福田美智子(パマナ・リン・タヨ:Pamana Rin Tayo)
このところ、フィリピンの「慰安婦」の運動にとって悲しいニュースが続きました。8月25日にはサバイバー団体「リラ・ピリピーナ」で最も長くコーディネーターを務めたレチルダ・エクストレマドゥーラさんが、9月1日には リラ・ピリピーナの創設者の一人だったネリア・サンチョさんが相次いで亡くなられたのです。お二人ともフィリピンの女性運動で大きな功績を残されました。
このように、「慰安婦」の運動は、サバイバーであるロラたち(比語で「おばあさん」)ばかりか、当事者のロラたちを支えてきた活動家やさらに遺族も、高齢化で引退や逝去が続く厳しい状況です。とはいえ、実は運動は縮小するばかりではありません。ここ数年、若い人たちがこの問題に関心をもち、重要な役割を果たしています。
リラ・ピリピーナは、ロラたちの正義の回復のため、公式謝罪、法的補償、そして歴史教育を日本に求めています。しかし、比日いずれの国でも関心が薄れ、歴史修正主義的な言説が氾濫する状況です。日本では「慰安婦」の歴史を否定する動きが絶えずみられますが、フィリピンでも2018年にマニラの「慰安婦」像が政府によって撤去されましたし、先の大統領選からマルコス陣営による父のマルコス大統領時代の美化・歪曲が続いています。また、戦争中の日本の残虐行為に対し「そんな過去のことは忘れて先に進もう」といった態度もしばしば見られます。
リラ・ピリピーナの若いボランティアたちはこうした状況に危機感をおぼえ、積極的に国内外に向けて情報発信を行うなどしています。今回は、そうした活動家の皆さんにインタビューしました。安全のため名前は仮名にしています。なお、インタビューはフィリピンの「慰安婦」問題をテーマに修士論文を執筆している日本人大学院生と共同で行いました。
ジェニーさん(仮名)マニラ首都圏在住、28歳
ジョイさん(仮名)ビサヤ地方在住、30歳
マリエルさん(仮名)ビサヤ地方在住、20歳
ジョシュアさん(仮名)主にマニラ首都圏在住、25歳
― 祖母のいとこが「慰安婦」だった
Q:リラ・ピリピーナのユースボランティアの皆さんは、これまで証言ビデオの制作やオンラインイベントの企画運営、SNS上でのキャンペーン、資料の電子化などさまざまな活動をしてこられました。最近は韓国での若者の国際会議にも参加しましたね。「慰安婦」問題に関わるようになったきっかけは?
ジョイ:私が「慰安婦」問題を知ったのは、2013年にガブリエラ(全国的な女性団体でリラ・ピリピーナの上部団体にあたる)でボランティア活動をした時でした。おばも長くガブリエラでロラ達の支援を続けてきたこともあります。リラ・ピリピーナが、マニラから遠いこの島のロラ達と連絡をとるためのサポートもしてきました。本格的に活動を始めたのはごく最近です。
マリエル:私はリラ・ピリピーナと別の団体が討論をしていたのを見た時に初めてこの問題を知りました。私は祖母に育てられとても近しい関係なので、「慰安婦」の事実を身近に感じました。でも、それだけではなくて、何て言えばいいのかな、この問題に「巻き込まれて」いると感じます。女性の権利が踏みにじられることに対して行動しなければと思うんです。
Q:当事者意識を持たざるを得ないと感じるんですね。
ジョシュア:私の場合は、このテーマで論文を書いていた姉とリラ・ピリピーナの事務所「ロラズセンター」に行ってからですね。ロラたちの体験を知って強い怒りと共感を覚えて、関わることを決めました。大学在学中だったので、私も卒業論文のテーマにしました。
ジェニー:私はそのジョシュアの卒論で映像制作を手伝ったのがきっかけです。リラ・ピリピーナのイベントに参加してロラたちに会えたのも大きかったです。コロナ禍になってからはSNS用のコンテンツを多く制作するようになりました。
実は最近、私の祖母のいとこが「慰安婦」であったことを知ったんです。ある時、リラ・ピリピーナが作成した証言集を読んでいて祖母と同じ旧姓の女性が目に留まりました。出身の島も同じです。そして写真見ると私にそっくりなんです。年をとった自分を見ているようでした。そこで母と祖母に確認したら、やはりそのロラは祖母のいとこだったんです。祖母には詳しいことを伝えないままですが、母もとても驚いていました。このことを知った時は悔しかったし、彼女はもう亡くなっていて、知るのが遅すぎたと思いました。フィリピンでは祖母のいとこも「祖母」と同様に近しい関係にあります。ですから、私にとって、「祖母」が「慰安婦」にさせられ、それを知らずにいたということです。その悔しさもバネにして活動しています。
― 植民者は“救世主”?比の歴史教育の問題
Q:身近な人を通して「慰安婦」問題を知った方が多いですが、学校では習わなかったのですか?
マリエル、ジョシュア:一度も習っていません。
ジェニー:小学生の頃でしょうか、とても簡単に(教科書に)書いてありました。その後は大学で学びましたが、リラ・ピリピーナで教わったほど詳しくはありませんでした。フィリピンは性に関すること、特にレイプや虐待について話すことを恥とするところがあり、それもあるのでしょう。
ジョイ:ガブリエラのような進歩的な組織に属さない限り、知る機会はないと思います。私達は学校で、植民地支配者がフィリピンの”救世主”であったかのように教わりましたから。
マリエル:そうです。フィリピンが被害者であると習うものの、スペイン、米国、日本がフィリピンを「教育」し、「文明化」と「発展」に貢献したかのような伝え方がなされます。もちろんそんなわけはないのですが。こんななかで「慰安婦」問題を若い世代に伝えるのはすごく難しいです。
ジェニー:さらに、歴史を批判的に見たり現在の出来事に関連づけたりせず、暗記だけが求められます。だから高校でホセ・リサールの作品を学んだ時も、おとぎ話のような感じで、植民地支配の下で生きた先人達の体験とは切り離された鑑賞の仕方でした。
マリエル:リサールが植民地支配に立ち向かった英雄だという認識と、植民者としてのスペインを”救世主”とする視点が共存しているのは皮肉な状況にも感じます。歴史教育の問題だけでなく、宗教の影響も大きいと思います。スペインは「剣と十字架」で植民地支配を“成功”させたと言われますが、カトリックは今でも私達の社会で大きな力をもっていますから。
ジョシュア:私は比米両国で学んだけれど、やっぱり暗記中心で、なぜ戦争が起こったのか、その社会的政治的背景や、一般市民への影響は学びませんでした。ただ、皮肉なことにフィリピン=アメリカ戦争(米比戦争)に関しては、米国でより多く学びました。拷問、強制収容所、100万人近くにのぼる虐殺、飢えと疫病といった米国の残虐行為を、です。
私達はスペイン、米国、日本がフィリピンを侵略したことを知ってはいますが、その歴史的な出来事を分析する視点が欠けています。当時の社会階層や経済構造は?どのような権力のダイナミクスが働いたのか?こうした問いは植民地主義の根本原因を理解するために重要です。植民地支配とは別の国に対する暴力的な占領だけでなく政治的、イデオロギー的、経済的な征服でもありますが、そのことは教育ではほとんど触れられません。
例えば、比米間、もしくは比日間の不均衡な貿易や軍事協定があります。教育システムもそうです。現地の言語よりも英語を優先する教育は労働力の輸出に都合がいいですから。そして日米のような国は、特定の問題に触れないようにフィリピンにプレッシャーをかけることもできます。こうしたことが私達の力を奪うのです。
マリエル:とはいえ、大学、少なくとも国立大では、歴史の教師たちには何を教え、何を強調し、どういった視点で歴史をみるのかについてより大きな学問的な自由があります。学生たちが歴史を単なる科目としてではなく私達のアイデンティティの一部として捉えるようになるのに、教師は「インフルエンサー」になり得るんです。
さらに、最近は高校でも歴史教育が変わってきているようです。このインタビューの話があってから、気になって図書館に教科書を確認しに行ってみました。そしたら植民地支配についてはかなり革新的な内容になっていて、しっかり議論もするようになっているようでした。
(続く)
〈参考ホームページ〉
リラ・ピリピーナFBページ
リラ・ピリピーナウェブサイト
〈筆者紹介〉
ふくだ みちこ。「パマナ・リン・タヨ(PART)」設立メンバー。2013〜14年、フィリピンのアテネオ・デ・マニラ大学とコスタリカの国連平和大学の修士課程で「ジェンダーと平和構築」を学ぶ。アテネオ大在学中はリラ・ピリピーナの活動拠点でありロラたちのシェルターであるロラズセンターに下宿。卒業後もリラとの活動を継続し友人らとPARTを立ち上げた。
パマナ・リン・タヨ(PART)FBページ