澤田公伸(『まにら新聞』記者)
首都圏マンダルーヨン市にある商業施設のシネマコンプレックスで封切られたマルコス元大統領の戒厳令時代に弾圧を受けた学生や労働者たちを描いたミュージカル映画『KATIPS:新たなカティプーナンの闘士たち』を見に出かけた。この日は、マルコス元大統領一家が1986年の2月政変で大統領府を追い出される直前の72時間を描いたドラマ映画『マラカニアン宮殿のメイド』というダリル・ヤップ監督がメガホンを取り、アイミー・マルコス現上院議員が筆頭プロデューサーを務めた問題作も封切られたため、シネコンでは大勢の観客が押し寄せ異様な熱気が漂っていた。
― 大企業や商工会議所が『メイド』のチケットを大量購入・配布、『KATIPS』のチケット代をカンパさせてという高齢者
この日は12館のうち3館が『メイド』を上映、『KATIPS』は1館のみ。しかも『メイド』の上映館前では事前にチケットを手に入れていたとみられる中高年の男女が行列を作って入場時間を待っていた。また、大型商業施設SMのチケット売り場の職員たちも『メイド』のロゴ入りTシャツを着用。大手企業や中国系フィリピン人商工会議所などが、売上の一部が災害支援に回るためだとしてこの映画のチケットを大量に購入してばらまいているとも報じられていた。一方、チケット売り場に並ぶ若者らに、「自分は医者から映画鑑賞を禁じられているので、『KATIPS』を観るならチケット代を出させてほしい。それが私の支援活動なんだ」と語りかけチケット代をカンパする高齢男性もいた。
『KATIPS』は、1970年1月に始まったファースト・クォーター・ストームと呼ばれる学生運動の嵐が吹き荒れたデモ集会の様子で始まる。その後、フィリピン大の学生活動家グレッグと当局に殺された大学教授の娘でアメリカ帰りの舞台女優ララとの出会いと恋物語、学生新聞の編集部での議論、活動家カップル4組の恋のデュエット、労働者のストライキとメトロコムと呼ばれた警察軍による取り締まり、そして当局に捕まった活動家の男女3人が拷問を受けた末に殺されるシーンへ、俳優たちが力強いリズムとシンプルかつ意味深い歌詞を持つ曲に合わせ、時に群舞し、時にソロやペアで歌い上げていく。映画館では途中から曲が終わるごとに大きな拍手が起き、映画が終わると拍手がなかなか鳴りやまなかった。この映画を監督・制作し、自ら出演したビンセント・タニャーダ氏や競演した俳優たちだけでなく、当時の若者たちへの連帯の拍手のように聞こえたのは筆者だけではないだろう。
― メイドが見たマルコス一家の「史実」
後日、筆者は『メイド』も見た。エドサ革命の勃発でマラカニアン宮殿に籠城する形となったマルコス元大統領は腎臓病で病み衰え、イメルダ夫人も昔の家族写真や自分の収集品を眺めてオロオロするばかり。同夫人付きの警護官が一家の暗殺を謀り逮捕されるなど大統領府が混乱する中、一家の決定者となったアイミーがついに亡命を決断するという物語。
彼らを最後まで支えたメイド3人が実在の人物であるとエンドロールに紹介されるシーンは興味深いものがあったが、映画の最終シーンで米国政府の仲介者から電話を受けたコリー・アキノと思われる女性が「やつらを国外追放せよ」とまくし立てると、修道院と思われる場所で修道女たちと麻雀卓を囲むシーンが映された。
このシーンを巡っては、実際にコリーが政変勃発時に14時間にわたり駆け込んだセブ市のカルメル修道院やカトリック教会の司祭らが「悪意ある捏造」と謝罪を求める声明を出している。一方、この映画の出演女優が「歴史は噂話のようなもの」と発言し大きな論争となり、ヤップ監督も最近、「歴史学者という職業は無くすべきだ」とも発言。マルコス新政権の誕生で、いわゆる歴史修正主義の大きなうねりがフィリピンに押し寄せてきたことを感じさせる映画だった。
〈筆者紹介〉
さわだまさのぶ。大阪外国語大学修士課程フィリピン語専攻コースを卒業後、1996年よりマニラ首都圏マカティ市にある邦字日刊紙、まにら新聞社に記者として勤める。2000年からはフィリピン語講座も主宰。