勅使川原香世子(明治学院大学国際平和研究所研究員)
エンバーミング(embalming)。フィリピンではごく一般的なことですが、新型コロナの影響で、日本の生活にもこのエンバーミングが定着しつつあります。新型コロナでご家族を失った方の8割ほどは最後のお別れもできないそうですが、エンバーミングを施すことによってそれが可能になるからなのです。結核やSARS、感染力が強いエボラ出血熱などのウイルスの感染力も、抑えられると実証されているとのことです。
― エンゼルケアとエンバーミング
看護師は病院などで、エンゼル・ケア(死後の処置)をします。ご遺体から治療の痕跡をすべて取り除き、身体を拭いたり洗ったりしたあと、ご家族が用意されたお召し物をご遺体に着せて差し上げます。エンバーミングはこれとはまったく異なり、血管から血液を抜き、そこに防腐剤を注入することによって遺体を保全する方法です。
フィリピンでは、国家資格を持ったエンバーマーのみがエンバーミングを実施でき、防腐処理だけでなく、事故などで損傷した部分の再建や修復、病院での解剖などにも携わります。
いま、米国やカナダなどでは、高齢化や新型コロナのために死亡者が増加し、エンバーマーの需要が増大するという現象も起きています。
― エンバーミング の記憶
私がエンバーミングと聞いて思い出すのは、ネグロス島のギフルガン市でお世話になっている葬儀屋さん一家のことです。私はいつも、防腐処理をする部屋と隣り合った一室に寝ていました。ゴソゴソと処置をする音を聞きながら眠ったこともありました。夜中に運ばれてきたご遺体がお世話になっている方の親戚だったこともあり、ご家族と一緒にご遺体のそばで夜を明かしたこともありました。
でも、なんといっても忘れられないのは、その葬儀屋さんの息子オカが2017年8月30日に殺されてしまったことです。オカは、働いていた教育省地域事務所から出てきたところを、バイクで近付いてきた犯人たちに銃殺されました。18箇所も撃たれていました。最初に、後頸部(生命維持を司る働きがある脳のあたり)を撃たれ、タマは口を貫通していたのでおそらく即死。そのあと、さらに17発撃たれたのです。そこには、昼休みのために外に出て来た大勢の児童がいました。あたりは騒然となりました。7月21日にギフルガンで6人の警官が殺害されて以来、次々と殺人が起きていましたが、オカは7人目の犠牲者になりました。
殺される前、オカは、教育省内部の腐敗を調査していました。オカと一緒に調査していた上司は、他の島に移動させられました。オカ自身も、一年前から脅迫を受けていたのです。
オカのお葬式を取り仕切っていたのは、エンバーマーであるオカの母親ママ・ソラーニャでした。オカの身体に打ち込まれた18発もの銃弾を彼の身体から取り除き、証拠写真を撮り、きれいに修復したのは、オカを溺愛していたオカのママでした。
オカの家から墓地まで、オカが入った棺を乗せた車と一緒に大勢の人が歩きました。墓地の地面に掘られた大きな穴に、オカの棺を埋葬します。埋葬の前に棺を開け、お祈りを捧げ、みんなが最後のお別れをします。でも、みんな棺にしがみつき、離れられません。
その時です。誰かが「わーーーーっ」と叫びました。ママ・ソラーニャでした。叫び声にみんなが怯んだ瞬間、ママが棺を閉じたのです。
― 6人の警官殺害のあとに
6人の警官が殺害されたあと、オカと一緒に人権活動をしていた漁民団体リーダーのテクソンも7月24日にすでに殺害されていました。オカとテクソンと活動していたマリアもまた、2018年12月27日に殺されそうになり、それ以降、身を隠して生活しています。
ギフルガンの山間の農村地域で起こり続ける人権侵害を外の世界に発信してきた彼らが、活動できなくなった。すべてが闇に葬られるという危機感。それが、このStop the Attacks Campaignの発端です。
表紙の写真は、ハロウィンの光景ではありません。オカを含む多くの人権擁護者たちの殺害に対する抗議デモの写真なのです。