パマナ・リン・タヨ(Pamana Rin Tayo)
福田美智子
― 名乗り出から30年近く経っても
フィリピンの多くの人権活動家らと同様に、私が活動を共にしている日本軍「慰安婦」サバイバーの団体リラ・ピリピーナも困難な状況にあります。今回は、ドゥテルテ政権下、またコロナ禍での同団体の現状や私たちの活動をお伝えします。
リラ・ピリピーナは1992年に「フィリピン人『慰安婦』問題対策協議会」として設立されて以来(94年にリラ・ピリピーナに改称)、サバイバーのケアや抗議行動、日本政府を相手取った裁判、証言活動など多くの活動を行なってきました。比日の支援者は、サバイバーの女性たちを敬意と親愛を込めて「ロラ」(フィリピン語でおばあさんの意)と呼びます。今では活動に参加できるロラはもう数名にすぎません。
ロラたちは30年近くにわたり日本政府による公式の謝罪、法的な補償、「慰安婦」に関する事実を次世代に伝える歴史教育を求めていますが、その要求は受け入れられないままです。最大の援助国日本との関係を重視する歴代の比政権は解決済みとの立場を崩しません。ドゥテルテ政権も同様で、2017年12月にマニラ市に設置された「慰安婦」像を翌年4月に撤去したほどです。設置後は日本政府関係者からの“遺憾”の意の表明が相次いでいました。
― ロラたちと日本の大学生をつなぐ
現在の日本社会は、ロラたちの声を無視し、歴史的な事実を歪曲さえすることで、ロラたち、アジア中のサバイバーたちを苦しめ続けています。私はその社会の一成員であるという点で、行動する責任があると思っています。そして、ロラたちに出会い、共に暮らし、直接証言を聴いた者として、その言葉を伝え、闘いを受け継ぐ役割があると痛感しています。
そこで、同じ思いを持つ日本の友人たちと「パマナ・リン・タヨ(Pamana rin tayo、略称PART)」というグループを立ち上げました。直訳すると「私たちも継承者であろうよ」といった意味で、主に日本の若い世代とロラたちをオンラインでつなぐ活動をしています。大学教員の方々に協力をあおぎ、平和学などの授業でこれまで500人以上の学生にロラの証言を聴いてもらいました。学生たちは初めて聴くロラたちの体験に大きなショックを受けます。授業後のアンケートには、ロラたちへの尊敬と感謝、問題を自分ごととしてとらえたいという思いもつづられます。
―「自分が生きている間に二度も独裁を経験することになるなんて」
コロナ禍になり、証言以外の方法を探る必要が出てきました。ロラたちを感染リスクに晒せないためです。現在は、リラの若いボランティアが制作した証言ビデオやPARTのメンバーが制作した絵本など多様なツールを使い、リラと共同でオンラインイベントや大学の授業を行なっています。ロラたちも自宅からビデオメッセージを寄せるなど活動を続けており、心強い限りです。
一方で、ドゥテルテ政権はリラやその上部組織である全国的な女性団体ガブリエラへの締め付けを強めています。例えば、2020年3月に3人のロラや国際的に活躍する舞台女優のモニク・ウィルソンさんらが中心となり日本大使館への行進を実施した時のこと。首都圏警察はその日のうちに自分たちのソーシャルメディアでリラをレッド・タッギング(フィリピン共産党の関係者や支持者だとして本人の氏名や顔写真を当局が公開すること)したのです。しかし、ロラたちの支援キャンペーン「フラワーズ・フォー・ロラズ」のリーダー、テレシータ・アン・シーさんによる働きかけの結果、翌日取り下げられました。その後7月のテロ防止法成立後には、パナイ島カピス州でロラに支援物資を届けるボランティアの職場に当局関係者がやって来たといいます。
今年の4月には、リラのコーディネーター、シャロン・カブサオ・シルバさんが他の大勢の活動家と共にレッド・タッギングされてしまいました。非公式の対象者リストがフェイスブックに出回ったのです。シャロンさんはその頃、ドゥテルテ大統領と政府の米中寄りの政策、市民に冷淡なコロナ対策をSNS上で批判していたといいます。活動家歴の長い彼女は「自分が生きている間に(マルコス政権に続き)二度も独裁を経験することになるなんて」とやりきれない様子です。
今は、リラのオフィスから外出する時に一人にならないよう、ガブリエラが同行者を付けているそうです。最近では、9月21日の国際平和デーにリラが開催したイベントに少なくとも2人の男性が現れて撤収まで監視していたそうです。
こうした状況を受け、シャロンさんは日本の市民に支援と連帯を呼びかけています。「慰安婦」問題については、日本政府に被害者への責任ある対応、憲法9条の堅持、ODAと「慰安婦」問題の切り離しを求めてほしいとしています。比政府による不当逮捕やレッド・タッギング、超法規殺人に対しても、署名や公開書簡を通した抗議や国際刑事裁判所による捜査の支持を呼びかけています。
リラ・ピリピーナは弾圧から身を守りながらロラたちの健康や生活を支え、そのうえでロラたちと正義を求める闘いを続けています。決してひるまないロラたち、リラの活動家たちと共にありたいと思います。
〈筆者紹介〉
「パマナ・リン・タヨ(PART)」設立メンバー
1999年よりNPO法人長崎人権平和資料館のボランティア/理事として日本の植民地・戦争責任の問題に関わる。2013〜14年、フィリピンのアテネオ・デ・マニラ大学とコスタリカの国連平和大学の修士課程で「ジェンダーと平和構築」を学ぶ。アテネオ大在学中はリラ・ピリピーナの活動拠点でありロラたちのシェルターであるロラズセンターに下宿。卒業後もリラとの活動を継続し友人らとPARTを立ち上げた。