藤本伸樹(ヒューライツ大阪)
― 調査報道メディアのレッサさんにノーベル平和賞
世界人権デーにあたる2021年12月10日、ノルウェーのオスロでノーベル平和賞の受賞式が行われ、フィリピンのジャーナリストで、ニュースサイト「ラップラー」の代表のマリア・レッサさんに、ロシアのジャーナリストとともにメダルと証書が贈られた。
「ラップラー」は、ドゥテルテ政権下のドラッグ犯罪容疑者に対する大規模な殺害や、SNSを通じた世論操作などに対して毅然とした姿勢で調査報道を続けてきた。その結果、露骨な弾圧を受け続け、レッサさんは名誉棄損など多くの罪をでっちあげられ2度も逮捕されている。政府から移動の自由が制限され、直前まで授賞式への出席が危ぶまれていた。
― 二つの分野での超法規的殺害
国際社会が憂慮し、注視するドゥテルテ政権下の人権状況。ドゥテルテ大統領が大号令をかけて展開する「ドラッグ戦争」と、反政府武装組織の共産党(CPP)‐新人民軍(NPA)に対する「反乱鎮圧作戦」における多数の市民に対する人権侵害に対して、国際刑事裁判所(ICC)と国連人権理事会が取り組みをはじめている。
「ドラッグ戦争」における主な加害者は、国家警察だ。ドラッグの密売や使用したとされる容疑者の取締り中に警察が銃殺するというもの。「即決処刑」の事実を隠ぺいするために、遺体を病院に運んだり、持参した銃を遺体のそばに置き、正当防衛を主張するという偽装が頻繁に行われている。警察の集計によると、ドゥテルテ大統領が就任した2016年7月から2020年4月までに8,663人の死者が出ている。人権団体は、犠牲者は少なくともその3倍いるとみている。
「反乱鎮圧作戦」の加害者は、国軍をはじめとする治安部隊(警察と民兵を含む)である。武装して革命をめざす共産党‐新人民軍、それを支える前線組織の民族民主戦線(NDF)を掃討する作戦のなかで、社会変革を志向する農漁民、労働者、宗教者、人権・環境・住民活動家、ジャーナリストや法律家など専門職をはじめ社会活動に関わる人たちが、共産主義者のレッテルを貼られ、犠牲になっている。いやがらせ、脅迫、恣意的逮捕、強制失踪、殺害などの人権侵害が続いているのである。
その二つの分野での深刻な事態の共通点は、①国家権力が関与する超法規的殺害、②構造的・系統的に行われている、③加害者の不処罰などである。フィリピンでは、アロヨ政権下の2006年6月に「死刑執行を禁止する法律」(RA9346)が制定され、制度的に死刑執行がなくなったのだが、超法規的殺害が大規模に続いている。
― 捜査を開始した国際刑事裁判所(ICC)
ICCは2021年9月、ドゥテルテ政権による違法薬物一掃の取締まりについて本格的な捜査を進めることを決めた。それに先立つ2018年3月、ICCが予備審査を始めたことに反発したドゥテルテ大統領は、ICCからの脱退を通告し、翌2019年3月に脱退が発効したのである。フィリピンはICCに管轄権はないと主張したのだが、ICCはフィリピンが加盟していた2011年11月1日から2019年3月16日までは捜査可能だとしている。すなわち、2011年から2016年6月30日まではダバオ市長・副市長として、2016年7月1日から2019年3月16日までは大統領として、ドゥテルテ氏の「人道に対する罪」についての容疑を扱うことができるとしている。
ICCは、重大な犯罪(集団殺害・人道に対する罪・戦争・侵略)を犯した個人を、国際法に基づいて訴追・処罰するための常設の国際刑事裁判機関(所在地:オランダのハーグ)である。2002年に設立条約「ローマ規程」が発効しており、国際社会が協力して、重大犯罪の不処罰を許さず、再発を防止し、国際平和に貢献するための機関である。
そうしたなか、フィリピン政府は2011年11月10日、自前で捜査を開始したとしてICCに対して調査延期を要請したのである。それを受けてICCは、手続き延長に値するフィリピン政府からの情報提供を条件にひとまず承認した。ICCは、各国の刑事司法制度を補完する機関であり、当該国に被疑者の捜査・訴追を真に行う能力や意志がない場合にのみ、その管轄権が認められるというものだ。今後、フィリピン政府がどこまで真摯に対応するのか極めて不透明である。
― 人権状況の改善の支援に乗り出した国連人権理事会
「ドラッグ戦争」における殺害の不処罰を放置しないというICCの姿勢とは異なり、「ドラッグ戦争」と「反乱鎮圧作戦」の双方を問題視する国連人権理事会は、実態を把握して人権状況の改善のために協力・支援するというアプローチをとっている。
人権理事会は2019年7月、人権状況の調査と報告を人権高等弁務官に求める決議を採択した。日本政府は棄権している。このとき、フィリピン政府は、「違法薬物の密売人・使用者が捜索時に武器で抵抗するため銃撃するのだ」と反発した。
人権高等弁務官は、2020年6月の人権理事会で「フィリピンにおける人権状況」という詳細な報告書を発表した。テロ(反乱鎮圧)と違法薬物の取締りにおける系統的な人権侵害、殺害、恣意的拘禁、一貫して不処罰の問題があると結論づけた。そして、解決と説明責任の構築に向けて人権高等弁務官事務所(OHCHR)は建設的に支援と協力を行うとした。
2020年10月、人権理事会は、フィリピンの人権保護・促進をめざすために国連が協力・支援するという2回目の決議を採択した。国内捜査、警察の人権侵害に関するデータ収集、市民社会との関わり、調査とフォローアップのための国のメカニズム構築、人権に基づく薬物対策の実施などを目的に国連が技術支援を行うという内容だ。
決議を受け、2021年7月、国連人権高等弁務官事務所とフィリピン政府とのあいだでの3年間の技術協力が開始された。
ICCと国連に歩み寄る姿勢に転じたフィリピン政府。この先、重大で深刻な人権侵害に関してどのような説明責任を果たしていくのであろうか。深刻な人権問題をかかえるフィリピンに対して、日本は最大の援助国である。日本の市民もフィリピンの市民社会組織と連携し、国内外で働きかけをしていく必要があるのではなかろうか。
〈筆者紹介〉
ヒューライツ大阪(一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター)研究員。フィリピンにおける日本の政府開発援助(ODA)をめぐる課題、およびフィリピンから日本への移民労働者の人権について関心をもち、情報収集・発信を続けている。1988年から1994年までフィリピンに滞在。2001年から現職。