新体制:まやかしの「リセット」と動けないマルコス
*フィリピン・ニュース深掘りでは、隔週でフィリピンでの重要な出来事を一つ取り上げ、解説・深掘りします。
栗田英幸(愛媛大学)
「大胆なリセット」
― 選挙不振で出直し?
5月22日、マルコス大統領は、全閣僚に対し「儀礼的辞任(courtesy resignation)」を求める異例の措置を講じました。これは、全閣僚が自ら辞表を提出し、組織の長(マルコス大統領)に自らの処置を一任する、フィリピンでしばしば見られる人事プロセスです。
今回は、中間選挙後の新たな人事「大胆なリセット」から見えてくる今後のマルコス政権の方向性について、深掘りしていきます。
― 中間選挙の大失態
2025年の中間選挙では、上院の半数12議席が改選対象となりましたが、マルコス大統領が支持した候補者たちは、わずか5議席を獲得するにとどまりました。マルコス大統領支持者リスト12人のうち7人が当選しましたが、そのうちの2名は、ドゥテルテ陣営との関係の方が強いため、実質、ドゥテルテ陣営の当選者と言って良いでしょう。一方、ドゥテルテ陣営の支持を受けた候補者も5議席を獲得しました。残る2議席はリベラル派が獲得しています。
マルコス大統領が自身の政策に対する国民の支持をアピールするには、過去の中間選挙からすれば最低でも全12議席中8議席、できれば10議席程度獲得する必要がありました。しかし、結果は7議席、しかも、うち2人はマルコス大統領を裏切ってドゥテルテ陣営についたのですから、マルコス政権への国民の支持はかなり低いと言わざるを得ません。「大胆なリセット」で閣僚メンバー一新のイメージを喧伝し、政策の転換を国民にアピールしなければならない訳です。
例外の重要経済ポスト
― 除外される経済閣僚
「儀礼的辞任」を要請したのと同時に、経済関連4閣僚の留任を発表しました。
財務省(DOF)長官:ラルフ・レクト
予算管理省(DBM)長官:アメナ・パンガンダマン
国家経済開発庁(NEDA)長官:アルセニオ・バリサカン
貿易産業省(DTI)長官:クリスティーナ・アルデゲール=ロケ
― 替える訳にはいかない理由
留任とはそれまでの政策を継続すること、そして、上記4閣僚の仕事がマルコス大統領にとって満足するものだったということです。加えて、財政赤字の問題を抱えつつも良好なマクロ経済と海外投資家からの評価、そして、今後増大するであろう対中同盟諸国からの海外投融資の観点からは、貿易・投資環境に不安要因を作り出して、海外投資家の不安を煽るような改革は避けなれければなりません。この素早い経済閣僚留任措置は、国内外の経済団体からも歓迎されています。
マルコス政権への国民の評価の多くは経済政策にかかっています。フィリピンのマクロ経済は概ね満足の行くパフォーマンスを維持していますが、それが国民の生活の豊かさや改善の実感に結びついていない状況は変えなければなりません。任期も折り返し地点を過ぎたマルコス大統領に残された唯一の手段は、大規模な海外からの投融資と公共事業でしょう。中国をけん制する日米豪英韓およびEU諸国からの、言い換えれば、対中最前線での危険な闘いへの見返りとしての巨額の投融資獲得こそが、マルコス政権の命綱なのです。
その後、今後実現する可能性の高い大規模な投融資や海外支援の分野別の受け皿となる省庁の長官人事が次々と公表されました。環境天然資源省(DENR)、エネルギー省(DOE)が新たな長官を迎え、農業省(DA)、保健省(DOH)、社会福祉開発省(DSWD)は留任となっています。
対中・対ドゥテルテのための人事
― 最前線の重要3ポスト
経済閣僚に続いて留任が決まったのは、次の3ポストです。
国防省(DND)長官:ギルベルト・テオドロ
司法省(DOJ)長官:ヘスス・クリスピン・レムリア
内務自治省(DILG)長官:ジョンビック・レムリア
この3ポスト(プラス フィリピン国家警察長官)は、マルコス政権にとってドゥテルテ陣営との闘いの最前線として、特別な意味を持ちます。
― 国防省:テオドロ長官
国防相は、ドゥテルテ陣営が最も欲していたポストで、政権発足時、サラ副大統領が要求していました。また、国防省管轄のフィリピン国軍と、内務自治省管轄のフィリピン国家警察の多くの重要ポストはドゥテルテ支持者に占められていました。
政権当初、国防省長官に就任した、マルコスにもドゥテルテにも近い軍人(ファウスティーノ)のやり口はドゥテルテ政権時と同様の超法規的作戦を是とする暴力的な反共戦略でした。その後、和平派で穏健派のガルベスが長官に就任すると、ドゥテルテ支持の軍高官を要職から弾き出していきました。
超法規的作戦の縮小と対話重視のコミュニティ支援政策への転換、そして、マルコス大統領とドゥテルテ陣営との亀裂は、ドゥテルテ支持の過激派軍人たちの不満と危機感を否応なく高めることとなりました。ガルベス長官は、ドゥテルテ陣営に呼応する軍人を忍耐強く探し出し、国軍高官は重要ポストから外し、一般軍人はドゥテルテ陣営から離れた部署へバラバラに配置換えしていったのです。
そして、2023年6月にそのガルベスを引き継いだのが、今回留任の決まった親米派のテオドロです。彼は、親中派でもあるドゥテルテ支持派排除を続け、国軍と米軍との連携を一気に進めました。中国と繋がっているかもしれないドゥテルテ派軍高官の炙り出しには、米軍が大きな役割を担っているのではないでしょうか。この2年間のガルベスの発言・行動で見えてきたのは、マルコスに忠誠を誓っているというよりも、親米フィリピンに忠誠を誓っている軍人の姿です。
― 司法省:レムリア長官
司法省のレムリア長官は、マルコスが大統領選に立候補した当初からの強力な支持者です。マルコス政権で最初から司法長官の座に座り続けてきました。就任当初は、赤タグ付けや脅迫じみた発言など、ドゥテルテ政権時代同様の暴力的な側面が目立ちました。人権軽視の暴力的な人物が司法長官になったことで、マルコス政権もドゥテルテ前政権の非人道的抑圧的な政策を踏襲するとの見方が強まりました。
しかし、2022年10月に起こった彼の息子の違法薬物所持容疑での逮捕と無罪釈放を機に、その姿勢は大きく変わりました。ドゥテルテ路線から離れようとするマルコス大統領の意向をしっかりと汲み、ドゥテルテ流の抑圧的な発言は減少しました。それは、ドゥテルテ陣営から明確に距離をとり始めたマルコス大統領に改めて忠誠を誓ったかのような変化でした。
国際刑事裁判所(ICC)の介入に否定的な発言を継続しつつも、ドゥテルテ前大統領の身柄引渡しにおいて、彼が最終的な決断をしたことは間違いありません。サラ副大統領の弾劾裁判は上院議会で争われることになりますが、両陣営ともにルールを逸脱するような行為がいくつも生じることになるでしょう。既に、上院議員の一部は、弾劾裁判をしない上院決議の準備を始めています。しかし、上院議会に弾劾裁判を止める権限はありません。司法判断を必要とする事態になる可能性もあります。司法省が法執行に厳しい判断をしていくことが、ドゥテルテ陣営を追い詰める上で重要なことに間違いありません。
さらに、ドゥテルテ人気を支える最大の手段がフェイクニュース戦略です。このフェイクニュースを取り締まる上でも、レムリア長官の役割は決定的に重要です。野放しのフェイクニュースによってサラ副大統領への高い支持が維持されるならば、非改選議員の大半を占める日和見の上院議員たちも、サラ副大統領を支援する方が3年後の上院選挙で票を獲得できると考え、ドゥテルテ陣営についてしまうでしょう。
― 内務自治省:ジョンビック(レムリア)長官
閣僚には、もう1人のレムリアがいます。レムリア司法長官の弟で、以下、ジョンビック長官と呼びましょう。ベンフール・アバロス前内務自治長官が今回の上院議員選挙に出馬するため辞任したあとを引き継いだのが、ジョンビックです。残念ながら、アバロスは、マルコス大統領からの強力な支援にもかかわらず落選してしまいました。
マルコス政権発足時には、内務自治省が管轄するフィリピン国家警察もフィリピン国軍と同様、ドラッグ戦争を通してドゥテルテの影響力が浸透していました。そのために機能不全に陥っていた国家警察に大ナタを振るったのが、アバロス前長官です。別の機会に改めて書きたいと考えていますが、真っ先にドゥテルテ陣営の牙城を崩したアバロス前長官こそ、対ドゥテルテ戦略での最大の功労者だと私は思います。そのフィリピン国家警察の大改革のあとを任されたのが、ジョンビック長官です。
― 国家警察長官:トーレ
儀礼的辞任とは別に、対ドゥテルテ陣営において重要なもう一つの人事がありました。それは、フィリピン国家警察(PNP)の新長官の任命です。任命されたのは、ニコラス・デロソ・トーレⅢ世。ドゥテルテ前大統領のICCへの身柄引渡しのための逮捕や、彼の腹心アポロ・キボロイ教祖の人身売買および性的虐待容疑での逮捕の指揮を執っていた人物です。
トーレのPNP長官任命に対して、ドゥテルテ陣営は即座に反応しました。サラ副大統領とその弟でダバオ副市長に当選したセバスチャンは「怪しい」、「えこひいき」と主張、ドゥテルテ陣営を攻撃する政治的な意図があると批判しています。ドゥテルテ陣営にとって、それだけ面白くない人事だということです。
逆転のための戦略?
― 実は変わっていない?
上院の中間選挙だけを見れば、ドゥテルテ陣営の勝利と呼んで良い結果でした。マルコス大統領は、民意である選挙結果を真摯に受け止め、即座に「大胆なリセット」を発表することで、政権を一新したように国民に印象づけました。しかし、そのイメージとは裏腹に、多くの重要ポストに変化がなかったのは、これまで見てきた通りです。最終的な閣僚人事が発表された際、私も肩透かしをくらった気分でした。
替えるつもりはそもそもなかったのか、それとも、政治家からの求心力の低下を恐れて替えたくても替えられなかったのかは、分かりません。個人的には、後者ではないかと思っています。
マクロ経済や対ドゥテルテ陣営に関する重要ポストの留任は妥当だと私も思います。しかし、他のポスト、特に、汚職や不透明な資金、深刻な問題への対応に関して国民から強い批判の上がっている農業省、保健省、社会福祉開発省に関しては、長官を替えた方が良かったのではないかと思うからです。
― 身動き取れない?マルコス
大きな変化がないのに、何が「大胆なリセット」だと国民に説明するのでしょうか? 未だに見えてきません。「大胆なリセット」から見えるのは、中間選挙の結果、これまで以上にドゥテルテ陣営との闘いで身動きとれない状況に陥っているマルコス政権の姿なのかもしれません。
〈Source〉
Marcos orders Cabinet courtesy resignations in ‘bold reset’ after 2025 midterms, Rappler, May 22, 2025.
New PNP chief vows swift, responsive public service, Philippines News Agency, June 2, 2025.
PBBM retains DOJ, DILG, DND chiefs, Philippines News Agency, May 29, 2025.
Senate told: Do this and you violate Constitution, Inquirer, June 5, 2025.
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