*フィリピン・ニュース深掘りでは、隔週でフィリピンでの重要な出来事を一つ取り上げ、解説・深掘りします。
憲法改正に隠された陰謀
栗田英幸(愛媛大学)
マルコスが大統領に当選してすぐに始まった憲法改正の議論は、その後具体的な進捗がほとんど見られないまま2024年を迎えました。しかし、新年に入るや否や、怒涛の動きを見せています。少し前まで、憲法改正は経済条項について論じられていました。しかし、今進行している議論は、それらとは異なるようです。今回は、分かりにくい現在の憲法改正運動と、それをめぐる対立と混迷について深掘りします。
憲法改正のための手続きと要求
― 国民発議手続きによる憲法改正運動
フィリピンの現行1987年憲法では、憲法改正のために3つの発議の方法が認められています。①憲法制定会議(Con-Ass)の設置による、②憲法会議(Con-Con)の招集による、という上下院の一定数の賛成票を必要とするもの、そして、今回の③ピープルズ・イニシアティブと呼ばれる国民発議による手続きです。
国民発議については、共和国法第6735号(通称、イニシアティブおよび国民投票法)で定められています。この法律では、全国有権者の12%と全ての行政区で3%の賛成を得ることを、国民発議による憲法改正のための発議の条件としています。そして、上記3つのいずれかの方法で発議がなった後には、国民投票での過半数の賛成票が必要になります。
現在、全国で国民発議のための署名活動を展開しているのは、改憲推進団体「ピープルズ・イニシアティブ(ピルマ)」(以下、ピルマ)という団体です。
― 請願内容は改憲手続きの変更のみ
憲法改正について、上下両院の議員たちが経済条項や大統領の任期、また連邦制等、政治システムに関して、さまざまな発言をしています。しかし、現在行われている改憲発議は、実は憲法の条項内容そのものの改正ではなく、改憲のための議会手続きの改正なのです。
1987年憲法は、制定以来何度も改憲の動きがあったにも関わらず、その手続きは未だ不明瞭な部分が多くあります。特に、上院と下院での議員数の格差が憲法制定会議と憲法会議において大きな問題となってきました。下院315人に対して、上院の議員数は僅か24人です。発議に必要な賛成票を上下院それぞれで取得する必要があるのか、それとも合算するのか、未だ決定的な結論は出ていないようです。そして、今回のピルマによる憲法改正の請願は、憲法改正の発議において上院と下院を合算する改憲手続きの方式を要求するものです。
改憲実現すれば権限低下?慌てふためく上院
― 信じられない速度で集まる署名
署名の収集自体は、今年1月2日から開始されているようです。驚くべきは、その集まるスピードです。ピルマのノエル・オニャテ代表は、開始から1ヶ月に満たない1月25日の時点で、既に250万の署名、改憲発議必要数の30%が集まっており、2、3ヶ月以内で必要数の800万人分の署名が集まるだろうとの楽観的な見方を示しました。
慌てた上院議員たちは、「嘆願書の署名1筆に対して100ペソが支払われている」、「大物政治家が背後で操っている」、「偽署名での誤魔化しがある」等の嫌疑を次々と投げかけ、「調査が必要だ!」、「選挙管理委員会は署名受け取りを拒否すべきだ!」としきりに発言しています。
― 批判の矛先はロムアルデス下院議長
ピルマの活動に関する批判の矛先は、いつの間にか、ピルマではなく、マルティン・ロムアルデス下院議長に向けられるようになりました。明確な証拠は出されていませんし、本人も否定していますが、批判の中ではロムアルデス下院議長がピルマを裏で操っていると言われているのです。
1月22日、デラ・ローサ上院議員が、ある議員から聞いた情報だと断った上で、ピルマの背後にロムアルデス下院議長がいると指摘しました。
ロムアルデス下院議長は、デラ・ローサ上院議員の指摘を否定しましたが、その4日後、マルコス大統領の姉のアイミー・マルコス上院議員も、従兄弟であるロムアルデスの名前をあげて、「彼のオフィスがそれぞれの選挙地区に2千万ペソを配り、7月9日に(ピープルズ)イニシアティブ(=ピルマ)の活動を完了するタイムラインを設定している」と批判しました。
ロムアルデス下院議長は、アイミー上院議員の発言のわずか数時間後に、彼女の発言は根拠のない噂に過ぎない、できるものなら「証明してみなさい」とアイミーを煽り、同時に、ピルマの活動阻止に躍起になる上院議員に苦言を呈しました。
ロムアルデス黒幕説から導き出される真の意図
― 下院の下克上としての憲法改正
1987年憲法が公布されて以降、最初のアキノ政権を除き、ラモス政権からドゥテルテ政権に至るまで、憲法改正の試みが前述の3つの手段を通して何度もなされては失敗してきました。多くは、上院の反対によって阻止されており、そのことから上院は憲法の番人とも呼ばれ、また、多くの上院議員がそれを自認しています。
現在のマルコス政権では、マルコス大統領の主導の下で上下院のそれぞれの議長が憲法の経済条項を修正する可能性を模索することで合意に達しています。対象となっている経済条項とは、重要な産業における外資40%上限の投資規制です。この上限規制を経済成長のために撤廃したいというのが、少なくとも表面上、マルコス政権の目的となっています。
下院は、ロムアルデス下院議長の下で盤石です。議会を通した前述①②の2つの憲法改正の手続きにおいて、下院議員の大部分の賛成票を集めることはできそうです。しかし、上院ではそう簡単には行きません。そこで、今回の憲法改正手続きの変更案が持ち上がったのです。憲法改正の決議において上院と下院を1つに合わせることで、影響力の大きい上院の1票を下院の圧倒的な議席数で薄めてしまおうというわけです。
この改正が通ったら、憲法改正において、下院が圧倒的に優位になります。上院の風下で不満を感じてきた下院議員も気分を良くするはずです。多くの下院議員がピルマを支持する理由がこの点にあることは、間違いありません。反対に、上院議員は自分たちの権限を低下させる提案を快く思うはずもありません。
そして、何より危険なのは、ロムアルデス下院議長のリーダーシップの下、下院与党多数派が強固な結束を示している今、ピルマの試みが達成されることです。そうなれば今後かなり容易に改憲できるようになります。経済条項だけでなく、大統領やその他政治家の再選上限が撤廃される、また地方分権強化を伴う連邦制への移行という名の下、地方政治家による圧政が容認される環境が作り出される可能性も増大するのです。
― ロムアルデスの狙い①:並ぶものない政権ナンバー2の座
ロムアルデスがピルマを操っているのだとすれば、改憲手続きの改正は、第一義的に議会下院及び、ロムアルデス下院議長の影響力の増大を意味します。マルコス大統領と文字通り肩を並べて、憲法改正を次々と行えるようになるかもしれません。「所詮、下院議会」と上院から蔑まれていたロムアルデス下院議長が、憲法改正手続きを通してマルコス政権内でのライバルたち – デラ・ローサ上院議員やアイミー上院議員、フアン・ミゲル・ズビリ上院議長、そして、サラ副大統領 – を超え、堂々とマルコス政権のナンバー2として君臨することができるのです。
ロムアルデス下院議長の野望は、おそらくナンバー2のポジションの獲得だけに止まりません。マルコス大統領の再選を可能とする憲法改正を実施し、その下で副大統領を経験した後に大統領を狙うのか、はたまた一足飛びに次の大統領選で大統領を狙うのかのいずれかでしょう。
― ロムアルデスの狙い②:巨額の外資献金と利権
大統領を狙うには、圧倒的な人気と巨額の資金が不可欠です。巨額の資金で人気(=票)を購入することは、フィリピンの政治家にとって普通のことです。そして、巨額の選挙資金を得るには、企業、特に資金力に優れた外国資本からの献金が有効です。アロヨ元大統領、ドゥテルテ前大統領、マルコス大統領は、大統領選挙中に中国を中心とした資源関連外資企業から巨額の献金を得ていたと言われています。
そして、資源関連多国籍企業のフィリピン政府に対する最大の要求が、経済条項の撤廃に他なりません。実現すれば巨額の税収がフィリピン政府に入ってきますが、それ以上に多国籍企業の窓口として便宜を図った政治家に大きな利益が舞い込むことも間違いありません。
仲裁に動くマルコス
― ピルマによる国民発議手続きの一時的な停止措置
ベトナム訪問中のマルコス大統領は、1月31日の記者会見において、ピルマの運動が上下院間の不和に利用されてしまっている現状に懸念を示し、経済条項撤廃を目的としたシンプルな解決を目指すよう両院の指導者(ロムアルデス下院議長とズビリ上院議長)に指示したことを明らかにしました。また、上下院を一緒にすることが、フィリピンの政治的な基盤である二院制を壊してしまう可能性に懸念を表明しました。
取り巻きにやらせてみて、影響を観察し、問題への対処をさせ、ダメならマルコス自身が修正や停止を決定して、取り巻きの失敗として片付ける。現在の憲法改正をめぐる一連の流れは、このようないつものマルコス流処世術にも見えます。
マルコス大統領は、憲法の条項内容そのものではなく改憲手続きを改正するというロムアルデス下院議長の(?)「奇手」に対して、最初は黙認・観察し、政権を真っ二つに分裂させる上下院の対立に発展しかねない状況に至って、二院制を重視する上院の立場を支持する発言を行いました。そして、その直後に選挙管理委員会はピルマによる国民発議手続きの一時的な停止を発表しています。
― マルコスの深慮遠謀、遠大な陰謀?
ズビリ上院議長は、マルコス大統領がピルマの運動に懸念を示し、上院の意見を支持することを喜んでいるようですが、大統領の真意はもうしばらく観察する必要があります。まず、国民発議停止措置は一時的なものでしかありません。マルコス大統領は、政治的な不和に利用されていると述べて、二院制の意義を無視する手続きに懸念を示してはいますが、ピルマの運動そのものを否定はしていません。
マルコス大統領にとって、一番良い結果とは、次のような今後の流れでしょう。ピルマの活動がフィリピンの法律に則ったものであり、大統領といえどもピルマの動きを止めることは「残念ながら」できないとマルコス大統領が主張して、上院の側に立つように見せかけつつ(=上院のマルコス離れを止め)、実質的には下院の意向で憲法改正手続き進める。さらには、改憲手続きを容易にすることで新たな憲法改正を次々と成し遂げ、自らの盤石な長期権力を確立していく。
― 交錯する別の陰謀
マルコス大統領vs.ドゥテルテ親子の対立も憲法改正の混乱に複雑に絡んできます。これまで、筆者が担当している「フィリピン・ニュース深掘り」や「フィリピン政経フォーカス」の記事では、サラ・ドゥテルテ副大統領とのドゥテルテ親娘と記載してきましたが、息子であるダバオ市長のセバスチャン・ドゥテルテも父ドゥテルテのイベントにおいて、マルコス大統領辞任を突きつけるという特大の爆弾を投げつけました。
ドゥテルテ陣営は、今回の憲法改正の混乱を、マルコス大統領を攻撃する好機と見ているようです。次回の大統領選を見据えたドゥテルテ陣営の最大の敵はロムアルデス下院議長です。ドゥテルテ陣営はピルマ否定側につき、大統領の姉のアイミー上院議員を含めた多くの上院議員と未だドゥテルテに忠誠を誓う一部の下院議員を煽って、マルコス大統領に大きなプレッシャーをかけています。この点に関しては、また別の機会に別の切り口で分析したいと思います。
〈Source〉
Comelec halts people’s initiative proceedings on Charter change, Inquirer, January 30, 2024.
Dutertes vs Marcoses? Imee asks: Why should I be required to make a choice?, Inquirer, January 31, 2024.
Group denies ‘buying’ signatures for Cha-cha petition, Inquirer, January 11, 2024.
Imee links people’s initiative to Speaker’s office; Romualdez calls cousin ‘marites’, ABS-CBN, January 29, 2024.
Imee Marcos convinced Romualdez’ office behind people’s initiative, CNN Philippines, January 26, 2024.
Marcos admits PI for Charter change politically exploited, Inquirer, January 31, 2024.
Marcos Jr wants people’s initiative initiators to stop: Zubiri, ABS-CBN, January 29, 2024.
Marcos to ask House to drop people’s initiative – Zubiri, Manila Times, January 30, 2024.
People’s initiative advocates: 8 million signatures in 3 months, philstar, January 25, 2024.
Republic Act No. 6735 (AN ACT PROVIDING FOR A SYSTEM OF INITIATIVE AND REFERENDUM AND APPROPRIATING FUNDS THEREFOR), August 4, 1989
Romualdez sidesteps allegation he ordered People’s Initiative signature drive, philstar, January 22, 2024.
Salceda says Comelec can’t just stop people’s initiative unilaterally, Inquirer, January 29, 2024.