弾劾訴訟の注目点:実は追い込まれているのは、マルコス・ロムアルデス陣営かもしれない
*フィリピン・ニュース深掘りでは、隔週でフィリピンでの重要な出来事を一つ取り上げ、解説・深掘りします。
栗田英幸(愛媛大学)
メディア泣かせのドゥテルテ・ファミリー?
― 簡単にはドゥテルテ・ネタに飛び付かなくなった?海外メディア
サラ副大統領をめぐるニュースで溢れかえっています。海外メディアにおいて世界各国の情報はかなり取捨選択されて掲載されているはずですが、重大な局面が生じているように見えて後から見ると何も変わっていないかのようなドゥテルテ・ファミリーの起こす毎度毎度の騒動には、海外メディアの編集担当者も頭を悩ませているのではないでしょうか?
今回も、サラの側近が下院議会によって拘束され、サラ副大統領が拘束先に駆け込むところまでの出来事に対して、海外メディアでは、「もう騙されないぞ、そう簡単に我が社の紙面を割いてなるものか」と考えていたかどうかわかりませんが、ほとんど反応しませんでした。それよりも、次々とフィリピンを襲う大規模な台風の記事ばかりをこぞって取り上げています。
― それでも、飛びつかざるを得ない
しかし、サラ副大統領は、そこに爆弾を投下します。自身がマルコス大統領(というより、側近のマルティン・ロムアルデス下院議長)に殺害される可能性があると語った後に(この発言自体は目新しいものではなく、メディアが食いつくようなネタではありません)、自分が殺害されたらマルコス大統領夫妻とロムアルデス下院議長を殺害するように暗殺者に依頼したと取れる発言をしたのです。ネット配信による記者会見での怒りを露わにしてロムアルデスへの不満や批判をぶちまけるサラ副大統領の顔が世界中のメディアで取り上げられました。
― またもや、騙された?
司法省やフィリピン国家警察、国家安全保障委員会、そして、下院議長と多くの下院議員が、サラ副大統領の暗殺依頼が国家安全保障への脅威であり、国家転覆の企てであるとして、弾劾裁判や立件の準備を開始しました。ドゥテルテ陣営も喧嘩腰です。とうとう最後の決戦が訪れるのかと多くの人が思ったことでしょう。
しかし、ここでマルコス大統領が、サラ副大統領への対応は時間の無駄とのまさかの発言、サラ副大統領の弾劾裁判や立件に対して否定的な立場を明確にしました。
また騙されたのか!という海外メディアの嘆声が聞こえてくるようです。
これまでだと、マルコスの一言の後に議会内で異論が消え、マルコスの決定に沿った解決に統一されてきました。これで、とりあえずのサラ副大統領の弾劾騒動は収束すると思われました。しかし、今回は、これまでとは全く異なり、サラ副大統領の弾劾の動きはまだ止まりそうもありません。現在、弾劾訴訟の申し立てが複数件、検討されており、それに少なくない下院議員が飛びついています。
弾劾訴訟の手続き
― 弾劾訴訟に足る理由
副大統領を弾劾するための1987年憲法に基づく理由は次の5つです。
反逆罪
収賄
憲法違反
汚職その他重大な犯罪
公共の信頼の裏切り行為
― 弾劾訴訟のプロセス
副大統領罷免に至る弾劾訴訟のプロセスは、以下の通りです。
1:申立書の提出
弾劾手続きの申立書は、下院議員のみ提出できます。この申立書が有効となるには、下院議員の3分の1以上の署名、したがって下院議員307人中103人の署名が必要です。
2:規制・司法委員会による審査
下院の規制委員会および司法委員会が申立書の妥当性を審査します。ここで妥当と判断されると、下院の全体会議に提出されることとなります。
3:下院全体会議の採決
下院の全体会議で過半数の賛成で承認されると、この案件は上院に送られます。
4:弾劾裁判の実施
上院議会は、裁判所として機能し、弾劾案件を審理します。上院議員が裁判官(上院議長が議長〈裁判長〉)として、証拠や証人の審理を行います。
5:採決
弾劾裁判で副大統領を罷免するためには、上院議員の3分の2以上の賛成が必要です。上院議員24人のうち16人以上ということになります。
有罪判決が下された場合、副大統領は直ちに解任されます。
― 現状
12月2日、弾劾訴訟の最初の申立書が、宗教指導者、様々なセクターの代表者、ドラッグ戦争被害者家族らからなる市民団体によって下院議会に提出され、アクバヤン党所属のパーシバル・センダニャ下院議員によって承認されました。提出には、デ・リマ元上院議員も同行していました。50ページに及ぶ申立書では、24項目に分けてサラ副大統領の弾劾に該当する行為を整理・分析し、弾劾訴訟に値する「憲法違反」「汚職その他重大な犯罪」および「公共の信頼の裏切り」があったと主張しています。
今後、この申立書が精査されていくこととなります。また、他の組織や政治家も申立書を提出する動きを見せており、いくつもの申立書が下院に提出され、審議されることになるかもしれません。
弾劾の今後と注目点
― ハードルは高く、弾劾が成功するとしても時間がかかる
弾劾手続きで沸くフィリピン・メディアですが、レジナルド・ベラスコ下院事務総長によると、普通に手続きが進むとしても、下院議会の2委員会による審査だけで130会期日が必要なようです。上院議会での審理も考えると、それだけで1年が簡単に経ってしまいそうな気がします。
下院では、それなりに進むかもしれません。しかし、上院では、なかなか進まなさそうです。上院に弾劾案件が上がり、ダラダラと審理されている間に来年5月の上院選挙での12人の上院議員の入れ替えを挟みそうです。何といっても、上院議員の多くは、憲法改正プロセスにおいて下院に対する上院の優位性を壊そうとしてきたロムアルデス下院議長のことが大嫌いです。さらに、下院を下に見ているプライドの高い上院議員たちは、下院主導の今回のような弾劾の動きを面白く思うはずがありません。上院議員入れ替え後に途中まで進んだ審理がやり直しになってしまう可能性もないとは言えないでしょう。マルコス大統領、ドゥテルテ副大統領の任期終了までに終わらなそうです。
大統領が強制力を発揮させ、上下院ともに自ら強引に期間短縮審議を決定するならば、上院選挙前に決着もあり得るとは思いますが、先述のようにマルコス大統領の態度は煮えきりません。その理由も交え、今後の注目点について、紹介します。
― 注目点1:下院議会の動向
今後注目すべき第1の点は、ロムアルデス下院議長を筆頭とした下院議会がどこまで積極的に弾劾訴訟のために動くのかでしょう。ロムアルデス下院議長自らが積極的に動くのか、彼の命令を秘密裏に受けた下院議員が積極的に動くのか。それとも、左派による弾劾の申立てを静観するにとどまるのか。
ロムアルデス議長が積極的に動くとすれば、それが表立ってものであれ秘密裏であれ、少なくとも年内に手続きの一部が素早く進められることになるでしょう。まずは、下院での残り少ない年内の審議プロセスに注目です。
― 注目点2:機密費調査との競争
サラ副大統領の弾劾を求めるには、マルコス大統領への「脅迫」は根拠が薄いと言わざるを得ません。「意図的に歪曲」されているとするサラ副大統領が主張する限り、そして、それを言い続けるであろうことから、根拠から早々に除外されるでしょう。
唯一の根拠は、機密費を含む教育省および副大統領府の予算の不正使用についてになります。この調査も未だサラ側の主張が不透明で怪しいという域を出ていません。弾劾手続きを進めるのであれば、その前に、この予算に関する調査を進める必要があるのです。
「新事実発覚!」のような勇ましいタイトル記事が、これまでいくつもメディアに掲載されていますが、内容を読むと何ら具体的な証拠は見つかっていません。調査こそ早急に進めるべきだということは、ロムアルデス下院議長も良く分かっているはずです。
― 注目点3:実は、サラに逆転の可能性を与える可能性も
拙速な弾劾手続きの強行は、むしろサラに逆転の目を与えるかもしれません。そもそも真実に目をむけるドゥテルテ陣営支持者がどれだけいるでしょうか?フェイクニュースこそドゥテルテ陣営の選挙の基盤です。マルコス陣営やロムアルデス陣営がフェイクニュースでドゥテルテ陣営に対抗できるとは思えません。
拙速な弾劾手続きの強行が失敗するならば、ドゥテルテ陣営はフェイクニュースでサラ副大統領の無実とロムアルデス下院議長の不正をこれまで以上に大々的に流し始めるでしょう。サラ副大統領は、ロムアルデス下院議長について、「マルコス大統領の意向を無視して陰の独裁者として振る舞っている」、「大規模な公共資金の不正を行い蓄財と仲間へのばら撒きを行っている」、「でっち上げで自分を含めた政敵を葬り去ろうとしてきている」等々の、今のところ噂話程度でしかない情報(完全に嘘とは言い切れないとは思っています)を発信してきています。今は、大きな力になっていません。しかし、弾劾失敗で、一気に「サラ=正義、ロムアルデス=悪」という極端なイメージすら広がりかねません。
フェイクニュース対決になるとドゥテルテ陣営に有利になりかねないため、ロムアルデスとしては、サラを確実に大統領選挙に出られない状況に追い込みたいところです。それにはやはり、公的資金の問題を着実に進めつつ、ドゥテルテ陣営に圧力をかけ続けて、ドゥテルテ陣営のミスを待ち、周囲を着実に削っていく地道な戦略が必要でしょう。
― 注目点4:反テロ法の適用
気になるのが、反テロ法(ATA)の適用です。ロドリゴ前大統領が2020年に強引に制定したのがこの法律です。まさか、自身や娘に適用されるかもしれないとは思っていなかったでしょう。
地方共産党の武力紛争を終わらせるための全国タスクフォース(NTF- ELCAC)の副委員長としてサラ副大統領が嬉々として共産党員狩りを命令していた際には、使い勝手の良いものであったことでしょう。しかし、この法律は、テロ行為に対するものだけでなく、その意図にも適用可能な点で、今回のサラ副大統領によるマルコス大統領夫妻とロムアルデス下院議長への暗殺示唆にも適用できるかもしれません。実際、フィリピン国家捜査局(NBI)も既に動いています。
ATAの適用ルールが、2024年の1月に最高裁判所から発行されています。ドゥテルテ陣営への対策を視野に入れて2020年のATAを再規定したものであることは間違いありません。この規則では、司法省へ提出されたATA適用要請に関して司法省が吟味し、テロリストとしての証拠十分と判断した際、超法規的にテロリスト容疑者の身柄や資金を拘束することが可能となります。
サラ副大統領もATAに関しては、かなりナーバスになっているように見えます。最近の彼女のウェビナー記者会見では、しきりにATAの悪意ある利用(政治的な意図に基づいた間違った利用)が自身に対してなされようとされている点を繰り返し強調しています。
しかし、ATAは市民社会への受けが良くありません。人権団体も、いくら憎いドゥテルテ親娘に対してとはいえ、その適用には批判的になります。市民からもフェイク支持者からも見放されてしまいかねません。
そうなると、マルコス大統領・ロムアルデス下院議長唯一の大きな支持基盤は政権に結び付いた経済利益に期待する層となるでしょうか。これも、今後のトランプ政権下で、米国や日本・オーストラリア等の反中国諸国からどれだけ投融資を引っ張れるのかにかかっています。ここで失敗すると、マルコス・ロムアルデスの支持基盤がなくなってしまいます。逆に、ドゥテルテ陣営が中国から引っ張ってくる利権に期待する声が一気に高まるでしょう。
― 注目点5:ドゥテルテ劇場の観客として
メディア、視聴者、批判者たちを「爆弾発言」で散々振り回して気がついたら煙に巻かれている、ドゥテルテ・ファミリーの巻き起こすドタバタ劇を、私は「ドゥテルテ劇場」と呼んでいます。父ロドリゴ前大統領からの伝統芸ともいうべき、洗練された政治手腕ではないかとまで、最近では思うようになってきました。
今回の弾劾騒動も、いつものドゥテルテ劇場の一幕として捉えることが可能でしょう。フェイクニュースを味方にできるドゥテルテ陣営ならではの戦略であることは間違いありません。ユーチューバーのように、支持者から飽きられないよう定期的に爆弾を投げ込み続けないといけないのです。今回も煙に巻くことができるのか、出演者の誰かが演技を間違えて失敗するのか、こここそが私の注目点です。
〈Source〉
判事殺害を仄めかす赤タグ推進者バドイと疑惑のサラ副大統領機密費(今週のフィリピン・ダイジェスト:9月24日-9月30日), Stop the Attacks Campaign, September 30, 2024.
De Lima says right time to file impeachment vs Sara Duterte, ABS-CBN, December 3, 2024.
First impeachment complaint vs VP Sara filed at House, Inquirer, November 2, 2024.
FULL TEXT: The first impeachment complaint vs VP Sara Duterte, Rappler, December 2, 2024.
Impeachment bid vs Sara Duterte: Strategy, legal questions, and political stakes, Rappler, December 5, 2024.
SC Issues Rules on Anti-Terrorism Cases, Supreme Court of the Philippines, January 2024.
Solons understand Marcos’ advice vs VP Duterte’s impeachment, Inquirer, December 2, 2024.
VP Sara may be liable under anti-terror law – DOJ, Philippines News Agency, November 27, 2024.
WRAP: What complaints have been filed vs VP Duterte and what other raps could come?, ABS-CBN, December 1, 2024.