笹本 潤(弁護士/アジア太平洋地域法律家連盟(COLAP)会長、日本国際法律家協会(JALISA)副会長)
― フィリピンの反テロ法の危険性
ドゥテルテ大統領時代の2020年に成立した反テロ法において、治安当局は裁判所の令状なしに容疑者を拘束できる権限を付与され、テロ行為への扇動・提案、テロ組織への自発的参加、共犯などに対して12年の刑を科すことが可能になった。
フィリピンにはイスラム武装勢力アブ・サヤフ、フィリピン共産党軍事部門新人民軍(NPA)などの過激派組織が存在し、爆弾テロ、誘拐、武装攻撃に関与した人物を取り締まるのが当初の目的でした。しかし、現在問題となっているのは、人権活動家や一般の市民社会に同法が適用されることです。人権活動家、ジャーナリスト、地域リーダー、政治家らがNPAの関係者だと虚偽のレッテル=「レッドタギング(red-tagging)=赤タグ付け」を貼られてテロリストとして公開告発され、超法規的に殺害されたり、反テロ法を通じて逮捕されたりしています。
― 実際の適用例
●2023年7月、コルディリエラ人民連合(CPA)の議長ウィンデル・ボリンゲット氏ら4人が「テロリスト」として指定されました。当局は「組織的暴力」への関与を根拠としましたが、人権団体はこれを共産主義反乱への不当な関連付けだと批判しています。
●2023年7月、液化天然ガス施設の地域への影響を調査していた環境活動家ロウェナ・ダシグ氏らが政府軍に逮捕され、「銃器不法所持」の冤罪をかけられました(後に無罪判決)。
●2024年10月、マカティ市で労働組合の幹部2人が不当逮捕されました。また2025年1月には、ネグロス州の開発ワーカー3人が「共産主義テロ組織への資金提供」の疑いで逮捕されました。
●コミュニティ・ジャーナリストのフレンチー・メイ・クンピオ氏は、2020年に銃器・爆発物の不法所持で逮捕され、さらに政治的に動機付けられたテロ資金調達の容疑もかけられました。有罪となれば最大40年の禁固刑に相当します。
以上のように、現在のマルコス政権下(2022年6月30日から)でも、テロリストではなく市民活動や一般の人々にまでテロ資金供与罪が乱用されている状況が、多くの人権擁護組織から報告されています。
― 恣意的な運用による人権侵害のリスク
反テロ法は、ネガティブな情報発信によって社会に不安を与えることもテロ行為とみなされること、また、適用範囲が広くて曖昧なため、国連人権委員会などから恣意的な運用による人権侵害リスクが懸念されています。
司法の分野でもこの同法の違憲性が問われました。学者、弁護士、人権団体、市民団体など多くの団体・個人が反テロ法に対する違憲審査を求めた2021年12月7日のフィリピン最高裁判決です。この判決では、反テロ法の大部分を合憲とし、令状なしで容疑者を最長24日間拘禁できる第29条は合憲とされました。第4条の「テロリズムの定義」について、法執行機関に「無制限の裁量」を与える曖昧さと広範性が問題とされましたが、最高裁は本体部分を合憲と判断しました。
テロ関連行為(テロ行為の脅迫・計画・訓練・準備・扇動・共謀、物的支援の提供)なども処罰対象とする第5条から第14条についても、申立人側は曖昧すぎると主張しましたが、最高裁はこれらも合憲としました。 他方で、第4条の但し書き中の文言「抗議・異議申立て等をテロに含まない」という部分に付された、「死亡・重大な身体的危害等を意図しない限り」という限定についてのみ違憲判断を下しました。この判決は、反テロ法の危険性を全面的に否定した判決ではありませんが、曖昧性・適用範囲の過度の広さ・行政権限の強さが司法審査の対象になりうることを示した判決です。
しかし、その後、フィリピン最高裁判所は2024年5月、反テロ法による市民・活動家の弾圧に使われる「レッドタギング」が個人の生命・自由・安全に対する権利を脅かすものだと初めて判決で認定しました。レッドタギングは治安当局がテロリストと認定する際に有力な証拠とされてきました。これは反テロ法の危険性を指摘するものとも解釈できます。反テロ法は本来の武装テロ組織への対処に加え、活動家・ジャーナリスト・先住民族リーダー・NGOワーカーなど政府批判者を標的にする手段として多用され、国際人権団体から強い批判を受け続けています。
― 日本でのスパイ防止法制定の動き
2026年の国政選挙で勢いを得た高市自民党政権は、参政党、維新の会、国民民主党とともに、スパイ防止法の制定を主張しています。昨今の日中対立の激化や米国によるベネズエラ攻撃やイラン戦争など、戦争が横行している世界において、日本もその対立する体制の強化を目指して、この法案の導入が進められようとしています。
スパイ防止法案の条文は、まだ発表されていませんが(2026年3月中旬現在)、スパイ防止法、外国代理人登録法、情報機関設置などの法案が提案されるのではないかと報道されています。
日本には現在、特定秘密保護法がありますが、スパイ防止法案の推進派は、それだけでは不十分として提案しているので、現行の情報窃取(安全保障に関する秘密を不正に取得、漏洩するなどの行為)よりも広げて、情報探知行為(情報を取得しようとする行為)まで広げてくる可能性が高いでしょう。そうすると敵性とされる国のためと見なされる活動をする者も検挙の対象とされ、政府の方針に反対するマスコミ・平和運動まで処罰の対象になる可能性があります。韓国の国家保安法は、北朝鮮を「反国家団体」とし、それを称賛、扇動、協調する行為が広く処罰され、米韓軍事演習に反対する平和運動なども利敵行為として逮捕弾圧されていますが、同様のことが起こりえます。
― 外国代理人登録法によって海外との市民活動や研究活動にも規制が及ぶ可能性
また、外国代理人登録法では、敵性国家組織の関係者は日本政府に登録することが求められ、国際活動や海外との研究活動など外国の個人・団体と関係している運動や研究にも広く規制が及ぶ可能性が出てきます。今こそ、アジアや世界における分断や対立をなくし、平和なアジアを作っていく必要性がありますが、そのような活動が逆に狙われかねません。
情報機関の設置は、日常の情報収集能力を強化し、韓国の国家情報院のように、対外関係を広く仕切って、情報収集や情報操作に及ぶ危険性もあります。
― フィリピンの反テロ法と共通の基礎をもつ日本のスパイ防止法案
このように日本のスパイ防止法案は、中国・北朝鮮などを敵性国家と想定し、その敵対関係を固定化させ、日本を取り巻く国際社会の分断と対立を増長するものだと言えます。「秘密」の範囲の曖昧性・秘密性や、「外国勢力との関係」の広範さによる表現・政治活動の制限や萎縮効果は、現行法制以上になります。
その点ではスパイ防止法案は、フィリピンの反テロ法と共通の基礎をもった法案です。国家の安全や国民の安全を、うたい文句にして、政府に反対する国民の政治・言論の自由を奪っていきます。政府が恣意的に処罰範囲を拡大しているところも共通です。フィリピンでも日本でも、このような自由を奪う治安立法をなくす運動が強く求められています。(2026年3月15日記)


