【連載 まにらから】ドゥテルテを討つ

【写真】「ドラッグ戦争」犠牲者のための慰霊碑の着工式で、家族の殺害について語る遺族.レニー・ロブレド前副大統領の姿も見えた(左から2人目)=2023年12月,マニラ首都圏カロオカン市のラロマ墓地,岡田薫撮影.

岡田薫(元まにら新聞記者)

「何人も、法の正当な手続きなしに生命、自由または財産を奪われてはならず、また法の平等な保護を拒否されてはならない」とは、マルコス独裁政権崩壊後の1987年、憲法改正に伴って市民が勝ち取った文言だ。それから30年足らずの政権において、少なくとも未成年122人を含む、ドラッグとは無関係の犠牲者も多数出した「ドラッグ戦争」が遂行された。この文言に厳密であれば、国家の政策による犠牲者が一人でも出たのなら、憲法を犯した罪に問われることになる。

数千から数万もの自国民を殺害した「戦争」推進者のドゥテルテが3月11日、フィリピン国内で国際刑事警察機構(インターポール)に協力を要請された国家警察によって逮捕され、オランダ・ハーグの国際刑事裁判所(ICC)に身柄を引き渡された。現マルコス大統領の姉であるアイミー上院議員ですら、弟が手を下した逮捕劇を予測できなかった。

結果としてドゥテルテ派や偽情報を拡散するトロールを目覚めさせ、「誘拐」「違法逮捕」「主権侵害」など、十分な根拠を欠く言葉がSNS上を乱れ飛んでいる。

そもそもドゥテルテ時代とは、ドゥテルテという現象は何なのか。

アロヨ政権下の2004年、国内の違法薬物使用者は600万人を超えていた。それがドゥテルテ就任以前の2015年には200万人以下に減っていた。それにも関わらず、ドゥテルテは薬物使用者数を「400万人」と見積もった。ダバオ市長時代に薬物使用者を始めとした犯罪者を(自身が指揮した処刑団が)減らしてきた実績を誇示し、フィリピンが「ナルコステート化の一歩手前にある」との脅威を喧伝した。ナルコステートとは、麻薬カルテルが国の法執行機能を麻痺させるほど強大化した状況だ。「自身こそが解決策」とドゥテルテは豪語し、「tapan at malasakit」(勇敢さと思いやり)をスローガンに、鉄拳マークをトレードマークに据えた。冗談めかした独特な口調と、悪役に徹して動じないマッチョなスタイルは、ジェンダーを超えて「真なる変化」を欲する大衆を突き動かし、その選挙スタイルは草の根運動的なうねりを見せた。

ドゥテルテがドラッグ問題をアジェンダ化するまで、貧困層に多い薬物使用者である「隣人」は、家族やバランガイ(最小行政区)内の「やっかい者」といった認識だった。ドゥテルテの強い言い回しと継続的な宣伝効果が、人々の意識を「見境なくレイプや人殺しに走る恐れのある、殺されて当然の犯罪予備軍」へと先鋭化した。ドゥテルテ以前のフィリピン社会を振り返ると、貧しくあれども他者への寛容・共存の余地ある社会だったように思う。少なくとも「犯罪者や薬物使用者は死んで当然」という残酷な意見は、社会にその居場所を保持してはいなかった。

かつてナチスドイツは右派の反ユダヤ思想に取り入り、「善良な市民」はユダヤ人の抹殺に目を瞑った。一方、フィリピンでは眼前での人殺しに鈍感となった。そしてバーチャルな意見が現実を左右するようになった。

ドゥテルテ政権移行後の熱気はすごく、2016年7月の国民の信頼度は91%で、大部分が熱狂的にこの「戦争」を支えた。上院議員との初顔合わせでドゥテルテは、その場の誰もが声を出せないほどの、異様な睨みを利かせていた。三権分立の一翼を担う議会(立法)が、早々にドゥテルテに屈した瞬間だった。議会にはスーパーマジョリティーが形成され、下院では2016年7月末までに反対派議員が297人中8人に、上院では24人中3人にまで減った。そうした光景は熱烈な支持者には心地良いもので、ドゥテルテが既存の政治を打ち破った印象を与えたに違いない。テレビ画面越しにドゥテルテの圧倒的な威圧感が上院議員の首根っこを捉えた様を見て、「危険信号」が灯ったのを覚えている。歯止めの効かない何かが一つの方向に向かって流れようとしているかのような。ファシズム的な潮流が頭をもたげた瞬間だった。それは止めどない「熱気」となって殺戮の嵐を生んだ。

ドゥテルテのドラッグリストに名指しされた判事7人を擁護する形で抵抗していたセレノ最高裁長官も、最終的にドゥテルテの息がかかった下院で罷免された。大手テレビ局ABS-CBNは放送免許の更新が停止され、ネットニュース・ラップラーも数々の訴訟を抱えた。道徳の観点から歴史的防波堤の役割を果たしてきたカトリック教会も、「教会の秘密を暴露してやる」とのドゥテルテの脅しに沈黙した。フィリピン・カトリック司教協議会(CBCP)は選挙前に「政治的に危険であるだけでなく、道徳的に無責任な立場を取る候補者には投票しないように」と名指しは避けつつ、暗にドゥテルテ以外の候補への投票を呼び掛けたことで、ドゥテルテの逆鱗に触れていた。

こうして、元マルコス独裁政権を崩壊に追いやったエドサ革命以降の米国追随「民主主義」が否定された。広がるばかりの経済格差、変化のない大衆の経済的窮状の矛先は、財閥や汚職政治家へと向けられ、強固な牙城を打ち崩さんとする大衆の「正義意識」を鼓舞し、陶酔させた。一方で、その矛先は生活に問題を抱え、薬物に手を出した者や日々の食い扶持から薬物を売らざるを得ない者など、社会的弱者であるはずの者に容赦なく振り向けられた。

ドゥテルテ逮捕は、マルコス政権による政治的な動きだとのドゥテルテ派の見方はもちろん正しい。この時期の逮捕には、マルコスなりの計算があるに違いない。しかし、「主権を超えて」ICCが動くにはそれなりの理由がある。提訴しているのは、誰でもない超法規的殺害の被害者遺族のフィリピン人自身だ。ドゥテルテ治世、そして「ユニチーム」でドゥテルテ家と手に手を携えた現マルコス政権前期において、この国で被害者遺族が味わってきた辛苦を差し置いて、「主権」などといった議論を誰ができるというのだろう。

もう一つ、欧米が批判を口にする中、中国大使館は2016年7月、ドラッグ戦争への「無条件の支持」を表明。中国外務省は10月中旬のドゥテルテの公式訪問を前に、「大統領の対違法薬物政策を理解し支持する」と評価した。11月30日には、ロシア大使も「違法薬物撲滅キャンペーンの成功を心から願っている」とドラッグ戦争への無条件支持を伝えた。さらに、故安倍晋三元首相は2017年1月にフィリピンを公式訪問し、経済およびインフラ開発の促進に5年間で1兆円の海外開発援助(ODA)を発表。薬物依存症リハビリプロジェクトへの財政支援を約束した。首相はマニラで「違法薬物対策に関して、フィリピンと協力して適切な支援措置を通じて取り組みたい」と述べた一方、ドラッグ戦争や急増する死者数には言及しなかった。日本との親密な二国間関係は、ドゥテルテに恩恵を与えている。アジアの大統領経験者として初めてICCの法廷に立つドゥテルテが日本の元首相を「兄弟よりも近しい関係」と呼び習わしていた事実を、今一度記憶にとどめておきたい。

〈著者紹介〉
おかだかおる
フィリピン大学大学院アジアセンターに留学、フィリピン学専攻。2018年、まにら新聞記者に。2024年退社後は日比交流関連に従事。著書に「半径50メートルの世界 フィリピンバランガイ・ストーリー」

「私の家には 奴隷 家政婦がいた」

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Painting:Maria Sol Taule, Human Rights Lawyer and Visual Artist

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