【コラム】マルコス政権の行方(2):ずらされた3つの論点

図:「崖っぷち」で国民にマジックを披露しようとするマルコス(ChatGPTにより筆者作成)

 このコラムでは、マルコス政権の行方について、6回に分けて説明していきます。

栗田英幸(愛媛大学)

― 実は巧妙に作られた「新しいフィリピン」
 「新しいフィリピン」は、一見すると、近代化と国民意識形成を目指した時代遅れの意識改革運動のようです。事実、その内容は、マルコス大統領の父マルコス・シニア(以降、シニア)の「新しい社会」のスローガンの焼き直しであり、その発想力のなさは多くの人たちからの非難の対象でした。しかし、マルコスの置かれている危機的な状況を考慮に入れた上で、もう一度「新しいフィリピン」を整理すると、巧妙に隠された3つの論点操作に基づくマルコスの生き残り戦略が見えてきます。

― シニアへの両極端な評価
 マルコスおよび彼のファミリーが、将来的にピープルパワーの矛先から逃れるためには、ピープルパワーを無力化するか、国民のシニアに対する強力な負のイメージを払拭しなければなりません。そして、この2つを同時に行うための国民意識の操作こそが、この「新しいフィリピン」の隠された狙いに他なりません。
 シニアに対する評価は、両極端に分かれます。多くの知識層や人道左派、そして、抑圧政治の犠牲者・親族は、シニアを暴力的で非人道的な独裁政治によって国家を私物化した極悪非道な簒奪者と見做します。さらに、彼/彼女らにとって、その一端を担った当時の妻イメルダ、娘アイミー、息子マルコスたちは共犯者であり、過去・現在・未来にわたってマルコス・ファミリーは不正蓄財を利用し続ける簒奪者です。加えて、シニア政権末期の経済危機が、その後のフィリピンの発展を長く阻害したこともあり、シニアは、現在まで続くフィリピンの苦境を作り出した責任者でもあります。
 他方、シニアが、強力なリーダーシップでフィリピンの近代化を進めたのも事実で、シニア時代、近代的な農法が全国に普及し、工業化も急速に進展しました。近代化による生活の変化や農村での手厚い補助金、そして、旧来の悪徳政治家たちがシニアによって断罪される小気味よい出来事は、多くの人たちにとって、古き良き時代の思い出です。

― 対立ではなく論点をずらす
 2022年の大統領選挙に出馬したマルコスは、シニア時代を「黄金時代」として評し、その息子マルコスによる「黄金時代」の再来を有権者たちに約束しました。「黄金時代」の評価に対して、主に知識層や市民団体から「歴史の捏造」だとの強力な批判が絶えず投げかけられています。しかし、マルコスは、これら批判を全くと言って良いほど相手にしません。マルコスは、強権的な知識の押し付けとしての歴史の捏造ではなく、論点を巧妙にずらす論点操作により、批判を相対化し、対立点からずれた第3の着地点を作り出す戦略を選んでいるからです。そして、この着地点を指し示しているのが、「新しいフィリピン」の言説なのです。
 彼の論点ずらし(論点操作)で誤解してはならない重要な点があります。彼の論点操作は、それを受け入れたくない左派、さらに右派をも相手にしていません。また、真実を主張することもしません。彼が主張するのは、1つの真実ではなく、歴史の多様な見方、多様な評価だからです。そして、彼の論点操作の対象は、専ら強い政治的な信条や主張を有していない大多数の一般国民です。

― 第1の論点操作:過去の責任追及ではなく未来のための統一
 マルコスの論点操作は大きく3つに整理できます。その第1は、フィリピンの長きにわたる苦境の、左派右派双方が主張する異なる原因についてです。左派は、長きにわたって続いてきたエリート支配体制や独裁政権をその原因として糾弾します。他方、右派は、左派の反対運動や革命運動によってもたらされてきた秩序の悪化や共産主義思想による市場の混乱を糾弾してきました。
 マルコスは、現在の国民の苦境の原因は、左派と右派との分断・衝突にあると説明し、対話による統一を呼びかけます。マルコスの主張は、右派と左派の両者を苦境の加害者としつつ、過去にこだわらない未来のための統一を、苦境から脱却し、誇りある豊かなフィリピンを作り出すための第3の道として提示するのです。
 マルコスの論点操作において、右派に与しているはずのマルコスは、あたかも中立の立場に立ち、仲介者、裁定者になったかのようです。さらに、他者を非難・攻撃する行動が現在のフィリピンの苦境をもたらしているとして、批判者を悪者と位置付け、裁定者マルコスへの批判をも封じ込めています。

― 第2の論点操作:「国際水準」と「科学」による人道的側面の相対化
 マルコスが「新しいフィリピン」について語る時、「国際水準」および「科学」という単語が繰り返し用いられます。それらは、現在の苦境を未来への平和で豊かな、そして誇れるフィリピンへと転換するための媒介として位置付けられています。そのような客観的、科学的、国際的な手続きや判断を国民1人1人ができるようになってはじめて、フィリピンの変革が可能となり、「新しいフィリピン」に至るというのです。
 国際水準や科学に依拠することには、一見客観的で何ら問題がなさそうです。しかし、その「客観的」な判断を重視する姿勢の背景には、実は、シニアに対する批判や悪しきイメージは、一部の人たちの「主観的」で「感情的」な認識に過ぎないと相対化し、無力化する意図が隠されています。
 マルコスは、シニア時代の被害者や犠牲者の被害や感情を否定するのではなく、1つの側面として受け入れます。しかし、このような感情的、主観的な認識・評価だけではない、別の立場からの認識・評価もあるとして、マルコスは異なる評価をも受け入れます。その結果、本来であれば相対化されるべきではない人の尊厳や人権に関わる問題までが多面的な認識・評価の一部分に矮小化されてしまい、相対化・無力化されてしまいます。ピープルパワー革命の源泉である怒りの感情は相対化、卑小化され、怒りが他者に伝播され難くなるのです。
 加えて、国際水準と科学という2つの文言は、適正な手続きの重視というマルコスの強い意図が込められています。フィリピンの裁判は、強力な独裁政権や国民の強い感情に後押しされるポピュリスト政権によって、如何様にも操作されてしまう脆弱なものです。不正蓄財や被選挙権をはじめとしたさまざまな法廷闘争を既に勝ち抜いてきたマルコス・ファミリーにとっても、この脆弱さは、あまりにも大きなリスクです。法廷闘争で勝ち取った成果をひっくり返すような非科学的で不適切な手続きを許さない 社会への転換、それを支える国民意識の転換が、既に幾多の法廷闘争を勝ち抜いているマルコス・ファミリーにとって必要なのです。

― 第3の論点操作:苦境は皆の責任
 マルコスは、国民1人1人を「新しいフィリピン」を作り出す不可欠な構成員として位置付け、意識変革とそれに基づく行動転換を呼びかけます。国、社会は国民皆で作るものだという国づくりへの国民参加を呼びかけるメッセージは、国民意識形成のための使い古された手段です。
 しかし、ピープルパワーを過度に恐れるマルコスにとって、ここで語られる内容は、国家形成の原理というだけではありません。フィリピンの苦境の責任を、マルコスやシニアといった個人に帰するものから、国家の構成員たる国民皆で担うべきものへの認識の転換を意図したものでもあります。為政者を倒すだけでは国民の苦境を解決できず、苦境を乗り越えるためには、国民1人1人の意識改革こそが必要なのだ、だからピープルパワー革命を安易に選択しないようにしましょう。このような隠されたメッセージが込められているのです。


― 論点操作とは?
 マルコスの3つの論点操作とは、シニアの悪しき評価に起因してマルコス・ファミリーへと将来向けられ得る国民の怒りを、新たな評価軸を導入することで、相対化し、無力化しようとするものだと言えます。①「過去(シニア)」に「現在(目の前の苦境や左右の対立)と未来(豊かなフィリピン)」を、②「主観や感情(被害者の悲しみや怒り)」に「客観(多様な評価や適切な手続き)」を、③「個(為政者の責任)」に「全(国民の責任)」を対立させ、相対化しているのです。

― 結びついた国民とマルコスの命運
 「新しいフィリピン」は、単なるマルコスの責任逃れの手段に止まるものではありません。「新しいフィリピン」の真骨頂は、責任逃れの手段であるのと同時に、有効な発展の手段でもあるという、その二面性にこそあります。発展を国民が実感することによって、3つの論点操作の効果もさらに上がります。悪しき評価の相対化ではなく、「新しいフィリピン」こそが正しいものという評価に置き換わります。
 逆に、国民が発展や生活向上を実感することができないならば、相対化の効果は弱まり、シニアに起因するマルコス・ファミリーに対する悪しき評価が再び息を吹き返すことになるでしょう。国民の生活向上とシニアに起因する汚点からの解放、言い換えるならば国民とマルコスの命運を不可分に結びつけたものが、「新しいフィリピン」なのです。

― スタートは切ったものの
 経済成長と利益の分配、そして、不満に対する政府の適切な対応を可能とする社会変革が、「新しいフィリピン」によってもたらされなければなりません。2023年7月24日、マルコスは2年目の施政方針演説を次の言葉で締め括りました。
 「さあ、新しいフィリピン(の出発地点)に到着しましたよ(Dumating na po ang Bagong Pilipinas)」
 少し小さな声で、恥ずかしげに国民に語りかけた言葉ではありましたが、これは、「新しいフィリピン」による国家大改造の準備が整い、これから国民が生活向上を実感することができるようになるという国民に向けたマルコスの力強いメッセージであり、マルコスの自信の現れでもありました。
 しかし、自信を持って宣言したはずの「新しいフィリピン」は、旧いエリート体制とドゥテルテ陣営からの効果的な妨害に振り回され続け、未だに国民に変化の実感を与えることができないでいます。逆に、国民の不満は膨れ上がる一方です。9月21日に全国各地で展開された汚職に対する抗議デモは、そもそもの原因である洪水対策事業に関する汚職とは関係ないはずの、シニアからマルコス・ファミリーが受け継いだとされる「不正蓄財(ill gotten wealth)」とも結びつけて、マルコス政権への批判を叫んでいます。
 未だに「崖っぷち」を歩み続けている前途多難なマルコスですが、置かれている状況を冷静に見据えて、忍耐強く、そして慎重に進んでいるのも事実です。次稿からは、マルコスの具体的な歩みについて整理していきます。

〈Source〉
【コラム】マルコス政権の行方(1):「新しいフィリピン」賛歌, Stop the Attack Campaign, September 5, 2025.

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