波多江 秀枝(国際環境NGO FoE Japan)
「ノーベル平和賞をフィリピン人が受賞」――ドゥテルテ政権下における「報道の自由」に目を向けた今年10月のこの一見喜ばしいニュースは、裏を返せば、フィリピンでこれまで「表現の自由」や「生きる権利」など基本的人権を求めて闘い、政治的抑圧・弾圧の犠牲となってきた多くの市民の存在を意味するものでもありました。今回は、そうしたフィリピンで「闘う」人びとが直面してきた人権侵害について、また、そのフィリピンの人権状況と日本で暮らす私たちが切っても切れない関係にある事実を、事例を挙げてご紹介したいと思います。
― フィリピンと日本を行き来する「モノ」と「おカネ」:消費者、預金者としての関わり
まず、フィリピンと日本のつながりを「モノ」から見てみます。誰からも見えやすいのは、バナナでしょう。日本にいる皆さんが食卓で口にするバナナの約8割はフィリピンから輸入されているものです。
また、見えにくいですが、私たちの日常生活に欠かすことのできないスマホやステンレス製品、そして充電池の正極材に使われている「ニッケル」という鉱物資源もフィリピンから輸入されています。私たちの手元にある最終製品に含まれるニッケル原料について、どれだけがフィリピンから調達したものか、その割合を示すのは難しいですが、未加工のニッケル鉱石については4~5割を、一段階製錬したニッケルの中間原料については100%を、日本はフィリピンで調達しています。
こうしたフィリピンから日本への「モノ」の流れの中で、私たちは「消費者」としてフィリピンとつながっていることになります。そして、「モノ」が流れてくるということは、日本からフィリピンに「おカネ」が流れていることになります。その「おカネ」の流れに直接関わっているのはバナナやニッケルを調達している企業や、そうした企業を支援する官民の銀行等になるわけですが、その「おカネ」の流れの末端にいるのは、もっと言えば「おカネ」の出処は、「預金者」としての私たち一人ひとりになります。
― 事例:土地、環境、生活、命を奪ってきた鉱山開発の現場、そして日本の関わり
では次に、日本に流れてくる「モノ」が生産されているフィリピンの現場で何が起きているのかを見ていきます。ここでは紙面の関係で、ニッケルの開発現場の事例のみを取り上げます。
(※バナナの生産現場の事例はこちらをご参照ください)
冒頭の写真は、FoE Japanが調査を行なってきたフィリピンのニッケル鉱山の様子を遠目から見たものです。そして、この鉱山周辺をGoogle Earthで見ると、下の図のようにまっ茶色の広がりが確認でき、森林が伐採されて山肌が露出しているのがわかります。
このフィリピン・ミンダナオ島にあるタガニート・ニッケル鉱山(4,862.75 haの採掘許可。2034年まで)では、1987年から大平洋金属と双日が出資する日系企業が採掘を開始しました。その後、中国や台湾の企業も進出してきたため、どんどん採掘現場は広がるばかりです。そして、2013年からは住友金属鉱山と三井物産が出資する日系企業が国際協力銀行(JBIC/日本政府100%出資の政策金融機関)の支援を受けて、製錬所の稼働も行っています。
この開発の波の中で企業が鉱山サイトを拡張するたび、20年以上もの間に少なくとも5回は居住地から追い立てられてきたのが先住民族ママヌワの人びとです。鉱山企業が移転地を用意したのは2011年になってからでした(下写真)。
「これが最後(の移転)と言われている。ここの生活はコンクリートの家で、電気やテレビもあって、よく見えるかもしれないね。でも、決して自分たちが望んでいた(発展の)形ではないんだ。ここでは農業ができないし、木も山に行かないとない。海は(鉱山サイトから流出した)赤土で汚れてしまって魚も獲れない。生活の糧が近くにないんだ。」
2012年に移転地での生活の様子をこう語ってくれたママヌワの若きリーダーだった”ニコ”ことヴェロニコ・デラメンテさん(下写真)は、当時、これ以上の開発で自分たち先住民族の土地が奪われていくことにも懸念を示していました。
「最初にこの地での鉱山活動を許した自分たちの年長者を責めはしない。でも、もしチャンスがあるのであれば、企業が鉱山のために先祖の土地を使うのを止めさせたい。」
ニコさんはその5年後の2017年1月、移転地近くでオートバイに乗ってやってきた2人組によって射殺されました。27歳でした。ニコさんは当時、中国系の企業が同地域で計画していた鉱山開発の拡張に反対の声をあげており、生前から死の脅迫を受けていたとのことです。「自分も同じ目にあうかもしれない。」――ニコさんが暗殺された後、残された仲間がそうした不安を抱き、口をつぐんだことは想像に難くありません。
―フィリピンでの人権侵害を「自分ごと」として捉える
このように、自分たちの土地の権利や生活を守ろうと声をあげてきた先住民族や住民が殺害されるという超法規的殺害(Extrajudicial killings)は、フィリピンのさまざまな開発現場で起きてきました。生活の場を追われないよう、生活の糧を失わないよう、家族と生きていくための当然の権利を主張することは、フィリピンでは命をかけた「闘い」です。
そうしたフィリピンの現場から日本に届く「モノ」を享受している「消費者」や「預金者」として、私たち日本にいる市民は、現場で「闘う」フィリピンの人びとへの弾圧や深刻な人権侵害を「知らない」と看過できるでしょうか。
今回、事例として取り上げたミンダナオ島・タガニートで製錬所を稼働している住友金属鉱山は、これまでトヨタ自動車やパナソニックなどと提携し、電気自動車(EV)やハイブリッド車用の蓄電池向け正極材を開発・製造してきました。トヨタ自動車、あるいは、パナソニックから蓄電池を調達してきたテスラモーターズが「環境に良い」を謳い文句にしているEVやハイブリッド車でも、フィリピンで人権侵害を伴う形で生産されたニッケルが使われてきたのです。
ニッケルは気候変動対策の一環で需要が高まっている再生可能エネルギー技術やEV用の蓄電池の原材料として欠かせないため、今後、フィリピンの鉱山開発が一層進められる可能性があります。そして、またそこで暮らす先住民族や住民が闘わざるをえない状況が生まれ、その「闘い」の中で弾圧の犠牲になっていくことも懸念されます。
自分たちの生活が誰かの犠牲の上に成り立っている事実から目を逸らさず、フィリピンで起きている人権侵害を「自分ごと」として捉えられる市民が日本で少しでも多くなってほしいと思います。そして、こうした誰かに犠牲を強いるような理不尽な社会を変えていくために共に行動を起こしましょう!
〈筆者紹介〉
島根県生まれ。山口県、北海道で育ち、東京へ。平和・人権・環境・開発の問題に関心を持ち、2000年に国際環境NGO FoE Japanのボランティアを経てインターン。2001年から常勤スタッフとして、日本の官民がフィリピンやインドネシア等で進める開発事業の各現場を回り、地元の住民・NGOと共に環境・社会・人権問題の解決に取り組む。2007 年から委託研究員。