【解説記事】マルコス・シニアの「負の遺産」
バタアン原子力発電所(BNPP)(1)

【写真】バタアン原子力発電所/via Duterte expects next admin would explore nuclear energy, Philippine Information Agency, May 25, 2022.

 1984年に9割がたが完成したものの一度も商業運転されたことのないバタアン原子力発電所(BNPP)が、今また、にわかに注目を集めています。今後、さまざまな動きがありそうな話題なので、2回にわたり、BNPPに関する基本的な情報についてまとめておきます。

 今回は、BNPP設立の背景や一度も商業運転されていない理由などについて取り上げます。
次回は、前ノイノイ・アキノ政権下では中断していたBNPP再整備計画が、ドゥテルテ政権下においてあらたに検討の遡上にあがった経緯を概観したいと思います。

― そもそも、なぜ今、原子力発電所のことが話題になっているのでしょう?

 2022年2月28日に、ドゥテルテ大統領が原子力を電源構成に組み込むことを定めた大統領令第164号に署名し、続いて、BNPPを稼働させる意思を示す次期大統領の「ボンボン」マルコスが、5月に韓国大使と会談し、「韓国側の諮問と研究結果を踏まえてBNPP稼働について検討に入る」と公表したからです。
 過去に何度も、BNPPの再整備と商業運転の可能性は調査されてきたのですが、2011年の福島第一原発事故を受け、当時のノイノイ・アキノ政権は、BNPP再整備を優先課題から外し、再整備の検討も中断しました。
 ドゥテルテ政権において、どのようにBNPP再整備の話題が浮上してきたのかについては、次回取り上げます。

― BNPPはいつ建設されたのですか?

 「ボンボン」マルコスの父であるフェルディナンド・マルコス・シニア(マルコス・シニア)元大統領が布告した戒厳令下の1976年に着工し、1984年にBNPPの9割がたが完成しました。これは、東南アジア諸国のなかでもっとも早い原発導入でした。ちなみに、戒厳令が布告されたのは、1972年です。

― なぜ、BNPPを建設したのですか?

 1970年代のエネルギー危機を背景に、BNPPは、輸入石油への依存度を下げ、ルソン島送電網の代替電力源を開発することを目的として建設されました。ルソン地方の電力需要の少なくとも10%を、BNPPが賄う予定でした。
 アジア経済研究所の鈴木有理佳によれば、フィリピンは、「原子力の平和利用」を推進する米国の影響を受け、1958年に制定された科学法においてフィリピン原子力エネルギー委員会(現、原子力研究所)を設立し、原子力エネルギーの研究開発をする体制をすでに整えていました。しかし、原発導入計画が本格的に動き出したのは、オイルショック後のことでした。

― 施工者は誰で、費用はどのくらいかかったのでしょう?

 施工者は、米国のウェスティングハウス・エレクトリック社です。フィリピンのジャーナリストらが設立した探査報道NGOヴェラ・ファイルによれば、マルコス・シニア政権は、具体的な入札書もないままに、同社にBNPPの建設を発注しました。当初、同社が5億ドル(654億3000万円)で入札しましたが、1984年の完成時にその費用は23億ドル(3009億7800万円)にまで膨れ上がっていました。フィリピンがこのローンと利息を完済したのは、2007年でした。
 さらに、発電もせず無用の長物と化しているBNPPの維持管理には、今も年間、4000万ペソ(約9900万円)かかっていると言われています。

― 入札書もなく、ウェスティングハウス・エレクトリック社へ発注したのですか?

 ヴェラ・ファイルによると、ウェスティングハウス・エレクトリック社が交渉の場に登場する以前、フィリピン国営電力公社は、より安価な予算額を提示したジェネラル・エレクトリック社とすでに交渉していました。しかしながら、原子力発電所2基の計画の詳細も不明なウェスティングハウス・エレクトリック社への発注が決まったのです。
 その理由は、マルコス・シニア元大統領が、1986年のピープルパワー革命によって国外へ脱出した後に、明らかになりました。

― なぜ、ウェスティングハウス・エレクトリック社が入札に勝ったのですか?

 入札の過程には贈収賄がありました。ヴェラ・ファイルによれば、マルコスとその側近は、フィリピン政府とウェスティングハウス・エレクトリック社、バーンズ・アンド・ロー社間の契約から数百万ドル手に入れたと考えられています。
 また、ロサンジェルス・タイムスは、1986年6月12日の紙面で、ウェスティングハウス・エレクトリック社が8000万ドル以上にもなる手数料を支払っていたことをフィリピン政府調査団が明らかにしたと報じました。この手数料の最初の受取人は、ロサンジェルス・タイムスによれば、マルコスの取り巻きエルミニオ・ディシニです。ディシニは弁護士で、マルコス・シニア元大統領の配偶者イメルダ・マルコスのいとこの夫です。ただし、この手数料がマルコス・シニア元大統領に渡ったという直接的な証拠はないとも、同誌は報じています。
 1986年に、マルコス一家が国外へ脱出したあと、不正蓄財の財務書類の中からその証拠が発見されました。それを基に、フィリピン政府は米国の裁判所に対し、ウェスティングハウス・エレクトリック社とバーンズ・アンド・ロー社による贈収賄と高過ぎる価格設定に関して、訴えを起こしました。しかし、米国の裁判所は、その訴えを却下しました。
 ロサンジェルス・タイムスによれば、ウェスティングハウス・エレクトリック社は、ディシニに対して手数料1700万ドルを支払ったことを認めていますが、それは違法な支払いでないと主張していました。さらに、同社は、その手数料に関してすでに米国司法省と証券取引委員会による調査が済んでいると述べました。
 一方、フィリピンの最高裁判所はSandiganbayan(公務員特別裁判所)がBNPPに関する取引の裁判権を持つことを認め、2013年、公務員特別裁判所はディシニに対して、不正に受け取った5060万ドル(約66億円)をフィリピン政府へ返却するよう命じました。ニューヨーク・タイムズは、ウェスティングハウス・エレクトリック社のスポークスパーソンが「契約取得の支援と実施のための手数料」をディシニに支払ったことを認めたと、1978年に報じています。

― どうしてBNPPは一度も稼働しなかったのでしょう?

 1986年4月にチェルノブイリ原発事故が起きたこともあり、同年に発足したコラソン・アキノ政権は、BNPPの安全性を問題視し、商業運転を認めませんでした。実際には、1984年に核燃料が現地に届けられ、翌年にはIAEAによる安全検査も行われ、商業運転の許可をまつばかりの状態になっていたのです。
 アキノ政権は、安全性を疑問視する理由として、BNPPは活断層の上に立地していること、フィリピン火山地震研究所が潜在的活火山とみなすナティブ火山から7.5キロメートルしか離れていないことを挙げました。
 実は、それ以前からBNPPの安全性には疑問が投げかけられていました。1980年に、米国原子力委員会のロバート・ポラード技士がBNPPを視察し、同施設は安全性、信頼性、コスト面に問題があると指摘していたのです。

 今まで、幾度となくBNPPの再整備は検討されてきましたが、次回は、ドゥテルテ政権下であらたに原子力発電が注目されるようになっていた背景について取り上げます。

〈Source〉
Disini’s cousin, a crucial witness to Marcos illegal wealth cases, ABS-CBN NEWS, July 28, 2008.
Marcos Orders Seizure of Wealthy Friends Companies, The Washington Post, January 18, 1978.
Marcos, Facing Criticism, May End $1 Billion Westinghouse Contract, The New York Times, January 14, 1978.
MISLEADING: Bataan Nuclear Power Plant ‘wasted by Cory Aquino’, Rappler, July 13, 2019.
Philippine nuclear program faces brighter prospects, philstar, May 30, 2022.
THE $2.2 BILLION NUCLEAR FIASCO Westinghouse’s Philippine power plant is a management nightmare, and it isn’t even running. The Aquino government charges that the company bribed Ferdinand Marcos and did sloppy work. It wants restitution., CNN, September 1, 1986.
VERA FILES FACT SHEET: A sleeping power giant, Bataan Nuclear Power Plant explained – VERA Files, VERA Files, October 25, 2020.
$2.1 Billion Nuclear Plant, Never Used, Stands at Core of Philippines’ Debt Crisis, Los Angeles Times, June 12, 1986.
鈴木有理佳, バタアン原子力発電所は再封印か?, 2011, 日本貿易振興機構アジア経済研究所.

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