施政方針演説に込められた3つのメッセージ
*フィリピン・ニュース深掘りでは、隔週でフィリピンでの重要な出来事を一つ取り上げ、解説・深掘りします。
栗田英幸(愛媛大学)
SONA各年比較
― SONA2025開始
7月22日、マルコス大統領は、ケソン市にあるバターン・パンバンサ(国会議事堂)において、第4回目となる施政方針演説(SONA)を行いました。上下両院議員、内閣官僚、司法関係者、地方首長、外交団、軍・警察高官、各界招待者など、約1,700人が出席し、演説は約1時間30分にわたって行われました。
その出席者の顔ぶれからは、ドゥテルテ陣営との分裂が見て取れます。大統領の姉であるアイミー・マルコス上院議員をはじめ、ドゥテルテ前政権に近いロナルド・デラロサ、ボン・ゴー、ロビン・パディリアの各上院議員は出席を見送りました。
― 過去のSONA
内容に入る前に注目したいのは、今回の演説の雰囲気です。3年前の初回のSONAでは、マルコス大統領は緊張した面持ちで一語一語を丁寧に発し、聴衆の反応を気にしながら慎重に言葉を選んでいました。期待された拍手が起きず、短い沈黙が不自然に挟まれた場面もありました。聴衆の多くは冷めた態度で臨み、まるで敵地アウェーで演説をしているかのようです。
ちなみにドゥテルテ前大統領の初回SONAもアウェーの雰囲気で始まりましたが、彼は特有のユーモアによって会場の緊張を早々に和らげることに成功しています。これに対し、マルコス大統領の初回SONAでは、聴衆たちと大統領との距離感は一貫して遠いままで、国家の将来に対する不安が浮き彫りとなっていました。唯一、南シナ海の領海問題に関して、領土を一インチたりとも失わないとの強い意思を示した時のみ盛大な拍手を得ることができただけでした。
しかし、3年間、大統領としてとして振る舞ってきた自信でしょうか、昨年の第3回SONAでは、王者の貫禄溢れる、自信に満ちた演説となっていました。ドゥテルテ陣営との決別で、ようやく自分のやりたい政策を実施できる環境が整ったからでしょうか。ドゥテルテ陣営との決裂による不安を払拭するために、意識的に強く振る舞っていたのかもしれません。
― 誕生パーティーと化した? SONA
そして、今回の第4回SONA。前回とは、さらに異なった雰囲気で演説が始まりました。入場時には多くの議員が笑顔で大統領に近づき、握手を交わし、会場全体に和やかな雰囲気が漂っています。演説中にも盛大な拍手が何度も起き、聴衆の顔には親密さと安心感が見られました。会場全体が、あたかも友人を祝う誕生パーティのような空気に包まれていました。
大統領自身も、終始リラックスした様子で聴衆に語りかけ聴衆との呼吸を合わせていましたが、一方で、悪い意味での緊張感の欠如も感じられる演説でした。これまでの3回と比較すると、今回の演説は早口で長文が目立ち、言い間違いも多く見られました。SONA直前でのトランプ米大統領との関税交渉のために準備が遅れた可能性も考えられますが、政策を真剣に伝えようとする「必死さ」が後退したような印象が残りました。
もう一点、これまでと大きく異なる点として指摘したいのは、そのほとんどがフィリピノ語で語られた点です。これまでは、海外メディアを意識して、海外メディアの関心の高いテーマに関しては英語で語っていました。ほとんどがフィリピノ語での演説であったことから、今回の演説のほとんどは国民向けを意識してのものだったと言えるでしょう。人権外交(米国などからの外圧)弱体化の影響もあるのかもしれませんが、私は、後述する国民に向けた3つ目のメッセージこそが今回の演説の中心だったからだと見ています。
以下、それぞれについて整理・解説していきましょう。
― 第一のメッセージ:政権の成果報告と制度化の強調
冒頭から中盤にかけて、大統領は自身の政権運営における主要な成果を得意気に紹介していきます。報告は多岐に渡りましたが、大きく次の3点に整理できます。
1. 経済および社会サービス分野の実績:雇用の改善、インフレの抑制、教育や医療への財政支出の拡大などが挙げられました。
2. インフラと生活改善プロジェクト:公共交通網の整備、農業振興政策、住宅開発、交通渋滞の緩和などの具体的な取り組みが示されました。
3. 制度的裏付けとしての立法成果:教育アクセス向上、資本市場の整備、農業支援、気候変動・国家安全保障対策に関する新法の成立などが報告されました。
これらの成果は、政権が単なる短期的成果ではなく、制度に裏打ちされた長期的な安定的成長を実現できているという自負の表れと解釈できます。もちろん、それら断片的な数値の羅列が、フィリピンの安定や豊かさ、平和を大きく前進させていると主張するに足るものなのかどうかについては、大いに議論の余地があり、今後、議論が深められていくことになるでしょう。
― 第二のメッセージ:汚職は許さない
誕生パーティーの雰囲気から一転、緊張が走ったのは、洪水制御プロジェクトに関する汚職疑惑への言及でした。7月に発生した台風災害の被害調査を通じて、予算審議の終盤に挿入された多数の事業が、審査を経ずに承認され、機能不全や崩壊を起こしていたことが明らかになりました。中には「幽霊プロジェクト」とされる実体のない事業も存在し、地方議員や行政職員の私的利益に流用されていたとされます。
マルコス大統領は、通常の穏やかな語り口を一変させ、「恥を知れ!(Mahiya naman kayo!)」という強い表現で関係者を非難しました。さらに、「公共資金は国民のものであり、奪われてはならない」「法の下に例外はない」と明言し、調査と処分の徹底を表明しました。
また、汚職の根絶に向けた制度的対策として、電子調達の導入や市民参加型監視制度の強化にも言及しました。これにより、政権の汚職を許さない方針が単なる政治的ジェスチャーではなく、強力な遂行意欲を伴う実行可能な制度改革として構想されていることを印象づけました。
― 第三のメッセージ:「新しいフィリピン」という国家理念の再提示
マルコス大統領は、2022年の大統領選挙戦以来、「新しいフィリピン(Bagong Pilipinas)」を政権の中核的スローガンとして掲げてきました。この言葉は、単なる標語にとどまらず、政権の政策理念や国民教育の方向性を含んだ包括的な国家理念へと発展しています。
この構想は、国民の変革に支えられた国家の変革を意図しており、国民一人ひとりの倫理的変容と、それを支え、またそれに支えられる制度改革の2つを車の両輪としています。現在では、政府機関や公立学校における国旗掲揚の儀式において、「新しいフィリピン讃歌」の斉唱および「新しいフィリピン誓約」の朗読が義務付けられており、社会規範としての浸透が進んでいます。
これら「讃歌」「誓約」の中で提示される「新しいフィリピン」の理想像は、以下のような倫理観・価値観を基礎としています。
• 国家への忠誠と団結
• 公への奉仕と規律
• 勤勉さと責任感
• 国際社会への積極的な関与
• 自国民としての誇りと自己肯定感
これらが国民に内面化されることで、説明責任を果たす信頼できる政府が構築され、その帰結として、国際的にも誇れる、豊かで平和な国になるとされます。
このような「新しいフィリピン」構想の背後には、成功も失敗も指導者個人ではなく、国民全体の主体的な努力に帰するという、責任の分配、悪く言えば、大統領の責任逃れが隠されています。このような認識の転換は、マルコス大統領の隠された目的と私は確信しています。この点については近いうちに論じたいと考えています。
今回のSONAでは、この「新しいフィリピン」構想が、政権の政策や成果報告、汚職対策といった演説の各所に組み込まれるかたちで語られていました。今回のSONAは、「さあ、新しいフィリピン(の入口)に着きましたよ!(Dumating na po ang Bagong Pilipinas !)」という言葉で締めくくられた2年前(第2回)のSONAを受けて、その着実な進捗を報告するかたちをとっています。
触れられなかった重要な論点
― 触れなかった論点
補足として、SONAで触れられなかった重要な論点について解説します。さまざまな団体が、フィリピンの直面するいくつかの重要事項にSONAが触れなかったことに不満を表明しました。それらは、闘鶏も含めたオンライン・カジノ(POGO)再開の是非、南シナ海の領海の問題、サラ副大統領の弾劾裁判を含めたドゥテルテ陣営との摩擦、国内和平です。上述した3つのメッセージ、特に「新しいフィリピン」を今回のSONAの根幹とするならば、やはりマルコス大統領にとって、SONAで触れるべきテーマではありません。
― 触れない理由
マルコス大統領は、大統領の座に座って以降、絶えず「新しいフィリピン」を意識した行動をとってきています。最も顕著なのは、議論を重視し、議論の途中で意見を挟まないようにしている姿勢です。市民組織からは責任逃れと中傷されることも多いですが、大統領として中立的な立場に立ち、議論の結果と法制度に基づいて適切に決断することこそが、マルコス大統領の目指す「新しいフィリピン」の姿です。形式主義の特徴が強い「新しいフィリピン」において、命の尊さや人権の重要度は、議論や法制度による決定やそれらプロセスよりも下位に位置付けられています。議論の結果によって結果の異なる上述の諸問題に関して、重要事項であるからこそ、具体的な発言を控えたと言えるでしょう。
〈Source〉
面白みのない2回目施政方針演説(SONA)から何を読み取れるのか?(フィリピン・ニュース深掘り), Stop the Attacks Campaign, July 28, 2023.
マルコス施政方針演説:新しいフィリピンは見えたのか?(フィリピン・ニュース深掘り), Stop the Attacks Campaign, July 26, 2024.
マルコスの施政方針演説が示す新たなフィリピンのカタチと強まる懸念, Stop the Attacks Campaign, July 29, 2022.
1st State of the Nation Address of President Ferdinand R. Marcos Jr., RTVMalacanang, July 25, 2022.
2025 State of the Nation Address, RTVMalacanang, July 28, 2025.
FULL SPEECH: President Duterte at SONA 2016, Rappler, July 26, 2016.
State of the Nation Address (SONA) 2024 7/22/2024, RTVMalacanang, July 24, 2024.
The 2023 State of the Nation Address 07/24/2023, RTVMalacanang, July 24, 2023.