【コラム】大統領選挙の結果に思う

【写真】選挙キャンペーンに集まった聴衆の歓声にピースサインで応じる「ボンボン」マルコス/via Facebook page of Bongbong Marcos (posted on May 4, 2022)

藤本伸樹(ヒューライツ大阪)

―「ピープルパワー」の精神はどこに

 5月9日に投開票された国政・地方統一選挙で、大統領候補のフェルディナンド・マルコス・ジュニア(以下、「ボンボン」マルコス)氏と副大統領候補のサラ・ドゥテルテ(以下、サラ)氏が圧勝した。「ボンボン」マルコスはライバルで現副大統領のレニ・ロブレド候補の2倍超の票を得た一方、現ダバオ市長のサラは2位の候補の3倍以上の差をつけた。選挙前の世論調査で2人の当選はあらかじめ予想されていたとはいえ、2人がここまで大勝するとは驚きであった。
 独裁体制のもとで何万人もの市民に、殺害、強制失踪、恣意的拘禁、拷問など深刻な人権侵害をもたらしたフェルディナンド・マルコス・シニア元大統領の息子と、警察集計だけでも8600人超が殺害されてきた「ドラッグ戦争」を主導するロドリゴ・ドゥテルテ現大統領の娘が手を組んで、これから6年間も「リーダー」を務めることになる。開票速報をみながら、これまでフィリピンの人権問題を折りにふれ注視してきた私は、暗澹たる気持ちに陥った。
 マルコス大統領を追放した1986年の「ピープルパワー」の精神は消滅してしまったのか。民衆に刻み込まれたはずの民主化を渇望する記憶はどこにいってしまったのだろうか。戒厳令が発布された1972年から50年後に行われた今回の大統領選挙はなんとも残念な結果となった。

―「強力なリーダー」への期待なのか

 「かつてフィリピンは日本に次いでアジアで第2位の経済力を誇っていた」とフィリピンではしばしば懐古的に語られる。しかし、それはマルコス政権の初期の話であって、同政権下の21年間に経済は低迷していったのだ。マルコス一家とその取り巻きだけが富をほしいままにしたマルコス政権が終了し、アキノ政権が誕生したとき、独裁政権の「負の遺産」としてフィリピンの対外債務はおよそ250億ドルに膨れ上がっていたのである。
 私は、アキノ政権時の1988年から次のラモス政権の途中の1994年までフィリピンに滞在していたが、国際社会から「アジアの病人」と揶揄されていたのを覚えている。そのようなフィリピンに対して、日本は米国とともに、民主化と経済再建を支援する目的で、多国間援助構想(MAI)を推進し、フィリピンへの政府開発援助(ODA)を大幅に拡充していた。道路や港、発電所などのインフラ整備の計画が次々に打ち出されていた。
 しかし、今回の選挙では、「ボンボン」マルコスおよびその陣営は、Facebook やYouTubeなどSNSを駆使して、父親の政権初期に建設した道路など公共事業の実績を紹介し、インフラ整備を通じて今度は息子が経済復興していくとしきりに訴えた。ボンボンは、洗練された動画のなかで、明るい未来を喧伝したのだ。もちろん、独裁政権時代の負の現実にはいっさいふれない。一方で、ロブレド氏をはじめとする対立候補を貶める偽情報が次から次へと発信されていった。
 SNSなどインターネットの利用時間が最も長いとされるフィリピンにあって、家族や友人から共有された情報を「鵜呑み」にした人たちが多いのではないかと分析されている。また、フィリピンの総人口の7割が、マルコス独裁体制を肌で感じた経験のない40歳未満だということから、過去の記憶が若年層に受け継がれていないのかもしれない。
 だが、「ボンボン」マルコス支持は若者だけではなく、中高年にも拡がった。もともと「ピープルパワー」の直後からマルコス家の出身地であるルソン島北部の北イロコス州を中心に、マルコスを熱烈に支持し、復権を望む「ロイヤリスト」が多く存在するのだが、その勢力の版図が拡がったのである。背景には、これまで政権が変わっても貧困が続き、貧富の格差が縮まるどころか拡大の一途をたどってきたという現実がある。民主化や人権を唱えるだけでは胃袋は満たされず、人々は幾度も失望させられてきた。ならば、「強力なリーダー」を輩出したマルコス家とドゥテルテ家に夢を託すという道を選んだといえまいか。決して、SNSによる偽情報や誇張話を信じ込んだ「単純な人たち」だけから得た大量得票ではないに違いない。

― 民衆運動の潜在力を信じて

 「ボンボン」マルコスが大統領になると、過去の負の歴史を歪曲し、教科書を書き換えるのではないかという懸念が持ち上がっている。いちはやくサラを教育長官に任命するとしたことで、その心配がさらに現実味を帯びてきた。
 確かに、フィリピンはそのような憂慮すべき事態に直面している。そうしたなか、私は、フィリピンでこれまで脈々と培ってきた民衆の自由や権利を志向するパワーやエネルギーを信じたい。国軍や警察から厳しい弾圧を受けても、貧困や抑圧から真に自由になることを求めて闘っている人々がいるからである。
 私は、そのような人たちとこれまで以上に連携していきたいと考えはじめている。

〈筆者紹介〉
ふじもと のぶき。ヒューライツ大阪(一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター)研究員。フィリピンにおける日本の政府開発援助(ODA)をめぐる課題、およびフィリピンから日本への移民労働者の人権について関心をもち、情報収集・発信を続けている。1988年から1994年までフィリピンに滞在。2001年から現職。

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