フィリピン・ニュース深掘り 複雑な弾劾裁判の仕組みと冷めた下院議会

【写真】弾劾追訴状に対して棄却が決まったマルコス大統領(右)/ Philippine Congress dismisses impeachment complaints against Marcos, Reuters, February 10, 2026./と3つ目の弾劾訴追状が提出されたサラ副大統領(左)/ Philippine VP Sara Duterte faces new impeachment complaints, Reuters, February 2, 2026.

*フィリピン・ニュース深掘りでは、フィリピンでの重要な出来事を一つ取り上げ、解説・深掘りします。

― そもそも弾劾対象となるのは?
 1987年フィリピン憲法第11条第2項は、弾劾の対象となる公職者を次のように定めています。
1. 大統領
2. 副大統領
3. 最高裁判事
4. 憲法委員会の委員
 ・選挙管理委員会(COMELEC)
 ・会計検査院(COA)
 ・公務員委員会(CSC)
5. オンブズマン
 この5つの職種が、「憲法の有責な違反、反逆、収賄、汚職、その他の重大犯罪、または公的信頼の裏切りについて、弾劾され、かつ有罪の認定を受けた場合に、その職から解任され得る」と同項に記載されています。

― 弾劾手続きの開始とは
 この1年半のフィリピンの弾劾に関する記事で日本人に分かりにくいのは、弾劾の手続きが「1年に1回」に限定されている点です。そして、この点が、昨年のサラ副大統領への弾劾の差し戻しに大きく関わってきています。
 弾劾の頻発は政治を停滞・不安定化させるので、年1回に限定されているのは理解できます。メディアを見ていて分かりにくいのは、その手続きの「開始」が何をもって判断されるのかです。少なくともメディアでは、次々と「弾劾訴追状が提出」されていることが報道されています。メディアでは弾劾(impeachment)と略されていますが、正確には、弾劾訴追状が、弾劾の開始権限を有する下院に提出されているだけです。これだけでは「1年に1回」には直ちに該当しません。
 最高裁判例に基づいて確立した解釈では、弾劾手続きが「開始された」とみなされるのは、弾劾訴追状が下院で正式に受理され、制度的な処理段階に入った場合です。具体的には、以下のいずれかに該当する場合です。
*弾劾訴追状が下院で正式に受理され、所管委員会(通常は司法委員会)に付託された場合
*委員会段階を経ず、下院本会議で審議や採決に入った場合

 この条件を鑑みると、2026年には、マルコス大統領、サラ副大統領のどちらの弾劾手続きもまだ正式に開始されてはいません。

― 弾劾開始後の手続きの流れ
 弾劾訴追状が下院で正式に受理された後、手続きは次のいずれかに進むことになります。
(1)却下される場合
 すでに弾劾手続きが「開始」し、下院の所管委員会、または本会議で、弾劾訴追状が否決・却下された場合、その弾劾は終了します。こうなれば、同一人物に対して同一年内に再度弾劾を行うことはできません。理由や争点を変えたとしても、憲法上は認められません。
(2)下院で成立し、上院に送致される場合
 下院で弾劾訴追が可決されると、案件は上院に送られます。上院は弾劾裁判所として機能し、証拠審理や弁論を行った上で、有罪か無罪かを判断します。有罪となった場合、公職からの罷免や、将来の公職就任禁止が科されることとなります。有罪には、上院議員の3分の2である16人の賛成が必要です。

 昨年、サラ副大統領に対する弾劾は、下院で成立し、上院に送致されるところまで進みました。しかし、上院の結果は、まさかの「差し戻し」でした。このことについては後述します。

〈Source〉
Supreme Court, G.R. No. 160261 (Francisco V House of Representatives), November 10, 2003
Supreme Court, G.R. No. 193459(Gutierrez v. House of Representatives), March 8, 2011
The Constitution of the Republic of the Philippines (The 1987 Constitution)

― マルコス大統領への弾劾
 1月19日、アンドレ・デ・ヘスス弁護士が、マルコス大統領に対する弾劾訴追状を下院に提出しました。
 訴追状では、主に以下の点が弾劾理由として挙げられています。
1. 洪水制御事業などを含む汚職疑惑への対応をめぐる統治責任
2. 予算執行・政策判断を含む公的信頼の問題
3. 前ロドリゴ政権との関係処理、特に国際刑事裁判所(ICC)対応をめぐる判断
 大統領府は同日、訴追状の提出を認識した上で、「議会の手続きを尊重する」とのマルコス大統領の対応を公表しました。

― 実は相手にされていない弾劾訴追状
 19日以降、このマルコス大統領への弾劾訴追状提出の記事が数多くのメディアで報道されました。しかし、実は、この訴追状を提出したヘスス弁護士について、よく分かっていません。フィリピンの英語大衆メディアGMA Newsでは、「アンドレ・デ・ヘスス弁護士とは何者なのか?」という記事を出しています。いろいろ書いていますが、個人的な動機で提出しただけのようにしか書いていませんでした。ドゥテルテ陣営による攻撃でもなければ、マルコス陣営による自作自演でもないようです。
 政治的な支持がないからでしょうか?下院でその後、この弾劾訴追を支持するような具体的な動きが見えてきません。今のところ、さらなる訴追状提出の動きもありません。

― 却下された弾劾訴追状
 2月9日、下院の司法委員会は、マルコス大統領に対して提出されていた弾劾訴追状について、「弾劾として先に進める要件を満たしていない」と判断し、正式に却下する決定を下しました。
 司法委員会の決定では、弾劾訴追状が形式面および実体面の双方において不十分であることが指摘されました。特に、弾劾理由として挙げられていた事項について、憲法が求める「弾劾に値する明確な根拠」が示されていないと判断されました。また、訴追状は下院議員による正式な支持や採択を伴っておらず、制度上の要件を欠いている点も考慮されました。
 今回の「却下」は、弾劾開始以前の門前払いです。したがって、1年1回ルールには抵触せず、今後も年内の弾劾訴追の可能性は残っています。 

〈Source〉
House panel junks impeachment complaint vs Marcos, Inquirer, February 9, 2026.
Palace: President will respect process, Inquirer, February 3, 2026.
Who is Atty. Andre de Jesus?, GMA NEWS, January 19, 2026.

― 差し戻しの理由としての「1年1回ルール」
 サラ副大統領への弾劾手続きはもっと複雑です。2024年、3つの弾劾訴追状(12月2日、4日、19日)が下院議会に提出されました。翌年2025年2月5日に、これら複数の訴追状が下院議会で統合・可決され、その日のうちに上院議会に送付されています。下院で統合された弾劾決議は、次の3つのポイント(条項)に整理されました。
1. 機密費の不正・不透明な使用
2. 議会監督権の侵害
3. 公的信頼の裏切り
 しかし、先述したように、6月10日、上院は、下院から上げられてきた弾劾案件を下院に差し戻す決定をしました。弾劾条項について全く審議されることはありませんでした。差し戻し理由は、先述した「1年1回ルール」に関するものです。簡単に言ってしまえば、下院で出された3つの弾劾追訴状の手続きに一貫性がなく、それらを統合した下院の弾劾審議の開始日が不明確になってしまっていたのです。「1年1回ルール」をどの時点で適応したら良いか分からないから審議することはできないというのが、上院の回答でした。
 単なる言いがかりでしかないようにも聞こえます。事実、弾劾裁判によってマルコス-ドゥテルテの争いの矢面に立たざるを得ない上院議員たちにとって、どちらに転ぶか分からない状況で、片方に与するリスクを避けたい考える上院議員の状況を説明する論考も数多くあります。この視点からすると、「1年1回ルール」は、上院議員にとって都合の良い逃げ道でした。
*実は、サラ副大統領への弾劾訴追状は上記3件が下院で可決された2月5日に4件目が提出されていました。しかし、4件目については、明らかに「1年1回ルール」に抵触しており、2025年7月25日に最高裁判所で違憲と判断されています。

― 2026年のサラ弾劾の流れ
 先述したようにサラに対する2025年もしくは2024年(最初の訴追状が2024年の年末であったため、正式な弾劾審議の「開始」の定義によって開始時に大きな幅が出てきます)の弾劾は差し戻されています。ここに、さらに2026年になって、以下のような3つの訴追状が既に提出されています。
●1月8日 法律家グループにより提出
●1月15日 キリスト教系団体および市民団体により提出
●1月22日 退役軍人、元公務員、市民団体連合により提出
 それぞれが、機密費を中心とする予算の不適切な利用、下院調査における妨害を伴う非協力的な姿勢、そして、公的信頼の裏切りを中心にまとめられているもののようです。まだ、提出内容が明らかにされていないため、それぞれの違いや、そもそも昨年の差し戻しの弾劾案件との違いも分かってはいません。

― 実は冷めている?下院でのサラの弾劾
 メディアでは弾劾追訴状の報道が次々と公表されていますが、下院議員たちの反応は今のところ芳しくありません。昨年とは大きな違いです。下院はマルコス陣営でほとんど占められていると言われていますが、もはやマルコス支持=反ドゥテルテという等式は成り立っていないのです。この変化の理由は、おそらく以下の3つの理由から説明できます。
 1つ目は、昨年の上院と同様、マルコスとドゥテルテの何れか片方に与するリスクを実感するようになったことです。マルコス政権も任期の折り返し地点を過ぎましたが、任期期間中にサラとの闘いに終止符を打てそうもありません。
 さらに、洪水制御事業に関する汚職が状況を大きく変えました。洪水制御事業を含む公共事業費こそが、多くの地方政治家を政権に繋ぎ止める源泉でした。公共事業への規制が強化され、公共事業バラマキの大元であるはずのマルコス大統領が汚職議員を排除するかもしれない状況は、確実に下院議員のマルコスへの忠誠心を低下させています。
 最後に、サラ弾劾に対する下院の対応は、今後、提出されるかもしれないマルコスへの新たな弾劾の手続きにも影響を与えます。サラに厳しくすれば、マルコスにも厳しくならざるを得ません。加えて、洪水制御事業でも後ろめたい思いを持つ多くの下院議員は、汚職を根拠とするサラ弾劾にも洪水制御事業を根拠とするマルコス弾劾にも、積極的になることはできません。
 弾劾に積極的になれない多くの議員がお茶を濁した結果を望み、清廉潔白を売りにする一部の議員が国民感情を煽るかたちで弾劾を推し進めようとする構図が今後も続くものと思われます。

〈Source〉
Impeachment a Key Weapon in the Philippines’ Marcos–Duterte Divide, East Asia Forum, March 10, 2025.
Philippine Senate returns VP impeachment case to lower house hours after convening trial, Reuters, June 10, 2025.
A Return to Political Chaos? The Philippines’ Impeachment Saga, FULCULM, December 25, 2025.

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