【コラム】強権政治の脆さを露呈した
「エドサ革命」から36年

【写真】1986年2月、エドサ通りを埋め尽くす人びと/via Facebook page of Ayala Museum, February 25, 2022. https://www.facebook.com/ayalamuseum/videos/349367693764212

横山正樹(フェリス女学院大学名誉教授)

 今年(2022年)はフィリピン民衆によるマルコス政権打倒から36年目にあたる。1986年2月22日からの政権崩壊劇はテレビでも刻々報じられ、世界中の関心を引き付けた。マルコス夫妻や取り巻きたちが国外逃亡した25日は民衆の力記念日(People Power Anniversary)として、今もフィリピン国家の祝日となっている。

― 思いのほか脆かったマルコス独裁

 この政変は「主戦場」となった地名からエドサ革命ともいわれた。このEDSA (Epifanio de los Santos Avenue) は著名な歴史家、文筆家、法律家、政治家でもあったエピファニオ・デロス・サントス (1871-1928)の名をとったマニラ首都圏の有名な主要環状道路だ。当時のエンリレ国防相やラモス将軍(のちに大統領)らがマルコス政権から離脱してEDSA沿いのふたつの国軍基地を占拠し、支持者らと立てこもった。これを契機に、市民たちが大挙EDSAに繰り出す。人権侵害だけでなく選挙不正や汚職も極まったマルコス政権へ向け「タマナ!ソブラナ!(Tama na! Sobra na! もうあんまりだ!ゴメンだ!)」と叫ぶ民衆の非暴力行動を軍も警察も抑え込むことができず、ついにマルコス一家は米軍ヘリで脱出、グアム経由でハワイへと落ち延びた。周知のように、そのままマルコスは3年半後に72歳で病死、そしてイメルダ夫人は1991年11月にフィリピン帰国を果たす。

軍の装甲車に対する人びと/via Facebook page of Ayala Museum, February 25, 2022. https://www.facebook.com/ayalamuseum/videos/349367693764212

― フィリピン援助研究の発表と重なった政変

 当時私は四国学院大学(香川県)で教え始めてほぼ1年、春休みになったところだった。その前から津田守さん(大阪大名誉教授)との対フィリピン政府開発援助(ODA)にかんする共同研究を続けていて、共同執筆論文「『援助』を見直す―対比円借款の構図―」が『世界』(1986年4月号)に掲載される時期とちょうど重なった。3月中旬および8月にはマニラを訪問、息苦しい独裁政治からの解放を味わうと同時に、マルコス疑惑の実地調査を気兼ねなくさらに進めることができた。マルコス円借款疑惑報道が盛り上がって、香川県善通寺市の自宅にまで早朝から新聞・雑誌の取材が来るようになる。その後、日本・フィリピン両国で関連記事や論文・著書の執筆・出版、テレビのドキュメンタリー番組作成に関わったりする機会にもつながった。
 振り返ってみると、この政変からは少なくともつぎの3つの重要点が浮かび上がるのではないか。まず、強固に見えた長期独裁体制も非暴力的な民衆蜂起によりあっけなく倒れうること。ロシアや中国もその例外ではなかろう。二点目は、マルコス疑惑など権力者の悪事を暴くには、中途半端でない、政権の真の交代が必須であること。最後に、情報公開・共有と国際連帯活動を通じて国際世論や国際規範を味方につける重要性だ。

兵士に話しかける/via Facebook page of Ayala Museum, February 25, 2022. https://www.facebook.com/ayalamuseum/videos/349367693764212

― フィリピン民主化がエクスポージャー開始の契機に

 民主化によって可能となったひとつに、フィリピン・エクスポージャー(現地訪問学習プログラム)がある。現地の友人たちの強い勧めもあって、1987年2月から勤務校のゼミ旅行として開始した。初回は学生6人に教員2人が同行し、12日間、マニラとその周辺、ネグロス島、パナイ島を訪問。サトウキビ農園、米軍基地、日本のODA事業、輸出加工区と原子力発電所といった問題現場で労働運動などに取り組む人々と交流し、多くを学んだ。EDSA革命1周年記念行事にも参加できた。その報告を『何が変わった?!新生フィリピン』という手作り冊子にまとめた。それが好評で増刷を繰り返し、さらに広島の家族社からブックレットとして出版・市販された。同行教員は私のほか、当時同じ職場の先輩だった岡本三夫さん(日本平和学会元会長、広島修道大学名誉教授、1933-2019)だった。のちに佐竹眞明さん(現・名古屋学院大学教授)も同行教員に加わり、また訪問先もフィリピンだけでなくマレーシア、水俣、釜ヶ崎、広島、東祖谷などの各地現場に広がった。
 1997年には筆者がフェリス女学院大学へと、エクスポージャーも携える形で移り、退職直前の2016年までほぼ毎年フィリピンで実施した。こうしてエクスポージャーは通算30年にわたり、さまざまな工夫とともに継続されてきたことになる。暴力克服をめざす各地の運動現場で直接交流の機会をもち、そうした関係を維持するなかで、立場の異なる人々どうしの理解と連携・連帯が多少なりとも深められたのではないか。それゆえに、私たちはこれを平和学エクスポージャープログラムPeace Studies Exposure Program – PSEPと呼ぶことにしている。

ラバン(闘う)を意味するLサインを掲げる/via Facebook page of Ayala Museum, February 25, 2022. https://www.facebook.com/ayalamuseum/videos/349367693764212

― マルコス家の復権と憲法見直しの可能性

 いまフィリピンでは大統領選挙期間にはいり、故・マルコス大統領の息子、ボンボン・マルコス氏が有力候補として浮上した。36年前には存在していなかったSNSを駆使して、他候補を圧倒する勢いと報じられている。イメルダ夫人帰国以来、30年以上かけて周到に練り上げられた復権計画の発動がそこには推察できる。故・マルコス氏の蓄財未返還分がその主たる資金源と目される。しかし若年層の分厚いフィリピン社会では1986年までの独裁について実情を知らない人が多い。スポンサーは不明だが、マルコス時代の実績を美化する言説が多く出回り、強いリーダーシップを求める傾向もあいかわらず強い。
 またマルコス利権集団もかつてのような独占復帰を狙っている。たとえばマルコス政権期の政商エドゥアルド・コファンコJr.はダンディンの愛称で知られ、ニノイ・アキノ暗殺事件の1983年にサンミゲル(SMC)社を乗っ取り、同社会長に就任した。しかしEDSA革命で失脚。盟友ジョセフ・エストラダ氏が98年に大統領に就任するとSMC会長に復帰、そして20年6月に85歳で死去した。このように旧利権集団は多くが復活したものの、かつての独占状態には程遠く、ボンボン・マルコス政権成立により「夢よ、もう一度」と願って資金提供や影響力行使など着々と工作を進めているとみられる。日本企業もこれに無縁ではない。SMC社中核のビール事業会社には2009年以来キリンホールディングスも約1,120億円(当時レート換算)出資し、43%強もの株式取得をしているからだ。
 世論支持の高かったドゥテルテ大統領の後継指名をえられれば、ボンボン・マルコス氏はいっそう有利になろう。しかし、そのようにしてむりやり作り上げられた人気は、たとえ選挙で勝利することができたとしても、長続きは見込めない。ましてや父親時代の強権政治は再現できない。現行の1987年憲法がそれを阻んでいるからだ。今後は憲法改定あるいは新憲法の制定が焦点にされてくるのかもしれない。
 反マルコス陣営がすべきことは、36年前までの圧政の苦しみを若年層にたいし確実に伝える努力ではないか。人気アニメやドラマなどの活用も歴史への関心を高めるうえで効果的と考えられる。翻って、これは戦後77年の日本にもあてはまるといえそうだ。

マルコスに対抗したコラソン・アキノのシンボルカラーの黄色に街は染まった/via Facebook page of Ayala Museum, February 25, 2022. https://www.facebook.com/ayalamuseum/videos/349367693764212

〈Source〉
アール・バレーニョ,堀田正彦・加地永都子訳, 2005,『フィリピンを乗っ取った男 政商ダンディン・コファンコ』太田出版.
キリンホールディングス ニュースリリース, 2009年2月20日, 「サンミゲル社のビール事業会社株式取得について」 .
津田守・横山, 1986, 「『援助』を見直す―対比円借款の構図―」『世界』岩波書店, 487:166-184.
フィリピン大統領選、SNSが主戦場に 厚い若年層が結果左右, 日本経済新聞, 2022年1月7日.
横山正樹, 1990, 「対比円借款と『マルコス文書』」『世界』岩波書店, 489:205-208.
横山正樹, 1990, 『フィリピン援助と自力更生論―構造的暴力の克服―』明石書店.
横山正樹編著, 1988, 『何が変わった?!新生フィリピン―四国学院大学横山ゼミ・平和学合同海外研修旅行(1987年2月19日-3月2日)報告―』家族社.
横山正樹, 2018, 「現実把握の方法としての平和学エクスポージャー(PSEP)実践とその成果」『国際交流研究』フェリス女学院大学, 20:207-228.
国際報道 2022フィリピン大統領選挙「SNSでよみがえるマルコス」 初回放送日: 2022年2月10日.

〈筆者紹介〉
フェリス女学院大学名誉教授(平和学・アジア太平洋地域における開発と環境問題の平和研究)
フィリピンなどで実施の政府開発援助(ODA)事業が現場へおよぼす影響を調査分析しつつ、各地域の住民運動・NGOなどによる自力更生努力と国境を越えた市民連帯ネットワークに関心をもって当事者たちとの交流やエクスポージャー(現場学習)を長く続けてきた。

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