栗田英幸(愛媛大学)
今週は、バリカタン軍事演習、警察に浸透するドラッグバイヤー、バリカタン反対デモで青年活動家逮捕、の3つの出来事を取り上げます。
解説では、バリカタンに関して日本のメディアでは取り上げられない懸念について整理しました。
◆今週のトピックス
トピック1:バリカタン
― 過去最大のバリカタン
4月11日、南シナ海(西フィリピン海)や台湾での緊張が高まる中、フィリピンは米国と過去最大規模の軍事演習を実施し、防衛協力を強化する。これは、中国が台湾周辺での、やはり過去最大規模の軍事演習を終了した4月10日の翌日に当たる。
タガログ語で「肩を並べる」「負担を分担する」という意味の「バリカタン」と名付けられた18日間の米比合同演習には、フィリピン国軍5000人、米軍1万2000人、オーストラリア軍111人の合計1万7000人以上の兵士が参加する予定だ。これは昨年の9000人からほぼ倍増したもので、規模や範囲もこれまでの演習とは一線を画す。
今年のバリカタンには、米国と同盟関係にある他の国々からもオブザーバーが参加することになっている。また、今回初めて実施される訓練には、ウクライナがロシアの侵攻から自国を守るために使用しているパトリオットミサイルやアベンジャーズ防空システムによる実弾射撃訓練も予定されている。さらに、ザンバレス州沖の西フィリピン海に面した海域で、廃船となった200フィートの漁船を敵船と想定して沈めることになっている。
― 戦争を抑止できないのであれば、戦争に備えなければならない
バリカタンのスポークスパーソンであるミカエル・ロジコ大佐は、フィリピン国軍が米軍との軍事演習から多くを学べることを強調し、この演習が最新の武器のみならず、サイバー技術や作戦、指揮等、フィリピン国軍の能力全体を底上げすると語る。
エマニュエル・バウティスタ退役将軍(元参謀総長)は、フィリピンが台湾や南シナ海の紛争に巻き込まれないことは不可能であり、米中間の摩擦にとってフィリピンが「重要な位置」にあるため、フィリピンを支配することで「敵対国に対して著しく有利になる」可能性があると述べる。パラワン島沖にある、ミサイルや戦闘機を発射できる中国の人工軍事拠点も、その近さゆえに列島への「直接的な脅威」となっているとバウティスタは指摘する。
「私たちは、同盟の信頼性を示し、備えがあることを証明する必要がある。戦争を抑止できないのであれば、戦争に備えなければならない」とバウティスタは言う。
― 被害を受ける漁民
軍事演習地近隣に住む漁民は、損失を補償されないことに強い不安を感じている。フィリピン、ザンバレス州の海岸村の住民は、魚、イカ、その他の魚介類で生計を立てている。しかし、彼らは、11日から開始されるフィリピンと米国の最大の戦争ゲームで、演習の大部分の期間、漁場が「航行禁止区域」となるため、漁獲量が激減するかもしれないと不安を語る。
魚売りのマイレン・アガピン(60)は、バリカタンの間、地元の漁場が混乱し、漁師をしている夫が何も持って帰れないかもしれないので心配だと語った。
「2月から5月にかけては、1回の漁で4000ペソを稼ぐことができます。6月から8月にかけては何も獲れないので、その収入で(8月までの)生計を立てているのです」と指摘し、バリカタンを不漁期に開催するよう政府に要請した。
「何も獲れないのに、どうやって生計を立てればいいのでしょうか?」とアガピンは問いかけた。
トピック2:内務自治省アバロン長官は警察内の膿を摘出できるのか?
― 違法薬物取引への警官関与の証拠を隠蔽する「大規模な試み」
少なくとも2人の警察高官および他8人の警官が、停職処分を受けた。同警官らは、67億ペソ相当の違法薬物取引に関与した疑いで警官(マーヨ・ジュニア警察軍曹≒巡査長)が逮捕された事件を、隠蔽しようとしたとみられている。
「事実調査委員会による複数の人物の証言および委員会が所有する(録音)テープを含む他の証拠は、マーヨ・ジュニア警察軍曹の逮捕を隠蔽しようとする大規模な試みが実際に存在したことを示している」と、内務自治省(DILG)ベンフール・アバロス長官は10日月曜日の夕方の記者会見で述べた。
シャブ(覚せい剤)の摘発は昨年2022年10月に行われ、フィリピン国家警察はトンド地区で合計990キログラム、67億ペソ相当の違法薬物を押収した。
国家警察委員会の委員長でもあるアバロスは、隠蔽工作に関わったとされる警察官は、捜査が終わるまで休暇を取るか、停職処分を受けなければならないと述べた。
― 摘発専門組織内部にまで及ぶ違法薬物取引
記者会見でアバロスは、逮捕の隠蔽に関わったとされる計10人の警察官の名前を公表し、その関与について述べた。
国家警察委員会によると、公表された10人のうちの2人、カタラタとロボソラは、情報提供者への「報酬」として、警察が押収した990キログラムのうち、42キログラムの違法薬物を持ち出したとされる。この2人の警官は結局、紛失した違法薬物を警察に返却した。詳細や裏付けについては、現在も捜査中である。
警察の調査によると、10月の違法薬物摘発では、トンドにある貸金業者の事務所でID、持ち物、証拠となる書類など、マーヨの関与を示す証拠が発見されたという。この事務所は、後にドラッグ取引の隠れ蓑であったことが判明した。
この大規模な違法薬物捜査と、警察官たちが自分たちの関与を隠蔽しようとした疑惑は、違法薬物の撲滅を任務とする警察の最も専門的な部署にまで違法薬物取引が入り込んでいる可能性があることを示した。
トピック3:バリカタン反対デモで青年活動家が逮捕
― 米国大使館前でのバリカタン反対デモで2人の青年活動家が逮捕
マニラの米国大使館前でのデモに参加した2人の青年活動家が、11日の早朝、マニラ警察管区の警官によって逮捕された。
警察によると、若者グループは4月11日午前4時50分頃、ロハス大通り沿いの米国大使館前で、フィリピン国軍と米軍のバリカタン軍事演習に反対する抗議活動を開始したとのことである。バリカタン軍事演習は、北ルソン、パラワン、アンティケの各州で同日に開始された。
警視庁の報告によると、2人の青年活動家は集会中、大使館のロゴにペンキをかけた。このため、警官は彼らを追いかけ、最終的に逮捕した。
― 憲法上の権利の行使を擁護する
フィリピン大学マスコミュニケーション学部(CMC)は、11日未明に米国大使館前で行われた抗議活動で逮捕された6人の活動家のうちの1人の学生を直ちに釈放するよう、当局に要請した。
フェイスブックに投稿された声明で、フィリピン大学CMCはマニラ警察に対し、「憲法上の権利を責任持って行使する学生を育て、保護し、擁護する」よう要請した。
◆今週のトピックス解説
― 危険なバリカタン
「史上最大のバリカタン」とも呼ばれる米比合同軍事演習が始まりました。暗黙の日程調整はあったのでしょうが、バリカタンは、中国による史上最大規模の軍事演習が終了した翌日から開始されました。日本では、そこまで注目されていませんでしたが、「中国の軍事演習が延長されなくて良かった!」と安心した人は世界中に数多くいたことでしょう。少なくともバリカタンに直接参加する米比や周辺諸国の軍事関係者は、初日に第三次世界大戦の引き金になるような事態にならなかったことで、胸を撫で下したはずです。
関係者にとって胃の痛い日はまだまだ続きます。18日に及ぶ長い演習期間中に中国はさまざまな手段で演習の妨害を試みるはずです。外交手段は当然のこと、軍艦や戦闘機を利用した示威行為を行う可能性も否定できません。そうなると、一触即発の危機に至る可能性も出てきます。
中国と親密な関係を有するマルコス大統領のお陰で最悪の事態に陥ることはないという意見も強いようですが、最近強まる米国と中国双方の強気な発言や示威行動を考えると、やはり完全には安心できないように感じます。
― 異なる優先順位、異なる姿勢
米国との軍事協力の強化でマルコス大統領をはじめフィリピン人が最も懸念しているのは、その優先順位です。フィリピンにとって比米軍事協力の目的は、自国が主張する領海での安全確保ですが、米国にとっては、台湾を巡る中国への牽制もしくは中国軍の台湾への侵攻に際してのカウンター攻撃に他なりません。米国は台湾と南シナ海の問題を「民主主義と国際ルールをめぐる戦い」の土俵に乗せようとしています。しかし、フィリピンにとっては、台湾を巡る米中の争いに自国が無理やり巻き込まれたも同然です。
米国は、今回の軍事演習に関して、他国を侵略するためではないと表明する一方、他国に侵略させないためのものでもあることを強調し、中国を煽ります。この米国の発言に、台湾が視野に入っている点は重要です。フィリピンでも「良く言ってくれた!」「頼もしい」と感じる人がいるかと思いますが、それ以上に「やめてくれ、煽らないでくれ!」と迷惑に感じている人が大多数でないかと思います。フィリピン国軍からも米国と同様の発言がなされましたが、そこでは、フィリピンの領海に限定したものととれるような配慮がありました。
バリカタンの開始された10日、中国は、南シナ海の領海紛争への第三国の介入は南シナ海の平和を壊すことになるとの、フィリピンへの脅しとも捉えられるメッセージを発しました。この発言は、バリカタンに加え、フィリピンの軍事基地の米国との共同利用に関して語られたものでした。一方フィリピンからは、翌11日にカルリト・ガルベス国防長官代行が、バリカタンが毎年の恒例行事であることを強調した上で、「中国から危険なリアクションはないだろう」とメディアに向かって発言しています。意訳すれば、「単なる恒例行事です。中国をことさら挑発したり非難したりするつもりはありません。気にしないでください。中国はフィリピンに変な圧力かけたりしないでね。それとフィリピン国民は安心してね」ということです。
― 弱点は足元にあり?
多くのメディア、特に、海外のメディアは、米国とフィリピンとの軍事協定の弱点として、フィリピン国民の反対に注目しています。「民主主義や自由を守る」ための同盟を強調する米国にとって、先にトピック1で取り上げた漁業被害への漁民の批判に加え、無視できない問題があまたあります。軍事演習や基地利用による環境破壊、駐留米兵や軍人目当ての風俗産業による治安悪化、等々。なぜなら、それら問題の無視は、「民主主義や自由」を否定することになるからです。
メディアのインタビューを受ける政治家やフィリピン国軍高官は、上記の問題が深刻ではないことをアピールしています。しかし、米国の人権団体は、フィリピンの人権団体と連携して、独自に調査を開始するでしょう。さらに、上記諸問題を超えて、汚職やドラッグ戦争に見られるような非民主的、抑圧的なフィリピン政府の体制にも批判の矛先が向いていくのは時間の問題です。近いうちに米国主導の対中戦略に反対する新しいアクターの参入による新しいアリーナ(闘争領域:新しいアクターが有するネットワークと交渉相手)での人権、民主主義、環境に関する闘いが開始されるのではないかと考えています。
― サイバー能力強化による懸念
バリカタンでは、サイバーテロに対する対策としてのフィリピン国軍のサイバー能力の向上が強調されています。フィリピン政府による人権抑圧を憂慮する懸念は2つ。1つは、マルコス大統領の誇る世論操作を得意とするサイバー部隊の能力を飛躍的に強化してしまうのではないかという懸念です。
もう1つは、マルコス大統領の息子アレクサンダー・「サンドロ」・マルコス(以下、サンドロ)下院議員の存在です。少なくとも昨年まではマルコス大統領がサンドロをデジタル技術に関する責任あるポジションにつけようとしていました。サンドロが携わってきた行政手続きや携帯SIMカードのデジタル管理と今回の軍事技術としてのサイバー能力向上が、良からぬところで結びつく可能性も個人的には否定できません。
〈Source〉
After Ukraine, Taiwan? Pacific spike in tensions, FRANCE 24 English, April 11, 2023.
China warns Philippine-US base deal ‘endangering regional peace’, ABS-CBN, April 4, 2023.
‘Combat-ready’ force in biggest ‘Balikatan’, Inquirer, April 10, 2023.
Fishers fear livelihood loss due to ‘Balikatan’, Inquirer, April 11, 2023.
Marcos says EDCA sites won’t be used for offensive attacks, ABS-CBN, April 10, 2023.
PH not expecting violent reactions from China due to Balikatan – DND chief, CNN Philippines, April 12, 2023.
PH, U.S. To stage biggest-ever ‘Balikatan’ exercise | The Final Word, CNN Philippines, April 11, 2023.
Police generals covered up cop’s arrest in massive shabu bust – Abalos, Rappler, April 11, 2023.
Possible impact of ‘Balikatan’ on communities, CNN Philippines, April 12, 2023.
Two youth activists who participated in a rally at US Embassy in Manila arrested, Inquirer, April 11, 2023.
US and Philippines launch largest joint military exercise in decades, Financial Times, April 12, 2023.