ドゥテルテ劇場の魔法にかけられた公聴会
*フィリピン・ニュース深掘りでは、隔週でフィリピンでの重要な出来事を一つ取り上げ、解説・深掘りします。
栗田英幸(愛媛大学)
期待高まる公聴会
― 世界中が注目
「私が全ての責任を負う」
「ドゥテルテがダバオ暗殺団の存在を認める」
10月28日、ドゥテルテ前大統領(以後、ドゥテルテ)が上院ブルーリボン委員会(政府の不適切な活動を調査するための委員会)のドラッグ戦争調査に関する公聴会に出席したことを受け、フィリピン国内だけでなく世界中の主要メディアが、多少の文言の相違はあるものの、上記のようなタイトルの記事を次々と掲載・公表しました。鬼の首を取ったというのは言い過ぎかもしれませんが、ドゥテルテのドラッグ戦争責任追及に状況を一転させるような、何か大きな進展があったかのようなタイトルです。
メディアで公表されているほとんどの記事が、長時間の公聴会のほんの一部分のドゥテルテの言葉を切り取って、さも大展開があったかのように報じました。しかし、ドゥテルテの「新証言」によってドラッグ戦争の真実の一端が明かされるかもしれないとか、ドゥテルテ陣営の責任の一端が明るみに出るかもしれないといった具体的進展についてしっかりと論じられた記事はありません。公聴会に注目していた世界中のメディアが、ドゥテルテの発言に何度も引き込まれ、気がつけば迷子になっていました。世界中のメディアがドゥテルテの魔法にかけられたのです。
実際、この公聴会で何が明らかになり、どのような進展があったのでしょうか?
― まさかのドゥテルテの公聴会出席
ドゥテルテを国会の公聴会に引き出すことは、かなり難しいと考えられてきました。実際、これまでは体調を理由に招聘を拒否していました。そこに大きな変化が見えたのは、公聴会が開催されるほんの10日前です。
新興宗教教祖で全国メディアSMNIの実質的な所有者、そして、ドゥテルテのダバオ市周辺での大衆動員やフェイクニュース戦略に大きな貢献を果たしていたアポロ・キボロイが、2,000人の警官に包囲されて逮捕されたのは、つい2ヶ月ほど前の出来事でした。その直前まで、彼は何度にもわたる上下院からの召喚を拒否し、数千人の信者に守られた自分の拠点に立てこもっていました。ドゥテルテも、招聘を拒否し続けて政府に国軍・警察を差し向けられるような状況に追い込まれる、あるいは、ダバオ市か上院で再び政治家としての地位を得るまでは、ダバオ市周辺に引きこもり続けるものと、私を含め多くの人たちが予想していたのではないでしょうか?ドゥテルテの場合、信者ではなく、彼に忠誠を誓う周辺地域の警察官や軍人が集まり、内戦に発達する可能性もあり得るので、マルコス大統領は未だ強硬手段に打って出てはいません。
― 公聴会の面々
公聴会を開催したのは、上院ブルーリボン委員会の下でドラッグ戦争調査のために新たに組織された小委員会です。9月から10月にかけて進められていた下院の四委員会合同委員会の調査では、元セブ市警察署長のロイナ・ガルマらが、報奨によってドラッグ容疑者殺害を推進するシステムが警察内部に秘密裏に導入されていたことや、大統領特別補佐官であったボン・ゴー上院議員の関わりを証言しました。この証言について、上院でも独自に調査を行うために編成されたのが、この小委員会です。
ドゥテルテの罪を明らかにしようとするリサ・ホンティベロス上院議員、片やドゥテルテ、ゴー、および自身をドラッグ戦争の罪から守ろうとするロナルド・デラロサ上院議員の両名が、ともに自身の管理する委員会の下でドラッグ戦争の調査を進める強い意向を示していました。だが、最終的にどちらにも与しない立場におり、そして、来年度、上院議員選挙に出馬しないアキリノ・ピメンテルIII上院議員を委員長として新たに立ち上げる小委員会で、調査が進められることになりました。
10月28日に開催された公聴会では、ドゥテルテだけでなく、ドラッグ戦争での犠牲者の遺族たちや遺族の支援を続けてきたフラビー・ビジャヌエバ神父、ドゥテルテによってでっち上げられた罪で6年以上もの長期間勾留されていたとされるレイラ・デ・リマ前上院議員、ドゥテルテ政権時代の国家警察長官も招聘されていました。参加者の顔ぶれに、公聴会への期待が高まったことは間違いありません。
ドゥテルテ劇場と化した公聴会
― 開始直後から何かが違う
当初の予定では、公聴会の冒頭にドラッグ戦争犠牲者の親族が冒頭陳述する予定でした。しかし、ピメンテルIII委員長が彼・彼女らに冒頭陳述を求めた際に、上院議員たちから横槍が入り、土壇場になって冒頭陳述がドゥテルテに譲られる事態となったのです。
ジンゴイ・エストラーダ上院議員とフランシス・トレンティーノ上院議員が、前大統領に敬意を表してドゥテルテに冒頭陳述をお願いするべきであると主張し、デラロサ上院議員の「高齢であるドゥテルテが既に眠りそうだ」との発言が決め手になりました。
そして、ドゥテルテの陳述が始まります。
― 次々と投下される爆弾発言
ドゥテルテは、その陳述の初めから、次々と爆弾発言を投げ込みます。本記事冒頭の「ドラッグ戦争の責任は全て自分にある」「ダバオ暗殺団は存在していた」「デラロサやここにいる元国家警察長官もダバオ暗殺団だった」との暴露情報。参加者や視聴者は彼の発言に一気に引き込まれ、誘導されます。
しかし一方、下院議会で明らかにされた新事実、報奨システムや大統領時代のダバオ暗殺団を国家レベルで援用したこと、警察官へのドラッグ容疑者への即決処刑の命令については、否定しました。
― 取り巻きも参入
デラロサや元国家警察長官たちも、質疑応答に参加します。下院四委員会合同委員会での証言が下院議員によって強要された虚偽証言であると主張するだけでなく、デラロサやゴーは、上院議員として、質問や提案によって質疑の焦点をコントロールしていきました。デラロサ等のダバオ暗殺団幹部発言もドゥテルテのいつものジョークだと軽く流します。公聴会の席で「ジョークでした」は普通なら侮辱罪適応案件なのですが…。
ドラッグ戦争の下で行われた超法規的殺害の犠牲者遺族を支援してきた神父に対しても、デラロサは威圧的な言葉を繰り返して、神父の行為が的外れで間違っているかのように主張・叱責し、また質問します。後になって、デラロサも自身の言い過ぎた言葉を取り消し、謝罪の言葉を発しましたが、その時既に、視聴者は茶番のようなやり取りに疲れ果てています。
真摯な発言者を道化にしてしまうドゥテルテ劇場の魔法
― ドゥテルテ劇場はホンティベロスを道化にする
冗談なのか本気なのか分かりにくく、時たま小さな声で聞きにくくなり、罵詈雑言を挟む、そんなドゥテルテ節と、そのドゥテルテ節に合わせて騒ぐ取り巻きたちの様子は、かつてのドゥテルテ王国の最盛期を見ているようでした。もちろん、ドゥテルテに若々しさや覇気は無くなりました。しかし、ドゥテルテ劇場は健在でした。いくつもの国内メディアは、ドゥテルテ劇場が未だ健在であったことにも触れています。
ホンティベロス上院議員は危機感を感じ、何度も委員会の方向修正を図ります。しかし、ドゥテルテの責任を明らかにする意図を持つ上院議員は、彼女だけでした。他の上院議員たちは、デラロサ、ゴー、ジンゴイ、トレンティーノらドゥテルテに与する上院議員たちからの横槍、時に行き過ぎた発言や脱線に対して、修正や苦言を入れるにとどまっています。
ドゥテルテ劇場と化した公聴会で、視聴者たちに問題の深刻さを訴えようと真摯な言葉を発する犠牲者遺族やデ・リマをはじめ、ドゥテルテの人道上の罪を真剣に追求してきた人たちの声は力を失ってしまいました。力強い発言ではありました。しかし、視聴者・参加者の耳は、既に茶番によって集中力を喪失してしまっています。ホンティベロス上院議員による反撃のためのいくつかの鋭い質問もドゥテルテは容易にはぐらかしてしまいます。公聴会の役割に則って真剣に質問していたホンティベロス上院議員までもが、道化にされたかのようでした。
ドゥテルテたちが「乗っ取った」との専門家や人権活動家たちの評価ももっともな公聴会でした。
どのような進展があったのか?
― 暴露された「ダバオ暗殺団」と幹部たち
ほとんどのメディアが、ドゥテルテが「初めて」「ダバオ暗殺団」の存在や、その幹部としてデラロサを含む元国家警察長官を公式の場で認めたことを大々的に取り扱っています。ピメンテルIIIも委員長の立場から大きな進展を指摘します。彼は、今回の調査の「進展」を深めることに注力するとして、ドゥテルテを再度招聘する必要なしと語っています。
大きな「進展」があった。本当でしょうか? 「ダバオ暗殺団」の幹部を暴露する場に、その暴露される当事者たちが集うというのは、あまりに違和感があります。
― ドゥテルテ節
差別・暴力発言、悪口、軽口の多いドゥテルテ節は、これまでも沢山の問題発言を排出してきました。その後、「あれはジョークだ。そのくらい(会話の文脈で)分かるだろう?」という感じで強引にジョークとして誤魔化すところが、炎上後の対応も含めたドゥテルテ節の一連の流れです。クロに限りなく近いが決定的な証拠がないので残念ながらシロと判ずるしかない。このようにして、ドゥテルテは数々の問題発言を乗り切ってきました。長年、ドゥテルテの尻拭い役を務めていたゴーは、特にそのことを良くわかっているはずです。今回のように、自身がドラッグ密売人の殺害を命令・組織してきたことも、既に何度となく語られてきました。しかし、今回の公聴会も含め、決定的な証拠は未だありません。
後日、ダバオ暗殺団の幹部として「暴露」されたことについて記者から聞かれたデラロサは、あれはドゥテルテのいつもの「ジョーク」だとして、一笑に付しました。ダバオ暗殺団の存在について、ドゥテルテは確かに明言しました。しかし、実態は全く明かされず、質問への回答も証拠に結びつくようなものは何も出てきていません。逆に、相手を小馬鹿にしたかのような嘘とも真とも判ずることのできない応答で煙に巻くドゥテルテ節によって、実態から遠ざけられているようにも感じました。
ドゥテルテを追い込みたいホンティベロス上院議員や下院議員、人権団体などは、今回の発言をどうにか訴訟に持ち込む、もしくは正式な証言として利用したい考えのようですが、フィリピン国内では、今のところ難しそうです。国際刑事裁判所(ICC)頼みなのは、未だ変わっていません。ドゥテルテの人気がもう少し衰えれば、そして、マルコス大統領がもう少し本気でドゥテルテ派閥の掃討に乗り出せば、ある程度強引に訴訟を進めて国内で罪に問うこともあり得ますが、権力者を容易に法や現政権の権力で裁けるようにしてしまうと、マルコス大統領としても「明日は我が身」になりかねません。
ドゥテルテ側から見た公聴会
― ドゥテルテの思惑
ドゥテルテ側から見れば、今回の公聴会は満点の出来でした。
ドゥテルテがわざわざ公聴会に出席したのは、それだけ下院での四委員会合同委員会での調査結果や進捗状況に、彼および彼の派閥が危機感を覚えたからに他なりません。ドゥテルテ派閥が完全に掌握できていないガルマのような、閣僚よりも下の役職にいたダバオ暗殺団幹部の証言を根拠として、マルコス派で固まった下院議会が強引にドゥテルテの罪を明らかにして行きそうな勢いが下院にはあります。
この良くない状況を打開し、できれば今後の上院選挙と地方選挙に繋げるような変化を作り出す必要がドゥテルテ陣営にありました。そこで考えたのが、今回の上院公聴会への出席です。
ドゥテルテにとって、最も重要なのは、下院の調査に実行力を持たせないことです。そのために、同等、もしくは、それ以上の発言力を有する上院で同様の調査を実施し、下院の調査結果を否定すれば良いと考えたわけです。それも、できるだけ早く。さらに、可能な限り、上院の調査結果の発言力を高める方法で。
そして、その試みは、上手く行きました。
― 異常に早かった準備
ドゥテルテ陣営が多くの議席を握る上院で調査を開催するとしても、準備に時間をかければかける程、外部の声に対応した陣容にしなければならなくなります。時間をかけず、陣容や手続き等の議論の余地なく、素早く調査委員会を設置し開始をしなければなりません。ここでもドゥテルテ陣営は上手くやりました。
小委員会の開催がフランシス・エスクデロ上院議長の口から公表されたのが10月18日です。19日に委員長としてアキリノ・ペメンテルIIIの名が挙げられ、20日には、ドゥテルテの元側近で上院議員を務めるゴーおよびデラロサからの了承も取り付けたことが明らかにされました。21日に正式に小委員会でピメンテルIIIを委員長としてドラッグ戦争に関する調査が開始されることが決定され、22日には、28日の公聴会日程および進行に関する大枠も発表されました。
― ドゥテルテ劇場の魔法
生中継される公聴会では、ドゥテルテ陣営のお友だちの上院議員だけでなく、お茶の間の視聴者のことも考える必要があります。冒頭で犠牲者遺族に陳述されて彼・彼女らへの同情・共感の雰囲気を作り出させるわけにはいきません。まずは、最近、マルコス陣営への鞍替えが囁かれている元ドゥテルテ派閥のトレンティーノとジンゴイからの提案とデラロサの発言で、ドゥテルテに冒頭陳述を譲り、さらに、敬意を表すべきお客さまとしてのドゥテルテの立場を強調することに成功します。この結果、ドゥテルテは、公聴会において罪を追求される立場からも解放されたことになります。
そして、先にも述べたドゥテルテ劇場によって公聴会を茶番と化し、自身だけでなく追求者たちをも道化に変えてしまい、また、爆弾発言で誘導し、煙に巻いてしまったのです。終わってみると、一喜一憂したはずなのに、何も実のある結果が残っていません。公聴会だけでなく、メディアを含めた視聴者をも茶番に巻き込む魔法をかけることを、ドゥテルテ陣営は、その最初からやってのけたのです。
かくいう私も、その魔法にかけられた1人です。爆弾発言につられ、いつの間にか茶番劇に巻き込まれ、真剣に聞くのが馬鹿らしくなり、疲れ、いつの間にか煙に巻かれていました。
― 上院調査の正当性を高めるドゥテルテの出席
おそらく、ドゥテルテは下院の公聴会には出席しません。「ドゥテルテが唯一出席した公聴会での証言」は上院の発言を強めます。そこでの証言に何の意味もなかったとしても
「上院の調査において、報奨システムもダバオ暗殺団も、ドゥテルテやデラロサ等関係者との関係を示す証拠は見出せなかった」(この場合、ドゥテルテの暗殺団やデラロサに関する発言は証言ではなくジョークとみなされる)
この一言が重要なのです。あとは、根拠薄弱な主張を上院が堅持し、外野が下院の調査結果を政治的なでっち上げであると言い続けるだけです。半年後の上院選まで、このまま下院と泥試合を続けられれば、ドゥテルテ陣営としては満足でしょう。下院選挙さえ終われば、政治家の関心は、次の政権に移ります。次期大統領としてサラ・ドゥテルテがいる限り、そのことがドゥテルテ陣営を追い込もうとする議員を大きく牽制することになるからです。
〈Source〉
Bato admits testimonies made by Duterte in Senate are incriminating, Philippine News Agency, October 30, 2024.
Bato challenges priest working with drug war victims: How many cases have you filed? , ABS-CBN, October 28, 2024.
Cop claims House lawmakers pressured him into corroborating drug war reward scheme, Rappler, October 28, 2024.
‘Davao Death Squad’ term coined by media, Dela Rosa claims , ABS-CBN, October 25, 2024.
Drug war critics question Go, Dela Rosa participation in Senate probe, ABS-CBN, October 28, 2024.
Duterte admits to inducing suspects to ‘fight’ so cops can kill them, Rappler, October 28, 2024.
Duterte, De Lima, EJK victims’ kin invited to Senate’s drug war probe, ABS-CBN, October 25, 2024.
Duterte monopolizes Senate hearing; allies challenge House quad committee findings, Rappler, October 29, 2024.
Duterte Says He Takes ‘Full Legal Responsibility’ for Philippine Drug War, New York Times, October 28, 2024.
Duterte tells Philippines ‘war on drugs’ inquiry he kept a death squad, Guardian, October 28, 2024.
Escudero eyes launch of Senate drug war probe next week, likely under Cayetano-led panel, ABS-CBN, October 18, 2024.
Ex-Philippine president Duterte’s ‘I had a death squad’ admission stuns senators, South China Morning Post, October 28, 2024.
Philippines’ Duterte admits to drug war ‘death squad’, BBC, October 28, 2024.
Philippines ex-President Duterte says he kept a ‘death squad’ as mayor, October 28, 2024.
Senate Blue Ribbon to create subcommittee for drug war probe, Philippine News Agency, October 21, 2024.
フィリピン前大統領 「麻薬戦争」みずからの責任認める姿勢, NHK, October 28, 2024.