*フィリピン・ニュース深掘りでは、隔週でフィリピンでの重要な出来事を一つ取り上げ、解説・深掘りします。
ドゥテルテとの決別で抑圧政策はどう変わるのか(1)<br>~ドゥテルテに責任を押し付けるマルコス~
栗田英幸(愛媛大学)
ドラッグ戦争は既に終わったことにしたいマルコス
― ICC支持国ドイツでのマルコスの発言
マルコス大統領は、3月11日から13日にかけてドイツを訪問しました。12日にはドイツのラフ・ショルツ首相との首脳会談も予定通り行われました。
ドイツは、国際刑事裁判所(ICC)の最大の支持国の1つです。そのため、ドラッグ戦争について何らかの進展を期待していた人たちも多かったかと思います。しかし、その結果は、少なくともメディアに公開された情報から見る限り、その人たちにとって非常に残念なものでした。
マルコス政権は、これまでも精力的にEUとの貿易や投資、環境技術移転、フィリピン人船員雇用について交渉を続けてきました。そして、その交渉で立ち塞がる大きな障害が、ドイツを中心としたフィリピンの人権問題を憂慮・批判する動きです。マルコス大統領は今回のドイツ訪問で、同国のフィリピン批判を多少なりとも和らげたいと考えていたはずです。
首脳会談後の記者会見でのマルコス大統領の説明によると、大統領は、フィリピンでのドラッグ戦争に関するICCの調査についてショルツ首相に説明したようです。この会談でマルコス大統領は、ICCによるフィリピン調査を以下の3点で否定しています。
― ICC調査を拒否する3つの論拠
1つは、フィリピンでは国際法に準じた国内法の下で司法が十分に機能しており、自分たちで問題を解決できるという説明です。既にフィリピン国家警察(PNP)の再編が進み、一部の過失を犯した警官が投獄されたことをマルコス大統領はショルツ首相に語りました。ICCは司法が機能していない国への介入を前提としているが、フィリピン司法は自ら調査し、判断・対処できる。そして、実際にできているフィリピンに対して、ICCは介入できないということです。
2つ目の理由は、主権国家であるフィリピンに外部から介入・指図されることは受け入れ難いという説明です。記者会見では説明されていませんが、アイミー・マルコス上院議員やデラ・ロサ上院議員がICCに対して「植民地主義だ」と感情的な批判を繰り返してきたような風潮を指しているのでしょう。
3つ目は、フィリピンでのドラッグ対策(=ドラッグキャンペーン)が既に異なる次元に入っているという説明です。ドラッグキャンペーンは、予防とリハビリテーションという全く別のステージへと「完全に転換(change)している」、要するに超法規的な作戦に依拠したドラッグ戦争は終わっており、さらに、法と秩序に依拠した新たな作戦へとドラッグ対策は転換しているため、ICCやドイツが問題としてきた人道的な被害への批判や介入はもはや的外れだということです。
― ドゥテルテとの違いを主張するマルコス
過去(=ドゥテルテ前大統領)の事件へのICC調査を否定する理由として、3つ目の説明は少しズレています。付け足しのように見えなくもありません。しかし、マルコス政権下で続いてきたドラッグ戦争による深刻な人道的被害をドイツが強く批判してきたことを考えると、彼の発言は、自身へ向けられている批判への言い訳と捉えることができます。実は、この3つ目の言い訳こそが、マルコス大統領にとって、最も重要な主張なのです。後に詳しく説明しますが、マルコス大統領は、法と秩序を軸とした人道的な政策を一貫して進めてきており、非人道的な被害は前政権の負の遺産であって自身の政策によるものではないと弁明しているのです。
― 今後、さらに強調されるであろう言い訳
ドイツでの発言に加え、帰国後に出席したPNPの昇進式(18日)では、マルコス大統領は2022年と2023年を比較して、PNPの改善を数字を挙げて誇示しています。法の支配の下で人権侵害も半減したと語っています。おそらく今後、このように、最近の大きなPNP再編やドラッグキャンペーンへの転換に伴う成果を誇示することが増えていくものと思われます。
今後、マルコス大統領がこのような成果の誇示に執着するであろうことは、マルコス政権がようやくドゥテルテ陣営と決別したことから説明できます。ドゥテルテ前大統領の顔色を気にせず、ドラッグ戦争による深刻な人道被害をドゥテルテに押し付けられる環境が、ようやく整ってきたからです。マルコス大統領もPNPや国軍による自国での非人道的な被害が将来的に自身の首を絞めかねないことを、重々承知しているはずです。絶えず良い着地点を探してきたことは想像に難くありません。
マルコス政権下での画期的な変化
― ドゥテルテとは正反対の政策の数々
マルコス政権での「転換」の実際を見ていきましょう。最も象徴的な「転換」は、レイラ・デ・リマ元上院議員の拘置所からの保釈でしょう。保釈されたデ・リマは、マルコス大統領に感謝を示し、マルコス大統領には、強い批判を控えているように見えます。今のところ、彼女の強い批判は自分を違法に拘置し続けたドゥテルテ前大統領に向けられています。勾留中の、虐めとしか見えないデ・リマの待遇が問題視され、刑務所の規律も引き締められました。
PNPの改革も進んでいます。ドラッグバイヤーの手先となって仲間の警察官をドラッグ取引に勧誘する「ニンジャ警官」と呼ばれる警察官を追い出すため、マルコス政権は警察高官に対しての徹底的な身辺調査を実施しました。この結果、多くのニンジャ警官を排除することができました。
ドラッグキャンペーンについても、マルコス大統領がドイツで述べたように、利用者やバイヤーの積極的、超法規的な摘発から、法と秩序を重んじた予防とリハリビテーションへの転換が開始されました。本当に予防とリハビリテーションに重点がおかれているのかは、さらなる検証が必要ですが。
さらに、まだ、具体的な成果は出ていませんが、マルコス大統領は、フィリピン共産党の統一戦線組織(NDF)と和平交渉再開の合意もしました。
これらは、すべてドゥテルテ陣営の反対を押し切ったかたちで進められたものです。
― 不当な被害への補償
司法省も重い腰を上げました。司法省と国家人権委員会(CHR)は、最近、この補償制度の対象を、超法規的殺害(EJK)、人身売買、オンライン性的虐待、その他重大な人権侵害の被害者にまで拡大する覚書を締結したのです。
元々、司法省は、不当な投獄、強制失踪、暴力犯罪の被害者に対する補償制度を有しています。そして、3月21日付の大衆英字紙インクワイアラーの社説も論じていましたが、これまでほとんど無視されてきたEJKが積極的にこの補償の対象と認定されるようになるのは、画期的なことです。なぜなら、フィリピン政府がドラッグ戦争や反共作戦の下で実施されてきたEJKを不当な被害として暗に認めたことを意味するからです。また、ドゥテルテ政権で軽んじられてきたCHRも以前より影響力を増しているように見えます。
〈関連記事〉
米比防衛協力体制への中国の批判/ニンジャ警官・幹部4人を特定/米国との二国間協定強化への国内批判(今週のフィリピン・ダイジェスト), Stop the Attacks Campaign, May 12, 2023.
レイラ・デ・リマ保釈から見えるフィリピンの変化(フィリピン・ニュース深掘り), Stop the Attacks Campaign, November 17, 2023.
ドゥテルテに責任を押し付けて、自らへの追及を逃れようとするマルコス
― 責任逃れのロジック
国際社会からの人道的な被害への追及に対して、マルコス大統領の態度(言い訳?)は、ある意味、一貫しています。その一貫した言い訳について、ドイツの記者会見でのマルコス大統領の短い説明を補足して詳しく説明すると、以下のようになります。
「百歩譲って、マルコス政権でも引き続きドラッグ戦争での人権侵害が続いてきたことは認めましょう。しかし、その被害は、ドゥテルテ政権の負の遺産でしかありません。大統領選挙の時から、私(マルコス)自身はドゥテルテのドラッグ戦争が既に状況に適しておらず、国際法に基づく法と秩序の下での予防とリハビリテーションこそが重要であると信じていました。その信念によって、これまで多大な努力と時間をかけて法と秩序を回復させ、予防とリハビリテーションへの転換を進め、既にその成果もしっかりと出ています。現在、法と秩序は機能を取り戻し、新たなドラッグキャンペーンでは、ドゥテルテ政権のような深刻な人道的被害が生じることはありません。私の政権下に生じた人道的な被害は、ドゥテルテ政権の遺したものであり、問題解消に取り組んできた私の政権の責任ではありません。そして、法と秩序が機能を取り戻した現在、フィリピンは国際社会からの介入なしに、自ら過去の問題を調査し、対処することもできるのです。」
― 良い落とし所となるのか?
「新冷戦」下においてフィリピンをしっかりと西側陣営に取り込んでおきたい西側諸国の政治家たちの多くは、おそらく、このマルコスの言い訳を受け容れることが良い落とし所だと考えるのではないでしょうか。結果、マルコス大統領に恩を売った上に、アロヨ政権以降、フィリピンに浸透してきた中国権益もドゥテルテ陣営と一緒に排除できますから。
しかし、マルコス政権になっても続く深刻な人道的被害の被害者たちや、人権団体は黙っていません。マルコス大統領のドイツでの記者会見や帰国後のPNP昇進式での発言に対しても、強い批判の声をあげています。この点については、次稿で深掘りしていきたいと思います。
〈Source〉
Compensation for acts of injustice, Inquirer, March 21, 2024.
FULL SPEECH: Joint Press Statement of President Marcos and Chancellor Olaf Scholz, Manila Bulletin Online, March 14, 2024.
ICC has no authority to probe Philippines, Marcos tells Germany’s Scholz, Reuters, March 14, 2024.
In Germany, Marcos touts his supposed about-face from Duterte’s bloody drug war, Rappler, March 14, 2024.
‘Left behind’ families look to ICC for Philippines drug war justice, Aljazeera, March 5, 2024.
On Marcos Jr.’s claims of decreased HR violations, KARAPATAN, March 23, 2024.
PBBM rallies new police generals to ‘serve until your last day, last hour in service’, Office of the President of the Philippines, March 18, 2024.
PBBM: It’s a ‘mistake’ for ICC to meddle in PH judicial affairs, Philippine News Agency, March 14, 2023.
Philippine drug war won’t end with Duterte in jail, idc, March 10, 2024.
Rights groups refute Marcos’ claim of ‘progress’ in ending drug war abuses, philstar, March 14, 2024.
Under Marcos, the Philippines drug war drags on, DW, March 21, 2024.