フィリピン・ニュース深掘り 弾劾裁判で逆転を狙う3陣営

【写真】弾劾裁判で逆転を狙う3陣営(サラ副大統領:右、ロムアルデス下院議長:左上、マルコス大統領:左下):以下のウェブサイトから筆者作成/ https://en.wikipedia.org/wiki/Sara_Duterte, https://en.wikipedia.org/wiki/Bongbong_Marcos, https://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Romualdez

*フィリピン・ニュース深掘りでは、隔週でフィリピンでの重要な出来事を一つ取り上げ、解説・深掘りします。

栗田英幸(愛媛大学)

― 可決された弾劾訴追案と審議内容
 2月5日、フィリピン下院議会はサラ副大統領の弾劾訴追案を可決しました。下院議員311人のうち、215人、約70%が訴追案を支持しました。下院で必要な3分の1の支持を大きく上回った形での可決です。フィリピンの下院で副大統領の弾劾訴追が可決したのは、初めてとのことです。ちなみに、大統領では、2012年にエストラーダ元大統領が、やはり下院で訴追案が可決された後、上院での結審を待たずに辞任しています。
 弾劾裁判は、次の2つの疑惑が弾劾に相当する憲法違反、汚職、国民の信頼への裏切りにあたるとされています。
 1. 副大統領府および教育省の機密費から総額1100万ドル以上を不正に使用し、資産を適切に申告せず、出所不明の財産を保有していた疑惑
 2. マルコス大統領やその家族、下院議長を暗殺するために暗殺者を雇うと脅迫したとされる疑惑

― 本番は上院での弾劾裁判
  下院では3分の1の承認で可決してしまうという「緩い」基準からも分かるように、弾劾審議の本番は下院から送付された上院にて行われます。下院議員や市民組織からは、早期に上院議会で審議するよう強い要請が上院やマルコス大統領に対して上げられています。しかし、ドゥテルテ派が多くを占める上院の腰は重く、エスクデロ上院議長も審議は上院選挙後になるだろうと発言しています。
 上院議会で実施される弾劾裁判では、24人の上院議員全員が陪審員となり進められます。可決され、サラ副大統領が罷免されるには、上院議員の3分の2以上、すなわち16人の賛成が必要です。もし、罷免されると、マルコス大統領が上下院議員から1人を副大統領として指名し、両院での過半数以上の承認を得る必要があります。

― 常識を疑われるのはどっち?
 脅迫に関して、確かにサラ副大統領は脅迫に値する発言をしています。未だに問題となった彼女の発言の動画が拡散され続けています。政治家としての常識を疑われる発言であることは間違いありません。しかし、これが憲法違反や国民の信頼への裏切りか、弾劾裁判をわざわざするほどのことかと問われると、弾劾裁判で取り扱うには無理があります。大統領らを脅迫する発言もですが、そんなことで弾劾しようとする方も、どちらも常識を疑われるレベルというのが私の認識です。

― 汚職も微妙
 汚職に関しては、未だに明かされていない不透明資金のルートや予算利用に関する不適切(杜撰?)な記録が汚職に当たるのかどうかが問われることになります。今のところ、領収書に存在しない人の名前が多数使われていたり、ふざけた名前が記載されているものがあったりという、膨大な数の杜撰な領収書が確固とした証拠として存在するのみです。
 11月に行われた下院の公聴会でのズレイカ・ロペス副大統領首席補佐官の曖昧な証言は、不正資金のルート明確化にほとんど進展をもたらしませんでした。この曖昧な証言に下院は侮辱罪を適用して身柄を拘束しましたが、この拘束がサラの脅迫発言を引き出すこととなりました。
 不正利用に関しても、やはり明確な証拠はありません。最低でも資金ルートを明確にする必要があります。弾劾裁判に向けて、下院議員たちは今なお必死に資金ルート明確化のための調査を進めています。銀行口座を新たな切り口にして調査を進めているようですが、どうなるでしょうか?

― 冷めた目で見る上院議員たち
 下院議員たちは、上院議員のやる気のなさを批判していますが、「こんなことで弾劾裁判なんて要求するなよ」と軽蔑まじりの冷めた目で見ている上院議員が大半なのではないでしょうか。

― ロムアルデス派
 反サラでまとまる下院議員の多くは、マルコス大統領派であり、マルティン・ロムアルデス下院議長派です。そして、ロムアルデスの子飼いの下院議員たちは、「上院選挙前に行うべき」との大合唱です。普通に考えて、上院選挙前の開始は、まずあり得ないでしょう。先にも述べたように上院議員は、一部の議員を除いて、やる気なしです。
 そんなことはロムアルデス派も重々分かっていつつも、上院議員のやる気のなさを積極的にアピールすることで、ドゥテルテ派の議員たちの評判を少しでも落とし、その再選の可能性を落としたいと考えているのでしょう。
 しかし、ロムアルデス、人気ないです。今、フィリピンで沢山の人たちに現在の政治に関して意見を聞いていますが、皆、異口同音に「ロムアルデスの大統領はあり得ない」と自信満々に語ってくれます。サラ虐めで、元々あまり良くない彼のイメージが更に下落しています。まだ大統領選挙まで3年ありますが、サラをここで政治の世界から追い出しておかないと、ロムアルデスは自分の評価を上げることができません。更に、サラとの泥試合を続けていくと、一定の強力な支持層のいるサラと異なり、ロムアルデスは今後も評価を下げる一方です。今、一時的に自分の評価下げてでも、サラを政治世界から追い出しておこうと考えているのではないでしょうか。
 次期大統領を狙うロムアルデスにとって、サラ副大統領やドゥテルテ派の追い出しは、最初の一歩でしかありません。彼にとっての一番の問題は、その人気とカリスマのなさです。マルコス大統領の政策は大きな失敗こそしていませんが、インフレによる国民の不満はたまる一方です。ロムアルデスとって、この国民の苦境こそが、人気を一気に獲得する最大のチャンスです。ただ、サラ副大統領が健在である現状で経済が良くなると、マルコス大統領とサラ副大統領の2人の支持率も上がってしまいます。サラを追い落としてからでないと、サラからの誹謗中傷によって評価が下がり続けます。サラの発言に確かな証拠は提示されてないのですが、フィリピン人の少なくない人たちがロムアルデスが大規模な汚職をしていると思っているようです。根拠のない主張を信じさせるテクニックは、ドゥテルテファミリーに一日の長があるようですね。サラ副大統領を黙らせないと経済改善が上手くいったとしても、おそらく、それをロムアルデスが自分の手柄、利益にすることは出来ないでしょう。

― 茶番劇といえばドゥテルテ父娘のお家芸
 サラ副大統領はロムアルデス下院議長と異なり、盤石の支持層を有しています。人気の下落は、ある程度で止まるはずです。弾劾裁判を乗り切ることができれば、次期大統領に一番近いのは、やはり彼女です。支持層を絶えず刺激し続け、不満の矛先を絶えず政敵に向け続けることこそが、彼女にとって堅実な戦略です。今のところ、弾劾裁判は茶番劇でしかありません。そして、茶番劇こそが、父から娘に受け継がれた支持層確保を可能としてきたお家芸です。したがって、弾劾裁判を茶番のまま終わらせることこそが、今の「虐め」られた状況からの逆転=次期大統領就任のための一手なのです。
 彼女が恐るべきは、上院議員たちがいつの間にかマルコス大統領に取り込まれて、弾劾裁判が茶番でなくなることでしょう。ロムアルデスでは、上院議員を抱き込むことは無理です。逆に、ロムアルデスのことが嫌いだという理由で、多くの上院議員たちの心情はサラの無罪支持に傾きそうです。その意味で、5月の上院選挙はとても重要な意味を持ちます。

― とばっちりのマルコス
 マルコスにとって、もっとも重要なのは、穏便に自分の任期を勤め上げ、マルコス・ファミリーとしての社会的地位を守ることでしょう。父マルコス・シニア時代の問題を掘り返されて、財産や被選挙権を含めた社会的な権利を剥奪される可能性を、この大統領の任期で削り切ることこそが、ファミリーとしての生存戦略を重視するフィリピン流の選択です。
 これまでは姉のアイミー・マルコス上院議員がドゥテルテ派と仲良く振る舞うことで、ドゥテルテ派復権にも備えられていましたが、サラ副大統領はアイミー上院議員の擁護発言を軽視する場面が多くなってきました。「マルコス大統領のどっち付かずの態度は許さない」というマルコス・ファミリーに対するサラ副大統領からの脅しです。
 マルコス大統領にとって真に怖いのは、クーデターや内乱の可能性です。1月、イグレシア・二・クリスト教会は、実質、サラへの弾劾に反対する全国集会で150万人を集めたと言われています。クーデターや内乱にトラウマを持つマルコス大統領にとって、このデモンストレーションは、国外退去時の恐怖を思い出させたことでしょう。何人もの下院議員が強がりを言っていましたが、怖い数字だと思います。
 さらに、トランプ政権と中国のスパイ疑惑が大きくマルコス大統領の危機感を煽ります。政権中枢にまで入り込んでいるかもしれない中国スパイは、サラ副大統領を支持するクーデターに大きな力を与えるかもしれません。そして、米国はマルコス大統領を守ってくれないかもしれません。
 マルコス大統領としては、一刻も早く経済改善に手をつけ、反乱に加わりそうな不満層をできるだけ減らさなければなりません。しかし、ロムアルデス率いる下院議会は、サラ副大統領の追い出しにばかり目をむけ、経済政策を後回しにしています。サラ副大統領とロムアルデス下院議長の対立に落とし所も見つけられそうもありません。ロムアルデス下院議長が勝利すれば良いですが、サラ副大統領の勝利の目もかなり残っていそうです。後者の場合、自分は関係ないと逃げを打つこともできなさそうです。クーデターや内乱も恐怖です。誰が裏切るのか分かりません。真に信頼できる腹心もいないように見えます。
 マルコス大統領が逆転に書けるなら、上院議員の切り崩しによる、強引な弾劾裁判での副大統領罷免しかありません。しかし、マルコス大統領の態度は今ひとつ煮えきりません。
 マルコス大統領、本当にどうするつもりなのでしょうか?中間選挙という大統領任期折り返し地点、リーダーシップに大きな翳りが見えてきました。

〈Source〉
Escudero: Senate won’t force Sara Duterte to attend impeachment trial, ABS-CBN, February 10, 2025.
House: Lawmakers backing Sara Duterte impeachment now at 240, Inquirer, February 7, 2025.
No Senate trial of VP Duterte before June – Escudero, Inquirer, February 7, 2025.
VP Sara Duterte shrugs off Sen. Marcos remarks vs impeachment, Inquirer, February 7, 2025.
VP’s bank records eyed as House preps for trial, Inquirer, February 11, 2025.
フィリピン政経フォーカス (1月7日~1月14日), Stop the Attacks Campaign, January 17, 2025.
フィリピン政経フォーカス(12月11日-12月25日), Stop the Attacks Campaign, December 26, 2024.
フィリピン政経フォーカス (12月3日-12月12日), Stop the Attacks Campaign, December 13, 2024.
フィリピン・ニュース深掘り:弾劾訴訟の注目点:実は追い込まれているのは、マルコス・ロムアルデス陣営かもしれない, Stop the Attacks Campaign, December 10, 2024.
フィリピン政経フォーカス (11月20日-11月27日), Stop the Attacks Campaign, November 29, 2024.
フィリピン・ニュース深掘り:上院議長交代劇の裏側, Stop the Attacks Campaign, June 7, 2024.

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