ニノイ・アキノ・デーに見える共産主義勢力への抑圧継続の理由
*フィリピン・ニュース深掘りでは、隔週でフィリピンでの重要な出来事を一つ取り上げ、解説・深掘りします。
栗田英幸(愛媛大学)
― ニノイ・アキノ・デーを記念するマルコス
「私は世界中のフィリピン人と共にニノイ・アキノ・デーを記念する。自分の信念を貫き、自分が正しいと思う戦いのために戦うことで、彼は多くのフィリピン人にとって、毅然とした態度の模範となった。」
8月21日のニノイ・アキノ・デーでのマルコス・ジュニア大統領の発言です。父フェルディナンド・マルコス・シニア(以下、マルコス・シニア)をフィリピンから追い出すきっかけとなった憎むべきベニグノ・(ニノイ)・アキノの行動を讃えなければならないマルコス・ジュニア大統領の心境は、果たしてどのようなものだったのでしょうか?
― 誰が記念日としたのか?
1983年8月21日、マルコス独裁政権と闘うために米国より台湾経由で帰国したベニグノ・(ニノイ)・アキノ元上院議員(以下、ニノイ)が、飛行機のタラップを降りてフィリピンの地に降り立った直後に殺害されました。ニノイ・アキノ・デーは、ニノイの勇気ある行動と彼の殺害を契機としてフィリピン民衆が民主主義を取り戻そうと団結し、無血で独裁者マルコス・シニア大統領(当時)を追い出して民主主義を取り戻した出来事を思い出し、そして、讃える日として、特別休暇とされています。
毎年、フィリピン政府の公式行事として大規模な祝典が準備され、全国各地で、当時の出来事や経験者の体験談が語られる催しが開催されます。当然、ここではマルコス・ジュニア大統領の父マルコス・シニアが悪者として語られることになります。
マルコス・ジュニア大統領からすれば、「誰だ、こんな記念日を作ったヤツは?」と記念日を制定した者に怒りをぶつけたくもなるでしょう。しかし、この日を特別休日として制定したのは、特に、マルコス・ジュニア政権の最初の1年間を大統領経験者として支えてきたグロリア・マカパガル・アロヨ元大統領(現在、下院議員)です。ニノイ・アキノ・デーを特別休日とする共和国法第9256号は、2004年2月に当時の大統領アロヨによってサインされました。
彼女は、マルコス・ジュニアの重要な政治パートナーであるサラ・ドゥテルテ副大統領の実質的な後見者の1人でもあります。さらに、サラ副大統領の父で前大統領でもあるロドリゴ・ドゥテルテもニノイ・アキノ・デーの制度化に一役買っています。マルコス・ジュニア大統領としては、流石に、この2人に直接怒りをぶつける訳には、いきません。
さらに、ニノイの息子であるベニグノ・アキノ3世はもちろん、アロヨも、ドゥテルテも、独裁者マルコス・シニアから民主主義を取り戻した出来事を大統領として祝福するメッセージをニノイ・アキノ・デーの度に国民に対して公表してきました。多くの行政機関の長や地方自治体の長も、それに倣ってメッセージを発しています。国民的に民主主義を誇るフィリピン社会で、ニノイ・アキノ・デーに民主主義の大切さを発信することは、特に政治家にとって、ある種のステータスですらありました。
― ガラッと変わった昨年の記念日
しかし、昨年8月、マルコス・ジュニアが大統領となって最初のニノイ・アキノ・デーは、ある種、異様な雰囲気に包まれ、国民の多くが、大統領を始めとした政治家たちの動向に注目しました。多くの行政機関や政治家たちが、マルコス・ジュニア大統領の顔色を伺い、例年通りにメッセージを公表するか否か、公表するのであればどのようなメッセージが妥当か、メッセージを出さないと国民から民主主義の敵と認識されはしないか、等々、頭を悩ませていたのです。結局、これまで毎年メッセージを公表してきていた行政機関や政治家たちの多くが、昨年はメッセージを発表しませんでした。
そして、マルコス・ジュニア大統領も、昨年の記念日当日は、無言を貫きました。さすがに大人げないと自身も感じたのでしょうか?その後に簡単なコメントは発しましたが。一方、ネット上では、情報戦が繰り広げられていました。「ニノイは共産主義と仲良くしようとした共産主義者」「共産主義者をつけあがらせた」「売国奴」というフェイクな書き込みが、フィリピン人の参加するSNSやネット上の至る所でなされていたのです。
― マルコスの譲歩
大統領としての1年が過ぎ、マルコス・ジュニアも精神に多少の余裕が出てきたのでしょうか?今年は、国民の前でニノイ・アキノ・デーを祝って見せました。もっとも、バヤン連合のレナト・レイエス委員長が批判するように、マルコス・シニアが「独裁政権の残虐性の象徴となったことに言及していない」という「限界」はありましたが。
マルコス・シニアは、式典のメッセージで次のように述べました。
「より団結した豊かなフィリピンを目指す私たちの目的のために、私たちの愛する人々の包括的な福祉と進歩を確保することを妨げる政治的障壁を超えましょう」。
マルコス・ジュニアにとって、自分たち一族を追放したエドサ革命に対して現在可能な最大限の譲歩は、独裁者マルコス・シニアに対する評価を価値観の多様性の問題にすり替え、評価の対立を誤魔化した上で、目の前にある共通の問題に目を向けさせて、「政治的障壁を超え」る協力を呼びかけるところまでです。ニノイの行動もその観点からは評価しますが、それ以上の譲歩、たとえば、レイエス委員長の批判のようにマルコス・シニアの暴力による抑圧を少しでも認めるようなことは決してありません。
― そして、攻勢へ
逆に、マルコス・ジュニアは、あの手この手を使ってマルコス・シニアの評価を変えようと足掻いています。昨年から続くネット上でのニノイへの誹謗中傷も、その1つです。
ニノイ、コラソン・アキノ(ニノイの妻で元大統領)、ベニグノ・アキノ3世という憎むべきアキノファミリーを貶める偽情報作戦で最も効果のあるものが、「共産主義と仲良し」な「売国奴」のアキノファミリーという偽情報です。中国との緊張の高まりも、このような偽情報に力を持たせています。
和平に対するマルコス政権の姿勢において、イスラム勢力に対するものと共産主義勢力に対するものが全く異なっていることを、私は常々疑問に思っていました。しかし、(容共的なアキノに対して)父マルコスは正しかったというイメージ戦略を効果的に推し進めようとすれば、マルコス・ジュニアも共産主義勢力に対して毅然とした厳しい態度を貫き通す必要がある訳です。イスラム勢力との和平を積極的に進める一方で、共産主義勢力に対しては容赦のない姿勢を貫く差異も当然の帰結でしょう。
〈Source〉
Ninoy Aquino Day missing in NHCP calendar, Inquirer, August 21, 2023.
On Ninoy Aquino Day, Marcos calls for unity: ‘Let us transcend political barriers’, Inquirer, August 21, 2023.
On Ninoy Aquino Day, Marcos calls on Filipinos to ‘transcend political barriers’, Philstar, August 21, 2023.
PBBM urges Filipinos to unite as PH commemorates Ninoy Aquino Day, pna, August 21, 2023.
WATCH: Scenes from the 2023 Ninoy Aquino Day commemoration, Rappler, August 21, 2023.