映画でたどるドゥテルテ政権の5年

【写真】映画やテレビの審査を担当する委員会(MTRCB)のメンバーに新たに任命されたモカ・ウソン氏と握手するドゥテルテ大統領=マラカニアン宮殿、2017年1月10日/via Wikimedia Commons, public domain

【22日=東京】来年の大統領選に向けて2016年にスタートしたドゥテルテ政権を総括する報道が目立っている。独立系メディアのラップラーは20日、「ドゥテルテ政権下の映画の5年間」と題した記事をリリースした。違法薬物撲滅戦争(ドラッグ・ウォー)に伴う超法規的殺害や政府に異を唱える者たちに次々と「共産主義者」「テロリスト」のレッテルを貼る強権的な政治手法を前面に出したドゥテルテ大統領に対して、映画はどのように応答したのだろうか。

 ラップラーは「ドゥテルテ政権の人権侵害や権威主義的な政権スタイルを批判した映画に対しては、製作費が提供されたり、一般公開されたりすることは少なかった」としている。

 その背景として、映画業界と政府が「信じられないほど友好的」である点を挙げた。政治家一族を映画の出演者にするプロデューサーもいるという。

 例えば、2020年には、ホセリート・アルタレホス監督の『闘いは性差を超えて(仮訳、原題:Walang Kasarian ang Digmang Bayan』は映画祭開催の直前にラインナップから外された。この映画祭はドゥテルテ大統領の盟友であるブリランテ・メンドーサ監督が立ち上げたもので、ラップラーは「この映画がどれほど大胆に政府を批判する内容になっていたかを無視することはできなかった」としている。一部の映画祭の主催者や、映画テレビを審査する政府の委員会(MTRCB)が映画を検閲する権限を持ち続けていることを批判した。

 以下、ラップラーが紹介する映画のなかで主なものを紹介する。日本ではなかなか公開される作品は少ないが、フィリピンの現状を知るうえで、映画という様式は多くの示唆を与えてくれるだろう。

『ローサは密告された』(ブリランテ・メンドーサ監督、2016年)

 ドラッグ・ウォーを実行する警察の汚職と民衆の貧困を描いた最初の話題作。第69回カンヌ国際映画祭女優賞を受賞し、日本でも公開された。メンドーサ監督はドゥテルテ大統領の初期の一般教書演説の監督を務めた。ラップラーは「メンドーサ監督がドゥテルテ大統領自身の神話作りに喜んで参加していた」と、創作動機に疑問符をつけた。

『プルガトリョ』(デリック・カブリド監督、2016年)

 死体安置所に運び込まれる死体を利用して、複数の違法な収入源を築いている登場人物たちを描いている。超法規的殺害への痛烈な批判となった。ラップラーは「恐怖のカタルシスをもたらす」。

『トゥ・プグ・イマトゥイ』(アルビ・バルバローナ監督、2017年)

 先住民族ルマドへの弾圧とそれに対抗する闘いを描いた。ラップラーは「ルマドの物語を伝えることに尽力している数少ない監督の一人」と評価する。ルマドの人たちを役者としても起用しているという。

『レスペート』(トレブ・モンテラス2世監督、2017年)

 フィリピンの権力者たちが繰り返してきた民衆弾圧の歴史を描く。ラップラーは「マルコスの独裁政権の記憶の中にドゥテルテへの批判を置くことで、検閲の可能性を回避した多くの独立系作品」とする。

『怪物たちの時代(仮訳)』(ラヴ・ディアス監督、2018年)

 4時間の長編モノクロ作品。ミュージカルの様式をとり、「マルコス政権とドゥテルテ政権の間に明確な類似性」(ラップラー)を描いている。

『バイバスト』(エリック・マッティ監督、2018年)

 コミカルなアクション映画だが、警察が貧しい市民を虐殺する重い現実を結び付け、多義的な解釈を可能にする作品。ラップラーは「超法規的殺害とドラッグ・ウォーをエンターテインメントの領域で批判的な議論が可能であることを証明」としている。

 以下はタイトルと予告編のみ。

『マディリム アン ガビ』(アドルフォ・アリクス・ジュニア監督、2018年)

『ア・サウザンド・カッツ』(ラモーナ・ディアス監督、2020年)

『アスワング』(アリックス・アランパック監督、2020年)

『キングメーカー』(ローレン・グリーンフィールド監督、2019年)

『木の葉のざわめき フィリピン革命の内側(仮訳)』(ネティ・ワイルド監督、2019年)

<Source>
5 years of cinema under the Duterte administration, Rappler, July 20, 2021.

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