と明るい街灯に加えて、追い越し車線と道路の端には小さな丸いソーラー電球が埋め込まれ、真っ暗な砂糖キビ畑の中、点々と続く電気で照らされる道路は、まるで遊園地を走っているかのような気分になった。

― 「ディスカルテ」というサバイバル術

仕事を失ったり、物事が上手く進まなかったり、肝心な時に車や機材が使えなくなった時など、「ディスカルテ」で乗り切ろうという言葉をよく聞く。これは器用なフィリピン人特有のサバイバル術で、生き方から生活の工夫、モノの修繕まで幅広く使われる。辞書には「一生懸命働く。上手いやり方を探す。廃品を再利用する。世渡り上手。抜け道・・」など様々な解説が載っている。定職がなくても大工や行商、ラバンデーラ(洗濯)などあらゆる仕事を探して日銭を稼ぐ。漁村で不漁の時はその日のうちにトライシクル(乗合バイク)ドライバーに早変わりする。戦後米軍が置き去りにしたジープを改造して庶民の乗り物ジープニーを作ったのは、まさにディスカルテの骨頂だと自慢する人もいる。

先日、東京に激しい雷が鳴り響いた時、雷ですぐ停電になるネグロスの経験があったから、私は懐中電灯を握りしめながら、これで水道も止まり、地震まできたらいったいどうなるのだろう、と恐ろしい想像をした。当たり前のように電気が灯り、水道から水が枯れたことのない日本の生活をネグロスの子どもたちは羨ましいと言うが、生き残る力はよっぽど彼女たちの方が強い。

「ソーラーのおかげで電気代は浮いたし、停電の心配もない。水道が止まっても、町内には井戸があるから安心。プロパンガスを節約して蒔や炭で料理する。コロナ禍の時は近所の人たちと空き地で野菜を作り、鶏を飼い、米を分け合い、罹患した家に食糧を届けたりして助け合った・・・」 日本では地震や台風情報はあふれるほど流れてくるが、東京のような大都市で、電気も水もなくなれば、果たして私たちはどのようなディスカルテを発揮できるのだろうか。コミュニティの中で頼もしく生活する子どもたちを羨ましく思った。

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Painting:Maria Sol Taule, Human Rights Lawyer and Visual Artist

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