拗れるクウェート関係
排他的経済水域を巡る摩擦/警察自浄作戦、未だ継続中/OFWを巡る論点の見えないクウェートとの交渉
栗田英幸(愛媛大学)
海外メディアで沢山のフィリピン関連の報道(その多くは南シナ海に関するものでした)がなされた先週までと打って変わり、今週はフィリピンに関しての報道がかなり数を減らしています。1年半ほど前の、前回大統領選挙関連でフィリピンが注目される以前の状況に戻っただけとも言えますが。
今週は、排他的経済水域を巡る議論、警察自浄作戦の現状、フィリピン人海外出稼ぎ労働者(OFW)を巡るクウェートとフィリピン両政府の交渉経過、の3つの出来事をトピックスで取り上げました。
また、解説では、OFWを巡るクウェートとフィリピンの摩擦を理解する上で知っておくべきOFWに関する基礎情報とクウェートとの過去の出来事について整理しました。
◆今週のトピックス
トピック1:排他的経済水域をめぐる摩擦
― G7サミットの声明を歓迎するフィリピン政府
広島G7サミットでの南シナ海に対する声明を受け、フィリピン政府の公式通信社(PNA)のウェブサイトには、以下の記事が掲載された。
カガヤン・デ・オロ市第2区選出のルーファス・ロドリゲス議員は、5月22日、2016年の常設仲裁裁判所(PCA)による裁定をグループ7(G7)が支持したことを歓迎した。G7の支持は、西フィリピン海(南シナ海)に関するフィリピン側の主張を後押しすると述べた。
「我々は、米国が率いるG7が支持を表明したことに感謝している。これにより、アキノ政権時代に勝ち取った判決を中国は尊重しなければならない。中国の主張するいくつかの小島、海域、その中の資源は我々のものだという立場が強化されるだろう。」
広島での声明の中で、G7首脳は、2016年7月12日に仲裁裁判所が下した裁定は、「重要なマイルストーンであり、それらの手続きの当事者に法的拘束力を持ち、当事者間の紛争を平和的に解決するための有用な根拠となる」と改めて強調し、「南シナ海における中国の拡大的な海洋権益の主張には法的根拠がなく、この地域における中国の軍事化活動に反対する」と述べた。
ロドリゲス議員は、さらに、「北京(中国)は今すぐ、国際法上何の根拠もない南シナ海での広大な海洋権益の主張を放棄すべきだ」と述べ、マルコス政権に対し、パラワン島沖のレクトバンクまたはリードバンクで天然ガスと原油(これは同国の主張する排他的経済水域内にある)の探査を開始するよう改めて要請した。
― ベトナムにとっては中国もフィリピンも領海侵犯
5月18日、ベトナム政府は、南シナ海における中国調査船とフィリピン沿岸警備隊の最近の行動を、どちらもベトナムの主権を侵害していると批判した。
ここ数日、中国の調査船がベトナムの排他的経済水域内を航行し、両国の船舶が何度も対峙している。専門家は、中国の船舶について、調査船の可能性が高いと述べている。この対峙に関してベトナム外務省パム・トゥ・ハン報道官は記者会見で、「ベトナムの主権と管轄権を侵害している」としてベトナムの権益を守るために「適切な措置」をとっていると述べた。他方、中国は、科学的調査が中国の管轄区域における通常活動であると述べている。
また、スプラトリー諸島は、ベトナムも領有権を主張している。フィリピンはスプラトリー諸島の領有権を主張するため、ベトナム及び中国がそれぞれ領有を主張する5つの海域に航行ブイを設置している。このブイの「勝手な」設置に関してもベトナム政府はフィリピンを強く非難した。
トピック2:警察自浄作戦、未だ継続中
― 警察内部で隠蔽工作がなされているのは確実
10月にマニラで押収された67億ペソ相当のシャブについて、未だ犯人確定に繋がる決定的な証拠が出ていない。この調査に関して、公聴会を主導するデラ・ロサ上院議員(元国家警察長官)は、調査について次のように語った。
「(警察による)隠蔽工作が行われていることは確かだ。しかし、今のところ、どこまでが隠蔽工作なのかを確定できていない。関係する警察官が回答を上手く避けているからだ。誰もが真実を避けている。」
デラ・ロサ上院議員は、ドゥテルテ前政権終了後にドラッグ取引に関係する警官、いわゆる「ニンジャ警官」が勢いづいたと語る。
― ニンジャ警官はなんと9%?!
5月19日、国家警察ドラッグ取締りグループ(DEG)のファロ・オラグエラ准将は、クラメ基地での記者会見において、DEG内で暗躍する「ニンジャ警官」を炙り出し、DEG内部の膿を取り除く作戦について説明した。オラグエラ准将によれば、近年の内部調査により現在まで既に117人のDEG職員(DEG全職員1304人の9%もの「ニンジャ警官」が活動していたことになる!)が解雇された。
彼はまた「これは、私たちが内部浄化の一環として継続的に行ってきたことだ。私たちは、ドラッグ取締りグループにいかなる汚れも残さないことを望んでいる。そのためには、できる限り浄化する必要がある」と記者たちに語った。
さらに、彼は、DEGの内部浄化作戦の一環として特殊部隊(SAF)を配属して違法薬物撲滅キャンペーンの信頼性を高めるとする最近出された提案について取り上げ、次のように述べた。
「私たちはSAFの汚れのない評判を知っているので、個人的には非常に良い提案だと思う。」
しかし、SAFの実績は「汚れのない」ものとは正反対かもしれない。SAFは、2016年7月から2020年12月まで、ドラッグ取引きの第一の拠点と目されるビリビッド刑務所に配備されたが、その際にSAF隊員が刑務所内を拠点として暗躍するドラッグ王と共謀しており、刑務所内部で違法薬物の取引きが復活していたとの報告もある。
トピック3:OFWを巡る論点の見えないクウェートとの交渉
― 失敗に終わった二国間会談
フィリピン人に対する新規入国ビザの突然の停止をめぐるフィリピン政府とクウェート政府との2日間の会談は、解決策が見えないまま5月17日に終了した。今回の会談は、両国間の労働関係を再び緊張させた突然のビザ停止措置について、クウェート側からフィリピン側に公式な説明を与えただけで終わった。
エドゥアルド・デ・ベガ外務次官は18日、湾岸諸国の雇用主によって虐待されたOFWのためにフィリピン大使館が運営しているシェルター(保護施設)について、クウェート政府が「主権侵害」と認識していると述べた。
クウェート当局は、フィリピンの避難所の閉鎖を明確に要求したわけではなく、クウェートが運営する避難所をその目的のために代わりに使用するよう言っただけだと、彼は付け加えた。
― 両国の立場と不明瞭な対立点
クウェート政府はまた、両国間の2018年労働協定のどの条項に違反したとされているのかについても説明しなかった、とデ・ベガ外務次官は指摘した。
「労働者を保護するために我々が行っている措置に対して、(クウェート政府は)彼らの主権を侵害されていると感じている。例えば、フィリピン人が刑事事件を起こし、シェルターに収容されている場合などだ」とデ・ベガ外務次官は述べた。
しかし、デ・べガ外務次官は、フィリピン政府は自国の法律により、海外にいるフィリピン人を保護する義務を負っており、「妥協」してこの義務を譲ることはできないと説明した。
「領事館の任務は、国際法および国際条約の下で確立されたものだ」と彼は付け加えた。「フィリピン大使館にフィリピン人のためのセンターを設置するよう義務づけている自国の法律に違反し、外国にフィリピン人労働者の雇用を再開するよう説得することは、不名誉なことだ」。
フィリピン代表団はクウェートに対し、大使館が取った行動は単に 「フィリピン国民の安全と福祉を確保するため 」と説明した。フィリピン政府は、クウェートで「バハイ・カリンガ」とも呼ばれるシェルターを運営しており、18日の時点で466人の避難中のOFWが収容されている。
◆今週のトピックス解説:拗れるクウェート関係を理解するために
― 統計でみるOFW
フィリピン経済の大きな部分をその送金が占めるOFWの虐待や劣悪な雇用環境等は、解決すべき重要課題です。まずは、OFWの客観的な状況について、フィリピン統計局が2022年12月に公表した最新のデータを見てみましょう。
2021年4月から9月までに海外で働いていたフィリピン人は推定183万人、うち女性は60.2%。年齢層に大きな偏りはありません。職業分類に関して、女性の64.8%が手作業もしくは簡易な道具のみを利用する基礎的労働者です。ここに、虐待でしばしば問題となっている家事労働者も含まれます。男性では、基礎的労働者は10.7%に過ぎず、最大シェアの31.2%が機械オペレーターのような工業分野での技術労働者です。
出稼ぎ先では、中東を含めたアジア諸国が78.3%、そのうち、サウジアラビアが24.4%、続いて、アラブ首長国連邦(UAE)14.4%、香港6.7%、そして、今回問題となっているクウェートは第4位の5.9%です。地域別では、中東を除いたアジアと中東諸国がほぼ同数となっています。
OFWによる送金は、1513億300万ペソです。OFWのうち41%が4万ペソから10万ペソ未満、20.5%が10万ペソ以上の送金を行っています。この10年間、OFW年間送金は、GDPの9%台を推移しています。
― OFWを巡るクウェートとの摩擦
中東諸国でOFWが急増するのは2000年前後です。同時に、中東諸国での雇用主と労働者(=OFW)間の問題も数多く報告されるようになります。中東のメディアにはほとんど目を通していないため、それら諸国でOFWがどのように論じられているのか分かりませんが、フィリピン国内では、中東諸国でのOFWに対する深刻な人権侵害の問題が、しばしば集中的に報道されてきました。そして、その経済的重要性ゆえに、フィリピン政府もOFWの労働環境整備のために出稼ぎ先の政府と、時に喧嘩腰の厳しい交渉を伴った外交を精力的に展開してきました。
フィリピン人にとって最も記憶に新しいのは、2018年2月の事件に端を発したクウェートとフィリピンとの間の摩擦でしょう。2018年2月、クウェートで働くフィリピン人家事労働者の遺体が、雇用主宅の冷蔵庫内に押し込まれた状況で発見されました。それまでにも、家事労働者への性的な嫌がらせや深刻な被害、パスポートを取り上げられ逃げられないようにした上での過酷かつ低賃金での労働、さらに、OFW殺害の多発等、深刻な労働環境で働いている女性も少なくありませんでした。海外労働者福祉局によると2016年以降、2018年5月までで湾岸諸国で196件のOFW死亡事件が確認されています。このため、2018年2月の殺害事件をきっかけに、恐怖を感じた多くの女性OFWがフィリピン政府や人権団体に保護を訴えます。そして、ドゥテルテ大統領(当時)は、クウェートに対して怒りを爆発させ、希望するOFWに帰国便を準備すると同時に、クウェートへの出稼ぎを禁止しました。
それまでにもOFWの深刻な被害が明るみに出るたびにクウェート政府と粘り強く交渉を続けてきたフィリピン政府は、クウェートで働くOFWを保護し、最低賃金を補償するための法律を施行させることに成功しました。もちろん、現在に至るまで、それらが十分に守られていたとは言えません。2018年の事件を契機としたフィリピン政府によるクウェートへの出稼ぎ禁止の後、OFWに大きく依存していたクウェート政府は、早急なOFW禁止解除を求めてフィリピン政府と交渉を開始しました。その結果、両国間でのOFWに関する8ページにわたる覚書きが2018年5月に交わされました。この内容が、今回のクウェートからフィリピンへの一方的な新規のOFWビザ発給禁止を巡る両国政府の交渉に関係しています。
― 覚書きにおける認識の食い違いポイントは?
フィリピン政府とクウェート政府との言い分の食い違いはどこにあるのでしょうか?
覚書きには、「フィリピン人労働者の権利を強化し、(フィリピン国内での)リクルートと(クウェート国内での)労働を支えるためにクウェートとフィリピンの両国の法律に基づくべき」であることが1ページ目に記載され、その後に両国、そして、クウェート政府、続いてフィリピン政府が遵守すべき条項がそれぞれ箇条書きされています。
クウェート側の立場から覚書きを読んでみると、国内の雇用主に関する問題についてはクウェート側の責任、フィリピン国内においてリクルートする側の問題はフィリピン側の責任という明確な区分が意識されていることに気付かされます。もちろん、OFWと雇用側との争議に関して、フィリピン政府は適切な支援をOFWに行わなければなりません。しかし、文章で言及されているフィリピン政府による支援は、クウェートの法律をOFWが利用できるようになるための支援に限定されているように読めます。であるならば、クウェート政府がフィリピン政府にシェルターとしてクウェート政府が準備したものを利用するよう要請している点も頷けます(OFWがクウェート政府の提供するシェルターに安心を感じるとも思えませんが)。
一方、フィリピン政府の立場から読むならば、OFWへの適切な支援には、シェルターの設置も含まれ得ると拡大解釈できなくもありません。覚書きの文章では弱いと感じているからなのでしょう。フィリピン政府は、大使館に関する国際的なルールを持ち出し、「明確な違反はしていない」との発言を繰り返しているようにも感じます。
フィリピン大使館が準備したシェルターがどのように利用されているのか、どのような人にどのような手続きで利用を許可しているのか、言い換えるならば、本当に雇用者からの虐待等から保護されるべき人たちだけがシェルターを利用しているのか、クウェート側にも納得させる手続きや説明をフィリピン大使館が行っているのかについて、残念ながら私の手元に情報がないため(そして、私もこの問題に関して門外漢であるため)、主張の妥当性に言及することは控えます。
表面的な議論は、上記のようなシェルター利用方法の正当性に集中すると思いますが、本当の理由は、もしかしたら、フィリピン大使館が準備したシェルターに450人以上(18日の時点で466人*)ものOFWが逃げ込んでいるという、クウェート政府の無能さを曝け出しているかのようにも見える状況にクウェート政府がメンツを失っているだけかもしれません。今年1月にもクウェートで働くフィリピン人家事労働者が雇用主の息子に殺害され砂漠に死体を遺棄されていた事件があり、それ以降、クウェート国内外のメディアや人権団体が適切な法整備を未だ整えられないクウェート政府の怠慢を強く批判しています。個人的には、こちらの可能性の方が大きいと考えています。
*クウェートでは、家事労働者として働く多くのフィリピン人女性が恒常的な虐待の危険を感じながら働いています。このため、何らかの大きな虐待に関する事件があるたびに危機感に耐えられなくなる女性たちがフィリピン大使館に保護を求めて集まります。多くのフィリピン人家事労働者が元々保護されていたことに加えて、今年1月に発覚した殺害事件のニュース以降、保護を求める女性OFWが激増したようです
〈Source〉
117 tauhan ng PNP Drug Enforcement Group, sinibak, ABS-CBN, May 20, 2023.
2021 Overseas Filipino Workers (Final Results), PSA, December 2, 2022.
G7’s support ‘big boost’ to PH claims in WPS, PNA, May 22, 2023.
Philippines and Kuwait sign agreement protecting OFWs, Rappler, May 11, 2018.
Top drug enforcer welcomes SAF commandos, Inquirer, May 21, 2023.
Vietnam rebukes China, PH over South China Sea conduct, Inquirer, May 19, 2023.