栗田英幸(愛媛大学)
下院を緊急通過!問題だらけの2つの法案(マハルリカ法案、国民市民サービス訓練プログラム法案)、フィリピン共産党指導者シソンの死
多くの批判や懸念が国内外の専門家から提起される中、資金源や総額を大きく縮小させながらも、数多くの強力な批判に関する議論がほとんどなされず、マハルリカ投資ファンド法案および国民市民サービス訓練法案が下院を通過しました。また、1968年にフィリピン共産党(CPP)を創設、1987年にオランダ亡命後も30余年に渡り思想的指導者としてフィリピンに影響を与えてきたホセ・マリア・シソンが死去しました。今週は以上3つの出来事を取り上げます。
解説は、マルコス大統領の緊急要請により強引に下院を通過させた上記2つの法案の背景について取り上げます。
◆今週のトピックス
トピック1:マハルリカ法案、異例の速さで下院を通過
― 下院緊急通過の経緯
12月15日、下院は、物議を醸すマハルリカ投資ファンド(以下、マハルリカ)法案を異例の速さで通過させた。この「緊急決議」を可能としたのは、ベンジャミン・ジョクノ財務長官とマルティン・ロムアルデス下院議長が、マルコス大統領に対し、この法案を早期可決するために緊急のものとしてこの法案を認定するよう要請し、それを受けた大統領が12月14日付けの書簡(12月15日木曜日に下院に提出)で、マハルリカを創設する下院法案6608の「即時制定」を求めたことによる。この書簡の中でマルコスは、「トップクラスの政府系金融機関の投資活動を強化する戦略的メカニズムとして、持続可能な国家投資ファンドを設立し、経済成長と社会開発の原動力とするために」法案の早期通過が必要であると述べて「緊急決議」を求めた。
15日の下院議会では、279票対6票の圧倒的多数でマハルリカ法案が承認された。
― 下院での修正内容
下院での議論を通して当初の案は多くの点で修正された。特に批判が集中した項目は次のように修正されている。
出資団体に関しては、批判の多かった公務員保険機構(GSIS)と社会保障機構(SSS)が外れ、フィリピン土地銀行、フィリピン開発銀行、フィリピン中央銀行、フィリピン娯楽賭博公社(POGO)のみの出資主体となった。それに伴い、総額が2500億ペソから350億ペソ(初年度)へ大きく縮小した。
運営の直接的な権限を有するマハルリカ公社理事会に関しては、その自由裁量が大きく、人選方法や構成も曖昧であり、さらに国の監査から免除されていた当初案も修正され、理事会の構成や選定方法がある程度明確化され、諮問機関や内部監査、外部監査、違反罰則についても規定された。さらに、「許容される投資」リストもリストアップされた。
― 反対議員による5つの批判
下院審議での反対票を投じた6人は、次のような理由を反対の根拠として挙げている。
(1)時期が悪い:先行き不透明な国内外の経済状況下で実施すべきではない。
(2)新たなシステムによって投資リスクを負う理由がない:出資元となる組織はそれぞれ独自に資金運用を行なってきた。新たにシステムを立ち上げてまで実施する理由がない。また、そのことにより新たなリスクを背負う必要もない。
(3)汚職を作り出す可能性:修正案では汚職を回避するのに不十分であり、汚職を呼び込む可能性が高い。
(4)十分な正当性の欠如:本当にマハルリカが必要だとする根拠が薄弱である。
(5)問題のある審議手続き:数多くの批判に対して十分な議論をしていない。
トピック2:国家市民サービス訓練プログラム法案
― 法案の下院通過とプログラム
12月15日、下院は、国家市民サービス訓練プログラム(NCSTP)法案を276対4、棄権1の圧倒的多数で可決した。この法案は、高等教育機関の全学生を対象に、2年間の国家市民サービス訓練プログラムを義務付ける。本法案もマハルリカ法案と同様にロムアルデス下院議長が中心となり、マルコス大統領による緊急法案認定によって早期採決することとなった。
法案は、NCSTPに関して、「民間人を対象とし、災害時にボランティアや徴兵を提供するものである。国家的・地域的な必要性に応じて、ボランティアや徴兵の供給源となる。災難、緊急事態、災害、武力紛争の際に、非戦闘的、非軍事的な任務を遂行するために非戦闘的かつ非軍事的な任務とサービスを提供する。非戦闘的かつ非軍事的な任務と奉仕を行う」ための法律であると説明する。これらの奉仕を行うのは、2年の訓練プログラムを修了し、国家奉仕予備隊やフィリピン政府軍予備役部隊に組み込まれた「市民士官候補生」である。
― 学校における戒厳令
ガブリエラ女性党のアーレン・ブロサス議員は、NCSTPに反対する声明の中で、このプログラムは「学校におけるキャンパスの軍事化をさらに進めるもので、生徒、教員、教育支援者、そして教育関係者全体を差し迫った危険にさらす」ことになると警告している。彼女はまた、国防省、内務省、地方政府、フィリピン国家警察が協力するプログラムでは、「若者や学生に真の愛国心を植え付けることはできない」と批判している。彼女はさらに、「もし、政府が若者のナショナリズムや地域社会や国に奉仕する義務を真剣に植え付け、高めることを考えるなら、すべての年齢層に歴史やフィリピンについて理解を深める科目を教えることを推進しなければならない」、「また、NCSTPを拡大し、社会奉仕プログラム、健康・栄養プログラム、災害対策プログラム、人権教育などを含めることも可能だ」と語った。
数多くの青年組織も法案に反対の意向を表明している。フィリピン大学編集者組合は、この法案が学校における「事実上の戒厳令である」として、学校の活動において軍の権力と権威を高め、学生の自由を阻害するものとして強く反対を表明した。
また、フィリピン学生連盟は、「フィリピン国軍がどう考えているかは別として、制服を着て問答無用で命令を受け入れることが、その人を国家主義者にするわけではない。実際、これらの犯罪者たち(フィリピン国軍のこと)は、わが国をまったく愛していない。彼らは、洗脳と監視作戦を行うために、国中の学校に無制限に出入りしたいだけなのだ」と批判した。
トピック3:ホセ・マリア・シソン死去
― フィリピン共産党の教師・指導者の死
12月16日、フィリピン共産党(CPP)創設者シソン(83)が亡命先オランダの病院で死去。CPP創設54周年の10日前であった。
CPPはWebサイトで「フィリピン・プロレタリアートと労働者は、彼らの教師および指導者の死を悲しむ」として、「喪に服しながらも、我々は人々の愛する同志ジョマ(シソンのニックネーム)の記憶と教えに導かれ、革命を前進させるために、すべての力と決意を尽くすことを誓う。同志ジョマの不滅の革命精神が生き続けるように!」と述べた。
― シソンの人生
シソンは1939年2月8日、南イロコス州カブガオで、中国福建省にルーツを持つ有力な地主の家に生まれた。
高校は、アテネオ・デ・マニラ高校で学び、コレヒオ・デ・サン・フアン・デ・レトランに転校した。フィリピン大学に入学し、英文学の学士号と比較文学の修士号を取得し、優秀な成績で卒業した。
1964年11月30日、シソンはカバタアン・マカバヤン(KM)を設立したが、KMは1970年代初期に国内最大の進歩的青年・学生組織となった。その4年後の1968年12月26日にCPPを設立した。さらに、1969年3月29日、党は新人民軍(NPA)を設立し、毛沢東の「長期の人民戦争」戦略に従って、地方から都市を包囲する反乱を開始した。
共産党軍の小さな戦闘員から始まったNPAは、軍の推定によると、1987年のピーク時に2万5200人の勢力に成長した。
1977年に捕らえられたシソンは、エドサ革命後の1986年に釈放されるまで、激しい拷問を受け独房に監禁された。1987年、当時のコラソン・アキノ大統領の下で行われた最初のフィリピン政府とNPAとの和平交渉が失敗すると、彼はオランダに亡命し、以来そこを活動の拠点に。亡命中も、和平交渉中のフィリピン民族民主線線(NDFP)の最高政治顧問や国際民族闘争同盟(ILPS)の議長として共産主義運動に貢献した。講演を行い、時折、自身のウェブサイトで国内外の出来事や問題についての論評を書いていた。
シソンは、出国後にCPPの議長を退いたと述べていたが、多くのアナリストは、彼が依然として党とそのメンバー、支持者に強い思想的影響力を及ぼしていたと考えている。
― 国防省と国軍による声明
国防省(DND)は声明で、シソンの死は「彼が暴力的に権力を握るために設立したCPP-NPA-NDFPのヒエラルキーが崩壊したことの象徴だ」、「彼の死は、フィリピン国民から、この逃亡者を我が国の法の下に裁く機会を奪った。シソンは何千人もの同胞の死に対して責任があった。罪のない民間人、兵士、警察、子どもや若者の戦闘員が、彼の命令により死んだ」と述べている。
フィリピン国軍の推定では、紛争で国軍、CPP-NPA-NDFP双方で5万人以上が殺害された。
国防省は、反乱軍に残っているメンバーや支持者に対し、彼らの「暴力的で誤ったイデオロギー」に背を向けるよう呼びかけ、「フィリピンの平和の最大の障害は取り除かれたのだ。今こそ平和のチャンスを与えよう」と表明。
他方、フィリピン国軍は声明で、シソンの家族に哀悼の意を表し、「私たちとシソンとの意見の相違は彼の死によって終わる」と述べた。
「我々は、彼が社会改革を行うために採用した方法論について反対の立場をとるかもしれないが、それでも我々は死者に敬意を表し、彼の遺族に心からの哀悼の意を表するものである。今、私たちは、この国に平和が訪れることを祈る。」
◆今週のトピックス解説
― 特別扱い?2つの法案の共通点
トピックスで取り上げた異なる2つの法案は、ともにマルコス大統領の肝煎りとして緊急法案として認定され、早期結審を前提とした審議が下院で進められ、同じ日の12月15日に下院を通過しました。そして、どちらもマルコス大統領の従兄弟であるロムアルデス下院議長が立案と議事進行で中心的な役割を果たして法案を通過させたものでした。さらに、両方案ともに、国内外で多くの分野の識者や活動家から強力な批判がなされている点、にも関わらず、議論に時間をかけなかった点、下院議員の圧倒的多数の支持を得て通過している点でも共通しています。
これまでも下院において、一括審議をして数多くの議案を早急に審議し、ある意味乱暴に法案を通過させようとすることは、しばしばありました。しかし、批判の強いマルコス肝煎りである政府手続きのデジタル化を進めるE-政府法案、E-ガバナンス法案は、上記両法案と同様にロムアルデス下院議長が何度も早期成立を叫んでいるにもかかわらず、未だに下院での審議が進んでいません。私が知る限り、7月にはロムアルデス下院議長が早期採決の強い意思を示し、その後何度にもわたってその決心を表明していたにもかかわらず、です。今回の2法案通過で自信を持ったのか、2法案にあやかりたいとの願いが現れただけなのか、12月20日の記者会見において、彼はE-政府法案、E-ガバナンス法案を含めた12の優先度の高い法案を審議・通過させる意欲を再度語っています。
― マルコス政権にとって決定的に重要なのかもしれない
これまでなら、批判の強いマハルリカ法案やNCSTP法案に対して、マルコス大統領はとりあえず様子見をしたでしょうが、今回は自らの名の下に緊急議案として強引に2つの法案を下院で通過させました。マルコスらしくありません。農業省長官の兼任やカディワストアの設立、中国との関係重視もマルコス大統領の強い意思によって強行されたものでしたが、大統領になりたてで支持率の高かった頃とインフレ等による不満の蔓延する現在とでは、状況が大きく異なります。いつ下院を通過するのか分からない状況に陥っているE-政府法案やE-ガバナンス法案の状況の方が、これまでのマルコスの戦略にしっくりときます。
では、この違いはどこから来るのでしょうか? 理由はいくつか考えられますが、その明確な根拠はまだ見えてきません。推測の域を出ませんが、大きく2つの理由が考えられます。1つは、マハルリカとNCSTPの早期実施がマルコス政権にとって、決定的に重要な意味を持つというものです。言い換えるならば、早急に政府の利用可能な資金と人員を拡大する必要があるということです。近い将来に世界的な混乱による経済破綻や財政破綻を予測しているのかもしれません。それとも実は、国民に隠れて政府予算を既に使い込んでしまっており、予定されている開発プロジェクトが進まなくなり、予算の使い込みが国民にバレることを恐れているのかもしれません。どちらの場合でも、マハルリカの資金とNCSTPのボランティア労働力の動員により、その問題を軽減することができるでしょう。個人的には、後者の方がフィリピンらしいと感じます。
― 強引な政治を可能とする国際環境ができてきたのかもしれない
もう1つは、マルコスを取り巻く環境が大きく変化したとするものです。これも大いにあり得ます。新しい東西冷戦により、マルコス大統領は欧米諸国の人権外交をある程度無視しながらも、米中の間で双方から大規模な経済的支援を得られる可能性がますます高くなっています。1970年代、80年代に世界中で軍事独裁政権が誕生し、それら大国に支えられた独裁政権が政府に抵抗する人々を抑圧・殺害してきたのと同様の状況が世界的に作り出されているのです。父マルコス・シニアの独裁政治を支えたのと同様の国際条件が整えられてきているということでもあります。
マルコスが2つの法案を強引に進めようとする背景の一端は、これからの審議が予定されているE-政府法案、E-ガバナンス法案を注視することによって明らかになるのではと考えています。法案に関する議論のみならず、マハルリカとNCSTPの両法案の扱いとの違いにも目を向けていきたいと思います。
〈Source〉
House approves NCSTP on 3rd reading, House of Representatives, November 16, 2022.
House approves on third reading bill making NCSTP mandatory, Philstar, December 15, 2022.
House leadership vows to pass 12 more Marcos priority bills, Malaya Business Insight, December 21, 2022.
Joma Sison’s death removes ‘greatest stumbling block to peace in PH’ – DND, Rappler, December 17, 2022.
Maharlika Investment Fund bill approved, 90 percent of House members named co-authors, House of Representatives, November 16, 2022.
Transparency one of key safeguards of Maharlika Fund, pna, December 18, 2022.
Why 6 House lawmakers voted no to the Maharlika Investment Fund bill, Rappler, December 18, 2022.