【Tita Seikoの侃々諤々】
村の卒業式

【写真】(左から)Expats’ Guide to Graduation Culture in the Philippines, primer, July 9, 2021., State of PH education hinders bid for inclusive growth, Rappler, February 7, 2015., 平井朗提供.

大橋成子(ピープルズ・プラン研究所、APLA理事)

 3月。卒業式シーズンがやってきた。この時期になると、私はかつて暮らしていたネグロス島の小さな漁村を思い出す。バコロド市から40㌔程南にあるサンエンリケ町ナヨン村。8年前に亡くなった夫の故郷だ。現在は小さな橋が架かっているが、昔は渡し船で行き来する小さな島だった。ギマラス島が目の前に見える。イロンゴ語でナヨンは「あちら」という意味で、船頭に「あちらまで」と行先を告げていたことが地名の由来らしい。マングローブ林に囲まれ、カニやムール貝・牡蠣の養殖が盛んだ。当時村一番の長寿だったロラ・マリアによると「ナヨンには雌豚という意味もある。カルシウムを沢山食べているから、女たちは子どもをよく産む!笑笑」ともっともらしい解釈を聞かされたことがある。貧しいけれど人情味に溢れる村だった。

 小学校の卒業式は祭りのように華やかだった。子どもたちは成績表を心配しながらも、リボンをいくつ貰えるか、どんな洋服を買ってもらえるかソワソワして式までの日数を数える。公立の小学校は制服がない。普段はヨレヨレの洋服を着ていても、卒業式はめいっぱいおしゃれする。特に女の子たちは色とりどりのパーティードレスで着飾るので、この時ばかりと商魂逞しい貸衣装屋が町からやってきて、村の広場はさながら祭りの出店のように賑わう。

 各教科の成績表よりも、「勤勉」「皆勤」「清潔」「協力的」と書かれたリボン賞を勲章のようにいくつも胸に飾ることが、子どもたちの最大の関心事。式典には市長を始め、普段ナヨン村まで足を運ばない町の議員や有志も出席するため、先生たちはやんちゃな生徒たちの行儀指導や演壇の飾りつけで大わらわ。親たちも駆り出されて、校内をピカピカにし、校庭の花壇まで作り直し、まさに村あげての美化活動に励むのだ。

 小学校は村の広場に面していて、生徒総数280人。村の人口が2000人弱だから確かに子どもはロラ・マリアが言ったように多かった。先生は各学年の担任と校長先生の計7人。当時は全員女性だった。彼女たちは近くの町の出身だから、子どもたちの家庭の事情もよく知っていた。父親は漁師、母親は魚の行商人が圧倒的に多かった。子どもたちは朝5時頃から両親の仕事を手伝い、その後に登校するのが当たり前で、忙しい時期や学校の教材費が払えなくて欠席する子もよくいた。「事情を知っているだけに、可哀そうで叱ることができない」と、先生たちはそうした子どもたちのノートや工作費に自腹を切っていることを村人は皆知っていた。

 フィリピンは公立の場合、小・高校の入学金と教科書は無料だが、教科書は使いまわしで、お下がりを利用するためボロボロだし常に数が足りない。コピー代を払えない子たちは数人で一冊の教科書をシェアする。授業や実習に必要な経費は積み立て制ではないので、クレヨンや画用紙など図工用具、料理や理科の実習費用は、その都度、親が払わなければならない。

 先生たちも、膨大な時間外労働を考えると薄給の身だ。公立小学校の初任給は月2万7000ペソ(約7万2000円)、マスター(修士号)をとれば4万~5万ペソ、校長に昇格すれば6万4000ペソ(フィリピン政府統計SSL V Fourth Tranche, 2023年1月)。

 国の教育予算はナヨン村のような小さな村まで十分に行きわたらない。設備も教材も足りず、机や椅子さえ買い替えることができないなか、先生たちは授業以外の時間に、手作りの教材や壁新聞を作るなど、手当のつかない残業に追われる。

 それでも、企業も会社も病院もない村では、学校の先生が唯一“プロフェッショナル”な職業だから、子どもたちの尊敬も大きい。「将来なにになりたいの?」という質問に、ほとんどの子どもたちが「先生!」と答えるほど、憧れの存在だ。

 親たちは子どもの成長を嬉しく思う一方で、予想外にかかる学校の経費に頭を抱える。特に工面が大変なのは、始業式・卒業式はもとより、環境デー、独立記念日(6月12日)、英雄の日(8月の最終月曜日)、国連デー(10月24日)、ボニファシオ記念日(11月30日)、クリスマス等々、国の年中行事ごとに学校でもとり行われるプログラムだ。

 当時、私が継母になった夫の連れ子5人のうち3人が村の小学校に通っていた。学校の年間行事で一番度肝を抜かれたのが、国連発足を記念する国連デーに行われる「ミス国連コンテスト」。先生が生徒にミス・アメリカやミス・フランスを指名するのだが、4女のグレッチェンは「ミス・イギリス」に、そして末っ子のシサはなんと「ミス・ジャパン」に指名されてしまった。日本は常任理事国にもなっていないなんて先生たちには関係ない。さて、衣装はどうしよう。イギリスはなんとかなるものの、ジャパンにいたっては、私は浴衣さえ持っていなかった。「大丈夫!私が用意する」と、校長先生が持ってきた衣装を着たシサの姿を見てギョッとした。団子のように纏めた髪に割り箸を2本さし、背中が大きく開いた花魁のような姿になっていたのだ・・・。ちなみに先生が参考本にした『世界の民族衣装』を見たら、日本はまさにキセルをくわえた花魁そのものだった。

 さらに驚いたのは、「ミス国連」とは、衣装や「美しさ」を競うコンテストではなく、選ばれた子どもたちが学校への寄付金を集める行事だったということ。“各国代表”はコンテスト前に近所や親戚の家を廻って封筒を配り、数日後に寄付金を入れてもらった封筒を回収しにいく。コンテスト当日に民族衣装を纏った各国代表が壇上に並び、一番多くお金を集めた子が優勝者、そして集めたお金は全額学校に納めるというシステムだったのだ。だが、なかには生活費の足しに多少くすめる親もいるらしい。

 校長先生の思惑どおり、私が日本人ということで、村中が“ジャパン”で盛り上り、シサの募金額がトップになって優勝。全額を学校に納めたことで表彰までされた。子どもに金集めをさせる理不尽さに最初は腹がたったが、考えてみれば、国の教育予算が足りないために必死に考えた資金調達方法だと思うと、先生たちにもつい同情してしまった。

 米国主導の世界支配の下で、国連の役割がすっかり希薄になってしまった昨今だが、フィリピンの小学校では、「国連デー」がなんとも奇抜な形で根付いていた。

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