【コラム】2つの国のはざまで、確実に
生を紡いできたJFC(日比国際児)たち

【写真】クリスマス会で久しぶりに顔を合わせた20代のJFCたち=2021年12月18日、マニラのDAWNオフィス、DAWN提供

小ヶ谷千穂(フェリス女学院大学)

 COVID-19が拡大する中、フィリピンでもさまざまなイベントがオンラインやハイブリッドで行われてきた。
 1996年から、JFC(Japanese Filipino Children。日比国際児)とその母親たちのエンパワーメント活動を続けてきたNGO、DAWN(Development Action for Women Network)の2021年のクリスマス会も、今年は、マニラのオフィスでの人数限定のパーティをオンラインでつないで行われた。

― 日本人の父親との関係が途絶える中、フィリピンで育ったJFC

 一口にJFCと言っても、その背景はさまざまだ。しかし、JFCの母親たちの多くは、興行ビザで来日し、フィリピンパブでエンターテイナーとして働いていた女性たちであり、父親の多くはその日本人客だった。1980年代末から、「じゃぱゆき」と呼ばれたフィリピン女性と日本人男性の間に生まれた子どもたちの多くが、国際婚外子として父親との関係が途絶える中、フィリピンで育った。その数は数万人にものぼると言われている。DAWNを初めとする日比のNGOが、興行ビザによる搾取的な移住労働や、国際婚外子の権利に関する問題を長く指摘してきたにも関わらず、日比両政府は、2004年に米国国務省による「人身売買報告書」で日本が監視対象国に指定されるまで、本格的にこの問題に取り組もうとしてこなかった。アメリカの、いわば「鶴の一声」で興行ビザが厳格化され、新規でのフィリピン女性エンターテイナーの流入は激減した。

― 仲間たちやDAWNとともに日本にいる父親を捜して

 それからすでに15年以上の時が流れ、今年26周年を迎えたDAWNのオフィスに集うJFCたちは、いずれも青年になり、すでに親になっている者もいる。両親が離婚したのちに、
日本の父親と連絡が途絶え、DAWNが主催する劇団の来日公演を機に再会を果たしたツヨシは、その後父親から学業支援を受けることがかない、医学部を卒業して医師となった。そそして、COVID-19の中でフロントライナーとして日々活躍する中で、生涯の伴侶を得た。オンラインで得意の弾き語りを披露した20代のモラレス兄弟は、父親と10年以上連絡を試みながらも、結局その居場所はわからないままだ。大学講師となったマサコは、母親が日本で新たな家庭を持っているが、その再婚相手の日本人男性や、幼いきょうだいたちと良好な関係を保っている。
 DAWNで長く活動しているJFCたちは、仲間のJFCたちを「いとこどうしのような関係」で、「ここに来ると、子どものようにふるまえる」と話す。父母の関係が短期間で途絶えていることが多いため、フィリピンの中ではきょうだいが少ない環境で育つJFCたちにとって、学校や近所の友人とも異なるJFCの仲間たちの存在は、ある意味特別なつながりを持っているのだろう。DAWNの活動を通して、日本の父親に会えるかもしれないという期待と、それがかなわなかった時の、言いようのない感情を長年彼らは分かち合ってきた間柄だ。それはおそらく、母親たちとも必ずしも共有できないような、JFCたちの間だけの「つながり」なのだろう。

― 二つの国を「見返す」若者たち

 2009年の日本の国籍法改正を契機に来日し、日本の大学に進学したり、日本で働いてすでに家族を持っているメンバーもいる。彼らのFacebookには、工場夜勤や介護現場で日本社会を支えるJFCたちの姿が、日々映し出されている。来日のために父親と連絡をとり、関係が回復したアヤは、父の誕生日や父の日には父親のいる東京に、今自分が働いている岐阜から出かけて行っている。高齢になってきた父親たちにとって、一度は自分から連絡を絶ったJFCたちの存在が、何かしらの支えになっているような様子も見受けられる。
 私が直接かかわってきたJFCたちは、いずれも一度は、日本人の父親から直接的・間接的に拒絶・遺棄され、その後そのつながりを回復しようと努めてきた若者たちである。彼ら・彼女らは、その回復のすべを必死で探す中で、フィリピン・日本両政府に援助を求めながらも無視され続け、逆に市民社会の力の中で、生を紡いできた。確実に、フィリピンそして日本の将来を担う存在であるJFCたちが、自分たちの境遇を受け止めながら力強く歩み続けている姿には、二つの国家を「見返す」ような、生きる力がみなぎっている。

〈筆者プロフィール〉
 フェリス女学院大学文学部コミュニケーション学科教員。専門は国際社会学・国際移動論・国際移動とジェンダー。海外労働者送り出し社会としてのフィリピンをフィールドとして研究してきた中で、2000年頃からDAWNの活動に参加。主な著書に『移動を生きる―フィリピン移住女性と複数のモビリティ』(2016年。有信堂高文社)。JFCについては論文「支援組織との関わりから見るJFCのアイデンティティと複層的な“日本経験“ : 『JFC研究』」のための試論」(『フェリス女学院大学国際交流学部紀要』2013年)、「日比間の人の移動における支援組織の役割 : 移住女性とJFCの経験に着目して」(大野聖良・原めぐみとの共著『フェリス女学院大学文学部紀要』2020年)などがある。

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