*フィリピン・ニュース深掘りでは、隔週でフィリピンでの重要な出来事を一つ取り上げ、解説・深掘りします。
栗田英幸(愛媛大学)
この1週間でドゥテルテ前政権の凋落を象徴するかのような出来事が2つありました。①デ・リマ前上院議員(以下、デ・リマ)の違法ドラッグ取引容疑などの裁判で証拠が否定され無罪判決となったことと、②サラ副大統領のマルコス閣僚辞任です。2つの出来事のどちらも、今さら感の強いものではありますが、①からは、ドゥテルテ前大統領(以下、ドゥテルテ)とデ・リマの両者にのみ伝わる生々しいメッセージを、②では、サラ閣僚辞任のもたらす強烈なメッセージがドゥテルテ陣営に与えた結果、「ないとは言えない」選択肢も含めた今後のドゥテルテ陣営のとり得る幾つかの選択肢について、深掘りします。
ドゥテルテとデ・リマだけが実感できるメッセージのやり取り
― でっち上げ容疑から完全に解放されるデ・リマ
6月24日、モンテンルパ裁判所は、デ・リマの最後の、そして3度目の違法薬物事件の証拠に対する異議申し立てを認め、無罪判決を言い渡しました。昨年末に保釈されたあたりから、違法薬物に関する全ての容疑で潔白となるのは、時間の問題のように見えましたが、ようやく本当に「安心して眠れる」環境をデ・リマは手にいれることができたのです。
― デ・リマ解放時、ドゥテルテへのメッセージ
デ・リマが長期間、不当に勾留されていたのは、ドゥテルテ政権時、彼女がドゥテルテ批判の急先鋒であったというだけでは恐らくありません。以前、法の代弁者である司法長官で、他の批判派と比べて政治基盤が弱く、しかもマッチョなドゥテルテが蔑視する女性なので、批判派への見せしめに適当だとドゥテルテに思われたのではないでしょうか。邪魔なだけなら、勾留中に殺害してお終いだったでしょうから。
「法」を根拠に私(ドゥテルテ)を批判していた「あの女」が逆に「法によって刑務所に入っている」(「 」内はドゥテルテがデ・リマに対して良く利用した言葉)。このように、デ・リマを蔑み、脅し、勝ち誇った発言が、2016年より繰り返し、執拗に、ドゥテルテからデ・リマに、そして、国民に対して発信され続けていました。ドゥテルテによってそれらの言葉が何度も繰り返し強調されました。デ・リマの理不尽な境遇がメディアで報道される度に、ドゥテルテは、自身の法を超えた力、反抗者へ振るわれる暴力、その末路を国民、特に批判者たちに見せ続けたのです。マッチョ思想の強いドゥテルテにとって、それは、とても気持ちの良いものであったことでしょう。
しかし、昨年11月3日、それが逆転しました。デ・リマが法に則って保釈されたのです。この時には、かけられた違法薬物に関する3つの容疑のうち1つの容疑に関する審理が残ってはいましたが、当時検察から出されていた証拠が却下されるのは時間の問題でした。そして、今月24日にその決着が完全についたのです。
デ・リマの解放は、先の脅迫とは全く逆の生々しいメッセージとして、ドゥテルテ大統領の心を貫きます。「法(デ・リマ)を抑圧する暴力(ドゥテルテ)」から「法(デ・リマ)によって制圧される暴力(ドゥテルテ)」へと立場が逆転したのです。今度は、法(私)が暴力(ドゥテルテ)を罰する番だ、首を洗って待っておけ、ということです。ドゥテルテや取り巻きたちは、これまで暴力による脅迫メッセージを発し、悦に入っていたぶん、今回の逆転に動揺しているのです。
もちろん、これまでドゥテルテによって動揺させられる立場にあったデ・リマも、ドゥテルテと同様に立場が逆転したことを敏感に感じていたことでしょう。保釈時、そして、解放時(24日)、デ・リマは、自身の言葉こそドゥテルテの心に直接届くと、ドゥテルテに怒りと動揺を与える生々しいメッセージを発しています。
「神よ、彼(ドゥテルテ)を赦し、彼に神のご加護を」(保釈時のコメント)
「彼(ドゥテルテ)はこれから責任を問われることになる。責任を問われなければならない。なぜなら、超法規的殺人に何の進展もなかったからだ」(24日のコメント)
〈関連記事〉
レイラ・デ・リマ保釈から見えるフィリピンの変化(フィリピン・ニュース深掘り), Stop Attack Campaign, November 17, 2023.
サラ副大統領のマルコス政権閣僚ポスト辞任* の意味するものは
― 辞表を提出
6月19日、大統領官邸を訪れたサラ副大統領は、教育長官と地方共産党の武力紛争を終わらせるための全国タスクフォース(NTF- Elcac)副議長からの辞任をマルコス大統領に申し入れ、マルコス大統領もサラ副大統領の辞任を受け入れました。大統領府広報局の発表によるとサラ副大統領は辞任の明確な理由を語っていません。憶測が飛び交います。
辞表は、正式な手続きに則り、実際に職を辞する1ヶ月前に提出されました。したがって、引き継ぎ期間となる7月19日までサラ副大統領は、教育長官でありNTF-Elcac副議長です。後述しますが、この引き継ぎ期間中、水面下で何かがあるかもしれません。
24日、サラ副大統領は自身の気持ちを言葉少なに語りました。マルコス大統領との関係は引き続き良好であること、教育長官の仕事を愛していたこと、そして、それを失った悲しみを感じていること、副大統領としての仕事として現在抱える10のプロジェクトに専念すること。誰を批判するでも、言い訳をするでもなく、しかし、さまざまな憶測が入り込む余地のあるメッセージでした。
* サラは、副大統領としては職務を継続します。しかし、フィリピンにおいて副大統領は閣僚ではなく、したがって定期的にマルコス大統領の下で開催している閣僚会議にも参加しません。2つの閣僚ポストからの辞任によってサラ副大統領は重要な政策方針決定の場に参加する資格を失いました。
― ドゥテルテ陣営のコメント
サラ副大統領の辞表提出の報に対して、ドゥテルテ陣営の多くが悲しみと今後も変わらぬ支持を表明しています。
ドゥテルテ陣営の中核の1人、デラロサ上院議員は、自身のフェイスブックを通して、教育長官を辞任するというサラ副大統領の決断を尊重し、その誠実さ、無私無欲、そして国への愛を称賛しました。ドゥテルテの盟友であるこの元警察長官は、副大統領がそのような決断を下すにあたり、国の最善の利益を考慮したと確信していると語り、彼女を常にサポートすることを誓っています。
マルコス大統領の姉であり、やはりドゥテルテ陣営の中核を担うアイミー・マルコス上院議員も、サラ副大統領への確固たる支持を改めて表明しています。「私は何度も言ってきたが、何が起ころうとも、サラ副大統領への私の信頼と愛は変わらない。彼女がどんな戦い、どんな行動、どんな状況に直面しようとも、私は彼女と共にいる」。
― 実は、ドゥテルテ陣営は歓迎しているかもしれない
沢山のドゥテルテ陣営からのコメントを読み、私は若干の違和感を感じています。それらはサラ副大統領の心の痛みを気にかけながらも、彼女を辞任決意にまで追い込んだマルコス陣営の圧力に対する強い憤りが感じられないからです。憤っていない訳でなないのですが、それ以上に彼女の辞任を前向きに受け入れているような感じがするのです。
例えば、ドゥテルテ政権時の報道官で今なおドゥテルテ陣営の報道官でもあるかのような発言の目立つハリー・ロケは、サラ副大統領の辞表提出に際して自身のフェイスブックに次のようなコメントを書いています。
一線は引かれた!フィリピンはついに真のリーダーを得たのだ。透明性、説明責任、平和と安全へ!フィリピンを取り戻そう。
ドゥテルテ政権時に下院議長を務めたパンタレオン・アルバレス下院議員もサラ副大統領への支持を表明し、真の政権批判を担えるリーダーとなり得ると彼女を評しました。ドゥテルテによる反乱疑惑が高まった昨年末、ミンダナオ独立を声高に語り、軍や退役軍人たちに対してマルコス支持をやめるように呼びかけたのが、このアルバレス下院議員です。
2人のコメントは、サラ副大統領がマルコス閣僚を辞任したことで、マルコス政権を批判する自由を得たと前向きに捉えています。マルコス政権への批判勢力はそれなりに存在します。しかし、まとめ上げるリーダーがいませんでした。マルコス政権批判派、特にドゥテルテ陣営は、既にかなり力を削られています。さらに、デ・リマ解放がドゥテルテ陣営に与えるメッセージに、心穏やかではないでしょう。
未だ国民人気の高いサラ副大統領は、次の上院選でも獲得票の増大を見込めるため、マルコス政権批判派が彼女にリーダーとなって欲しいと考えるのも頷けます。実際、サラ副大統領が反マルコスの旗頭として反対勢力をまとめ上げることができるのであれば、かなり強力な勢力となるのは間違いないでしょう。少なくともドゥテルテ陣営の政治家たちは、サラ副大統領を祭り上げたくてしょうがないように見えます。中国政府も裏に表に支援するのは間違いありません。
今後あり得るサラの選択肢
― その1:絶対ないとは言えない暴力的対決の選択肢
サラ副大統領を閣僚から追い出すことは、マルコス政権にとっても危険な賭けです。先述したようにサラ副大統領を政権の縛りから解放することで、反マルコス派が結束、強化してしまうかもしれないからです。サラ副大統領の国軍への影響力も未だに無視できません。
さらに、今回の辞任が、サラ副大統領自身の決断によってなされた点も気になります。特に気になるのは、NTF-Elcacという、特にサラを崇める国軍の集団との関係を切る決断を彼女がした点です。国軍とのつながりは、サラ副大統領だけでなくドゥテルテ陣営の生命線の1つだからです。実際、ドゥテルテ陣営はことある毎に、国軍や退役軍人の離反や反乱の可能性に触れて、マルコス政権を揺さぶってきたのです。
敵ばかりのマルコス政権の閣僚たちに嫌気がさした、もしくは、マルコス大統領への忠誠を示すために、あえてフィリピン国軍との関係を断つというのであれば、取り立ててここで取り上げる必要はありません。しかし、サラ副大統領が本当に反マルコスのリーダーとして振る舞う決断をしているのなら、どうでしょうか?国軍へのサラ副大統領の影響力は、NTF-Elcac副議長辞任で急速に減少することが予想されます。もし、国軍の影響力をあてにしてマルコス政権と真っ向から闘うのであれば、ある程度の短期決戦であるべきです。この場合は、国軍の一部を動かした血生臭い選択肢もあり得ると思っています。ドゥテルテ陣営の多くは、既に引き返せない崖っぷちに立たされているからです。
ドゥテルテのお抱えメディアSMNIが政府調査の結果、放送免許を取り消されたことにより、ドゥテルテの露出が激減したのも不気味です。デ・リマの発言によるドゥテルテへの挑発、脅迫に対して、これまでのドゥテルテであれば落ち着いてなどいられないはずです。動揺が高じて無謀な行動に出ないとは言い切れません。
逆に、健康もしくは精神的な問題に苛まれ、動く気力もないのかもしれません。そうでないのであれば、彼がどんな決断をしたとしても驚きません。
― その2:現在進んでいるようにも見える上院選への結束
マルコス政権に対して全面対決、完全勝利を目指すのではなく、現在の劣勢を押し返して、幾つかの要求をマルコス政権に飲ませることを目的とするのであれば、上院選が大きな戦場となるでしょう。サラ副大統領の全国的な人気が、上院選で大きな力になることは間違いありません。そのためにも、サラ副大統領の下に反マルコスとして結束することは、非常に有効です。そして、25日、サラ副大統領の口から、ドゥテルテと息子2人(サラ副大統領の弟)が上院選に出馬するとの情報が飛び出しました。
しかし、デ・リマがロケのコメントに対して行った次のような辛辣なコメントも重要です。
「本当の野党には、説明責任、透明性、市民への配慮という基盤があります。それは、サラ副大統領の実績には見られません。」
サラの下には、ドゥテルテ陣営しか集まらないかもしれません。
― その3:最もあり得る曖昧な態度の継続
サラ副大統領は、これまでも国政でリーダーシップを積極的に取ろうとはしてはきませんでした。教育長官や副大統領の職には就きつつ、権力闘争からはかなり距離を置いてきました。政治家としての駆け引きも下手です。これからも積極的に国政でリーダーシップをとりに行くようには思えません。
彼女がこれまでに発してきた譲れない主張は、1つだけです。その主張とは、「共産主義勢力は叩き潰せ」です。マルコス大統領の政策に唯一、強く反発するのが、共産主義勢力との和平や共産主義との戦いの縮小でした。リーダーとして国を率いていくビジョンはない、言い換えるならば、国家を率いることをこれまで考えて来てはいないということなのではないかと思います。
もちろん、マルコス政権の中で抑圧され、排除された経験が、彼女の考えを大きく変えた可能性もあります。しかし、これまで同様に、共産主義への国の対応以外では、マルコス政権に批判的な行動は慎むのではないかという気がします。
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〈Source〉
De Lima acquitted on last of three drug cases,
(デ・リマの3件の違法ドラッグ事件の最後も無罪), ABS-CBN, June 24, 2024.
No Matter Her Position, Bato Dela Rosa Vows Support For Sara Duterte, Politico, June 20, 2024.
Imee Marcos reiterates all-out support for Sara Duterte,
(アイミー・マルコス、サラ・ドゥテルテへの全面支持を改めて表明), Inquirer, June 24, 2024.
Facebook of Harry Roque, June 29, 2024.
Sara Duterte resigns from Marcos Cabinet,
(サラ・ドゥテルテはマルコス内閣閣僚を辞任), ABS-CBN, June 19, 2024.
Sara Duterte says her father, 2 brothers to run for Senate seats, Rappler, June 25, 2024.
VP Sara Duterte as new opposition leader? Liberal Party’s De Lima doesn’t think so, The Star, June 20, 2024.