マルコス政権の行方について、5回に分けての説明の最終回です。
― 2023年マルコスの快進撃
2022年末から23年の年始にかけて、マルコスは、ベンハー・アバロス内務自治長官、カルリト・ガルベス国防長官、クリスピン・レムリア司法長官を通して、警察、国軍、司法、政治における実権をドゥテルテ陣営から奪取し始めました。そして、2023年以降は、マルコスの従兄弟マルティン・ロムアルデス下院議長率いる下院議会においてドゥテルテ陣営から実権を取り戻す作業を開始しました。
司法の分野では、ドゥテルテの政敵として違法に拘留されていたレイラ・デ・リマを解放し(2023年11月)、下院と協力して新興宗教教祖のアポロ・キボロイを人身売買等の容疑で逮捕し(2024年9月)、ドゥテルテの情報発信塔として機能していたキボロイの所有とされるメディア企業SNMIの事業免許の停止を実現しました(2024年3月)。
警察では、警察高官に対する徹底的な調査によりドゥテルテ派警察官を追い出しました(2023年2-4月)。
国軍でも米国とのEDCA(防衛協力強化協定)による4基地追加(2023年2-4月)を契機とした人事を口実に、親中のドゥテルテ派高官を更迭し、親米人材を重要ポストに登用しました。さらに「ドゥテルテ陣営によるマルコス派排除の呼びかけ」に対し、その都度国軍の引き締めを図り、ドゥテルテ派の影響を確実に削除していきました。
下院議会でも2023年初頭よりドゥテルテ陣営への表立った攻勢が開始されました。サラ副大統領の機密費の問題、ロドリゴ前政権のドラッグ戦争の非人道的被害への責任、そして、憲法改正についての議論が積極的に進められました。
― 下院議会での闘いとその背景
警察や国軍の内部での闘いが水面下であったのとは異なり、下院議会では国民の目から見ても明らかな敵意を持ってドゥテルテ陣営への攻撃を開始します。もちろん、下院議会内部にもミンダナオを中心にドゥテルテ陣営の議員は存在していましたが、時とともにドゥテルテ陣営支持の声は小さくなっていきました。
キボロイ逮捕とSNMIの事業免許剥奪、そして、次に挙げるフィリピン・オフショア・ゲーミング事業(POGO)とサラ副大統領の機密費に対する調査が、下院議会での力関係を決定づけたように見えます。
明確なデータに基づいた言説ではありませんが、フィリピンは世界で最も高額な選挙資金が必要な国の1つと言われてきており、選挙の結果が候補者の資金力に大きく左右されます。ロドリゴ前政権の下で合法化・保護されてきたPOGOは、ドゥテルテ陣営の資金源とみなされてきました。マルコスは、大規模な人身売買の摘発を機にPOGOに対して厳しい調査・監視を行い、その完全な禁止に踏み切りました。さらに、ドゥテルテ陣営のもう1つの資金源とされるサラ副大統領兼教育大臣の機密費についても厳しい調査・追及が下院議会を中心になされ、2024年度と25年度はサラ副大統領の機密費が計上されませんでした。
一方、マルコスは、2024年6月の中間選挙に向けて慣例通り、ロムアルデス下院議長を通して、自らを支持する議員たちに手厚く公共事業予算を振り分けます。ドゥテルテ陣営からの選挙支援金は失われ、公共事業予算というマルコス陣営の選挙支援金は潤沢です。多くの下院議員たちにとって、どちらにつくかは明白でした。
― 上院議会に阻まれる快進撃
しかし、マルコス陣営の進撃はここで止まります。重要事項における下院議会での決定は、上院議会での了承を得なければなりません。そして、マルコス陣営は上院議会の掌握に失敗します。憲法改正案は上院議会で潰され(2024年4月)、ロドリゴの公聴会も強気で押し切られ(2024年10月)、サラ副大統領の弾劾裁判も上院で差し戻され(2025年2月)、現政権に有利なはずの中間選挙では、まさかのドゥテルテ陣営と引き分けに終わりました(2025年5月)。
この中間選挙、下院議会でこそマルコスは圧倒的勝利をおさめました。しかし、上院議会ではドゥテルテ陣営とまさかの引き分けです。さらに、ドゥテルテ陣営との泥沼試合に嫌気が差した多くの国民が第三勢力に票を投じた選挙でもありました。国民の人気に敏感な上院議会でドゥテルテ陣営を追い込む可能性は、今後よほどの出来事がない限り潰えたと言って良いでしょう。選挙後、マルコスは国民に対して何度も「敗戦」の反省を語り、より良い政治を約束します。
― タイムアップ
2023年から2024年に漂っていた改革ムードは、2025年の上院での泥試合による停滞によって、完全に消え去りました。それだけにとどまりません。マルコスは、改革のための時間的猶予を使い切ってしまったようです。タイムアップです。
マルコスが掲げる「新しいフィリピン」の正当性は、国民に対して、良き変化の実感、特に、逼迫する家計の改善を実感させることにこそありました。しかし、多くの国民が家計の苦境に喘ぎ続けている最中、マルコスはドゥテルテ陣営との泥試合にうつつを抜かしているようにしか見えません。国民の期待は冷め、諦めに変わります。そして、この諦めから怒りと一気に転換する出来事が生じました。洪水制御事業をめぐる汚職の問題です。
― 従来と異なる抗議活動
きっかけとなった洪水制御事業に関する汚職の問題は、昔からの慣例となっている、ありきたりの汚職です。このような公共事業にまつわる汚職は、これまでも幾度となく批判・改善の対象となっていました。しかし、過去、上下両院で何度も進められてきた調査・対策は、氷山の一角を氷山の一角のまま処理する、いわばトカゲの尻尾切りの範疇を出るものではありませんでした。真面目に調査・処分していたら、おそらく大部分の有力な政治家とそれに連なる全国の政治関係者が処分の対象になってしまうかもしれないので、当然です。
― 引くに引けない汚職問題
汚職構造の真相解明は、マルコス、ドゥテルテ両陣営ともにその根幹を揺るがしかねない危険な作業です。従来であれば、どちらも適当にお茶を濁して終わりたい案件です。しかし、今回の国民の怒りはなかなか冷めません。市民団体や学生たちの持続的組織的な抗議活動も活発に展開されていました。しかし、統率された圧倒的動員力を有する、ドゥテルテ陣営と協力関係にあるキリスト教の教派、イグレシア・ニ・クリスト(Iglesia ni Cristo=キリストの教会)による抗議活動こそが、簡単な幕引きを許さないプレッシャーをマルコスに与え続けられている要因です。イグレシア・ニ・クリストの会員は300万人とも言われており、イグレシア教会の主導する11月の汚職抗議デモでは、65万人もの人たちがエドサ通りを埋め尽くしました。
ドゥテルテ陣営支持アピールの一環としてイグレシア・ニ・クリストの抗議活動をとらえるならば、彼らの汚職解明要求を額面通りに受け取ることはできません。本当の汚職解明や効果的な対策は、先にも言ったように、できるはずがないのです。もちろん、運の悪い極一部の政治家は政界から退場させられるかもしれません。しかし、おそらく実態は従来より少し大きな尻尾切り程度でお終いでしょう。そして、十分な結果を伴わない、長引くだけの調査・解明は、ドゥテルテ陣営にも少なからず被害を与えますが、それ以上にマルコスの評価を大きく下げることになります。できないことに長く取り組ませ、マルコスの無能さを晒し続けること、これこそがドゥテルテを援護射撃するためのイグレシア・ニ・クリストの目的でしょう。
さらに、「新しいフィリピン」がマルコスの対応策を大きく狭めています。常日頃から、理性に基づいた判断、法制度に則った適切な手続きを主張してきたマルコスが、あからさまにドゥテルテ陣営だけを裁き、イグレシア・ニ・クリストの抗議を鎮圧し、強引に幕引きをする、といった強権的ロドリゴ前政権のような選択肢をとることはできません。これまで積み上げてきた「新しいフィリピン」のための構造改革が無意味になってしまうからです。
― マルコス政権の行方
今回を含むこれまでの5本のコラムでは、マルコスの政治的な行動が、亡命時に被ったトラウマをファミリーとして克服しようとするものであると仮定して、マルコスの今までの政治的な決断を再整理してきました。民衆の怒り、その怒りを容易にマルコス・ファミリーに向け得る政治家や政治構造は、フィリピン国民の歴史認識、政治認識、精神構造が根本的に変わらない限り、マルコス・ファミリーにとって無視し得ないリスクであり続けます。そして、それを克服するためにマルコスが選んだのが、大統領となり、フィリピン国民の歴史認識、政治認識、精神構造を変革すること、国民、ひいては社会の政治的判断を感情から切り離し、理性と法制度に則ったものに転換させることでした。その転換の道標こそが「新しいフィリピン」に他なりません。
しかし、この試みは十分な成果を得られずして大統領任期の満了に達してしまいそうです。これらを踏まえた上で、マルコスに残された政治的な決断について考えてみましょう。
第一は、「新しいフィリピン」を諦めて、サラを強引に政界から追放することです。結果として、内戦や中国の介入を招くことも絶対にないとは言えません。さらに、サラを救済するために、イグレシア・ニ・クリストやドゥテルテ陣営に動員・扇動され、おそらく数百万人規模の人たちが立ち上がるであろうことは予想に難くありません。マルコス若かりし頃の、エドサ革命という名の悪夢の再現です。
第二は、「新しいフィリピン」も、ドゥテルテ陣営の排除も諦めて、サラと再び和解する道です。マルコスは隠居し、マルコス・ファミリーの代表として姉のアイミーがサラの横に立つことになるかもしれません。そのための布石がアイミーのマルコスからの「離反」です。サラがアイミーを重視するかどうかは分かりませんが。
第三は、このまま「新しいフィリピン」を愚直に進めることです。しかし、既に国民から「新しいフィリピン」への信頼は冷え切ってしまっています。さらに、決定力に欠ける汚職問題の調査・解明の長期化は、ドゥテルテ陣営と第三勢力に利を与えるのみです。長期化している汚職抗議に対しては、イグレシア教会の介入をものともしないような画期的な解決策もしくは進展が得られるような戦略が必要です。残念ながら、私には思いつきません。
第四は、運良く、もしくは、意図的に、汚職問題への関心を消し去るような深刻な事態にフィリピンが直面することです。どの国でも深刻な人気の低下に直面した大統領が良くやる手口です。私が考えつく方法は、南シナ海を巡る紛争と米国の支援を積極的に利用すること、サラや激高しやすい彼女の兄弟たちを刺激してミンダナオ分離独立運動を誘発し、反逆罪として排除するかの2つです。これであれば、うまく行けば「新しいフィリピン」を、少なくとも捨て去る必要はありません。ドゥテルテ陣営という邪魔の入らない政治環境の下で経済成長を達成すれば、「新しいフィリピン」も多少なりとも進展するでしょう。
〈Source〉
【コラム】マルコス政権の行方(1):「新しいフィリピン」賛歌, Stop the Attack Campaign, September 5, 2025.
【コラム】マルコス政権の行方(2):ずらされた3つの論点, Stop the Attack Campaign, September 26, 2025.
【コラム】マルコス政権の行方(3):命がけの亡命と復帰, Stop the Attack Campaign, October 28, 2025.
【コラム】マルコス政権の行方(4):ドゥテルテとの蜜月期とその裏で繰り広げられる闘い, Stop the Attack Campaign, December 16, 2025.
新体制:まやかしの「リセット」と動けないマルコス(フィリピン・ニュース深掘り), Stop the Attacks Campain, June 6, 2025.
【フィリピン選挙速報】荒れる上院選挙:大苦戦のマルコス陣営、躍進するドゥテルテ陣営, Stop the Attacks Campain, May 17, 2025.
ドゥテルテ父娘の揺さぶりに振り回されるマルコス大統領(フィリピン・ニュース深掘り), Stop the Attacks Campain, January 19, 2025.



