栗田英幸(愛媛大学)
*フィリピン・ニュース深掘りでは、隔週でフィリピンでの重要な出来事を一つ取り上げ、解説・深掘りします。
1年を迎えたマルコス政権(2)
父との比較で見える平凡ではないマルコス・ジュニアの1年
― 真似をするのも理由はある
フェルディナンド・マルコス・ジュニア(以下、マルコス)大統領が父フェルディナンド・マルコス・シニア(以下、シニア)の政策に対する負の評価を逆転させようと、数多くの機会で父の政策を褒め称え、また、同じ施策や父の「偉業」を想起させるような施策を復活させてきたことは、多くの専門家が指摘するところです。取り巻き政治家たちがシニア政権を含めてマルコスの政策を讃えるようになってきた一方で、批判的な人たちは、マルコス政権の政策をマルコス・シニアの「模倣」でしかない、もしくは、シニアの行った「略奪」政権への逆行だと声高に訴えます。
ただ、次の2点を考慮に入れるならば、マルコス大統領がシニアの政策をなぞるのも納得です。1点目は、マルコス大統領のフィリピンでの政治経済活動の正当性です。フィリピン国内でのマルコス・ファミリーの目立った行動は、シニアの「独裁者」「暴君」「簒奪者」という評価の故に、悉く強力な批判に晒され、その度に地位も財産も喪失しかねないマルコス・ファミリーの不安定な基盤を露呈させてきました。したがって、大統領に就任したマルコスにとって、父と同じ政策で著しい成果を挙げることが、大統領としての責務の全うに加えて、シニアの評価の逆転によってマルコス・ファミリーを正当化する、まさに一石二鳥の効果をもたらすのです。
2点目は、フィリピンを取り巻く環境の類似です。冷戦下のシニア政権時代と現在の新冷戦下におけるマルコス政権を取り巻く国際環境は、非常に似通っています。中国と米国の両陣営の間で上手く立ち回り、ODAや条件の緩い投融資および技術移転を積極的に利用しようとするのは、ある意味当然の帰結です。
― 自ら管理する農業と外交
マルコスが自身による管理を欲したという点で最も重要視した分野が外交と農業であることは間違いありません。自ら農業省長官(大臣)を兼務し、また、外務省には生え抜きの実務家エンリケ・マナロを抜擢して他政治家の介入を避けようとしていることからも明らかです。多角的かつ独自の積極外交と大規模なインフラ整備を伴う農業の近代化への意気込みは、まさに1970年代半ばまでのシニアの政策を見ているかのようです。
― 2大汚職組織の源泉を掌握
加えて、農業省長官のマルコス大統領は、巨額のインフラ公共事業の大部分を農業分野と実質的に紐づけました。フィリピンの発展を長らく阻んできた2大汚職事業機関である農業省と公共事業道路省の汚職源である公共事業をマルコス大統領が直接握ったことを意味します。楽観的に見るならば、汚職を許さない健全な公共事業の進展が期待できます。しかし、悲観的に見るならば、マルコスの手に横領可能な巨額資金が握られることを意味するのです。
― 資金援助・投融資・移転技術を掌握する外交
外交に関して、親中が売りのマルコス大統領でしたが、台湾への軍事的支援を見据えた複数の基地の利用を米軍に許可したことにより、親中のカードが無意味となったかのようにも見えます。しかし、実際には、親中を掲げていたからこそ、フィリピンはマルコス外交を通して、より巨額の融資や効果的な技術(*今のところは「口約束」程度のものでしかない)を手にすることができたのです。シニア大統領も中国に妻イメルダと息子マルコスを1974年に派遣したからこそ、その後に、特に日米からの政治的バックアップを伴った巨額の投融資および原発や製錬所といった重要技術の導入に成功したのです。中国に少し近づいただけで、容易に西側諸国から厚遇を得られることを、シニアの外交を見てきたマルコスは実体験として学んだはずです。
― 既にフィリピンの屋台骨を掴んだマルコス
マルコス大統領の1年は、「平凡」で片付けられるものでは決してありません。マルコス大統領が本当にフィリピンの国に尽くそうとしているのか、それともフィリピンを「略奪」しようとしているのかに関わらず、フィリピンを良くも悪くも変え得る最大の資金の入口と出口の両方を、言い換えるならば、フィリピンの屋台骨とも言える決定的に重要な領域を、マルコス大統領は確実に抑えてきているのです。
シニアが名君とも暴君とも評されたのも、実はマルコスと同様にフィリピンの背骨をしっかりと押さえていたからに他なりません。背骨を押さえたマルコス大統領が、今後どのように大鉈を振るっていくのかは、これから明らかになっていくのです。